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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第三十二章
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逃亡者 Ⅱ

「俺の、せい」


 繰り返すアグニッシモの手は、木剣をほぼ取り落としかけていた。

 ゆるく開かれてしまった手からは、木剣の握り口がはっきりと見えている。


「何が」

 ぎゅ、と剣が握りしめられた。しかし、どこか浮ついている。


「マルテレスの反乱が、だよ、愚弟」

「んだと」

「政治的感覚の無い愚図が」

「んなこと言ったって、兄貴だって弱いじゃないか!」

「私は最低限戦える。軍団の指揮も出来るしな。お前と一緒にするな」

「俺だって、最低限は」

「出来ている奴は軍団を率いてメガロバシラスに突撃なんかしねえよ」

「んん!」


 アグニッシモが言葉にならない声と共に足をばたばたと動かした。

 折角に手にしている木の大剣は動かしていない。揺れてはいる。


「と言うか、まだ理解していないのか?」

「クイリッタ」


 愛息の冷たい目がエスピラにもやってくる。

 エスピラは視線をクイリッタから逸らさず、セアデラとラエテルの頭を撫でながら「おてやわらかにね」と口にした。言っている間に、セアデラには逃げられてしまう。ラエテルは御満悦のようだ。


「父上はそれで良いかも知れませんが、兄弟である以上、私とアグニッシモの間ではけじめをつける必要があります」


 意に介さないような言い方だが、考慮はしてくれるだろう。

 そう思い、エスピラは重心を後ろにあるままにした。


 任せっぱなしでも大丈夫だ。そんな、隠居じみた考えもある。最近は、毎日のように。此処でのんびりと過ごすのもそれほど悪くないと思っている。


「アグニッシモ。兄上は、フラシ遠征にお前を使おうと考えていた。軍事命令権保有者だって、あながち夢じゃなかったほどにな。


 だと言うのに、お前は母上の死でいつまでもぐじぐじと。


 お前が行かなかったから、アスフォスらが調子に乗ったのだと何故分からない」


 アグニッシモも文句を言いかけた。

『ぐじぐじと』の当たりで重心が一気に動いていた。


 それでも、今は頭を殴られたかのように重心が踵に戻っている。視線も下に。完全に子供の様子だ。



「母上が死んだ直後、お前は何をしていた。え?


 兄上はな、即座に東方に飛んでアレッシアの安定と秩序の維持に努めていたよ。兄上が悲しくなかったと思うか? 私達には、兄上がしてきた苦労なんて分からないし、母上の愛がどれだけ兄上の支えになっていたかも分からない。

 でも、兄上は必死になってウェラテヌスの屋根になってくれていた。


 そんな恩人を指して、お前は兄上のことを何と言った。兄上に何と言って此処に逃げて来た。腰抜けが感情だけでごちゃごちゃ言うな。この愚弟め」


「クイリッタ」

 やさしく、愛息をなだめる。


 ただし、クイリッタの息はまったく荒れていない。今も荒い息を一度鼻から吐き出したが、姿勢の力加減もいつもと何も変わっていないようである。



「ウェラテヌスの後継者である兄上と他の兄弟では天と地ほどの差がある。そのことを良く良く理解し、弁えるべき分を自ら作らないと他の家門と同じになるぞ。


 才覚が無いのにあると過信したトリアンフやプレシーモ。

 才覚はあったが我が強すぎてセルクラウスの弱体化を決定的にしたコルドーニ。

 考える頭が無くて吐いてはいけない言葉を吐いて役立たずに変わったティミド。

 程良い野心のつもりで逃げ場を失ったトリンクイタ。


 身近なところに良い例があるじゃないか。

 ああ。支えるなどと殊勝なことを言っておきながら反乱を誘引させたスィーパス。これも加えておかないとな」


 セルクラウス関係者では無いが、と結び、クイリッタが短剣を鞘に納めた。


 聞かせたかった者には、きっとラエテルとセアデラも含まれるのだろう。

 どちらかがマシディリの後継者になることが有力視されており、同い年のどちらかは分家となる。残酷な話だ。だが、そこで受け入れてもらわねばウェラテヌスは分裂してしまうのである。


(大変だな)


