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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第三十二章
1272/1591

逃亡者 Ⅰ

「此処も良いね」


 ぐぬん、と柱の影から愛孫(ラエテル)の顔が現れた。

 ぴょぬこ、と顔が戻り、また別の柱からぬぬんと現れる。


「父上と母上が来る前に畑を作っちゃおうかな」

「勉強は終わったのかい?」

「実は優秀ですから」

 ふふん、とラエテルが胸を張った。


 流石だね、と返しつつも、エスピラは今が午前か午後かも良く分かっていない。太陽は、どこにあるだろうか。どこでも良いか。


 眼前に横たわる現実は、マルテレスの反乱を防げなかったこと。マシディリを以てしても説得に失敗した現実だ。


「じいじもね、あ、アスピデアウスのじいじも僕に伝言を頼んでくるくらい僕は優秀なんだよ」


 ラエテルが両親どちらとも離れるのは初めてのことである。

 エスピラは五歳の時からむしろ親のいない生活ばかりであったが、マシディリは違う。メルアが亡くなるまでは、基本、子供の内はメルアが子供達の傍にいたのだ。


 それを思えば、両親がいなくとも弟妹の面倒を見て明るく振舞っているラエテルは、随分とたくましいと