 エスピラは、侮辱されても怒らない程度の感情しか自分の兄に対しては持ち合わせていない。生きていたとしてもいずれは自分が当主になっていたと言う確信がある。


 ただ、クイリッタにとっては兄弟の関係は非常に重要な命題として横に有り続けたのだ。

 それこそ、逃げられない宿命として。


「兄上に、逆らう気は無い」


 アグニッシモが唇を尖らせ、されどはっきりと言う。

 クイリッタはすぐに鼻で笑っていた。


「どうだろうな。兄上に怒鳴り込みをかけて、ウェラテヌスの当主である父上の下に駆け込んでくる。これを、人はどうみるかな、アグニッシモ」


 アグニッシモの口が堅く閉ざされる。

 しかし、歯を噛みしめたのは一瞬だけ。すぐに駆け出した四男は、風よりも速かった。


「どこに行く」

 荒れた髪の毛を抑えながらクイリッタが叫ぶ。


「アレッシアに。アスフォスのくそ野郎に一騎討ちを挑んでくる」


 随分な論の飛躍だ。

 言葉とは違い、廊下に両手両足をかけた状態で止まっているのは、アグニッシモにも会話の意思はあるからか。


「兄上は父上の護衛にと考えていると言っただろう?」

 クイリッタがアグニッシモに歩み寄る。


「リングアがいる」


 これまた、意外な言葉。

 エスピラも正中線を向けるように体を動かした。セアデラもエスピラと同じようにアグニッシモにしっかりと向き合うように動いている。



「リングアは、腰抜けだ。あんな奴恥でしか無いし、嫌いだ。


 でも、リングアの兄貴は逃げなかった。怖いとこから逃げなかった。逃げなかったから、コウルス二世と、言われた。


 俺の方が実績があるのに、言われたのは兄貴だ。


 なら、俺が逃げるわけにはいかない。俺はリングアを超える。リングアを越えられなきゃ、男じゃない。此処で逃げるのは口だけの大馬鹿野郎だ。そんな奴は、ウェラテヌスの恥部でしかない。俺は、兄貴に勝つ」



 不器用な尊敬だ、とエスピラは思った。

 クイリッタの気遣いが不器用に過ぎるのなら、アグニッシモからリングアへの敬意もまた不器用である。対象を傷つけてしまうほど、不器用な動きだ。


「どうしてそれがアスフォスと繋がる」


「けじめだよ、兄貴。俺の失態は俺が拭う。調子に乗ったアスフォスも、ウェラテヌスを甘く見る連中も、兄上への敬意を疑った奴らも俺がぶん殴る。


 オピーマの奴らが厄介なのは、反乱だと分かっているにも関わらず名目上は個人個人で集まっているからだろ? なら、俺も同じことをするだけだ。俺が殴り込みに行く。たまたま馬鹿が集まって数が増えた。


 それだけ。

 俺は一人でも行くし、俺がこじ開けることで兄上に軍事命令権も下りるかもしれない。以上!」


「どうしてそれが兄上への軍事命令権に繋がるんだよ」

「状況を変えなきゃ何も変わらない。動かなきゃ状況は変わらない。だから動く。それだけ」

「アグニッシモ」

「どうせマルテレスと父上を比べて父上の方が軍才が無いから父上をー、とかってんだろ? なら、先に俺が片を付ける。父上は、いつも通り此処でのんびりしていてよ」


 じゃっ、と言い残し、今度こそアグニッシモが駆け去っていった。

 眉を上げ、クイリッタを見る。馬鹿が、とため息を吐いているクイリッタと目が合った。


「半島で戦えば父上が勝ちます。それは、兄上も承知でした。その上で、父上をディファ・マルティーマに留めることに決めたのです」


「なるほどね」

 サジェッツァの気持ちもわかるよ、と言いつつ、エスピラは腰を落ち着けたまま視線を庭に戻す。


「アグニッシモに力が入り過ぎないよう、適度に抜いてきてくれないかい? 別に、真正面から戦う必要は無いさ。半島から支援者がいなくなれば、戦う理由もなくなるからね」


「船で伝令を飛ばしはします。ですが、アグニッシモは言うならば泉。停滞が起きれば幾らでも貯まっていきますが、一度勢いがつけば誰にも止められません。父上が、一番良く分かっているのでは?」


 そうだね、と口元だけを緩めながら、弱い視線を落とす。手は、セアデラとラエテルとやっていた図上演習の経緯を書いた紙を取り出して。


「アグニッシモはやりますよ」


 クイリッタのその言葉への明確な返事を、エスピラは口にすることは出来なかった。

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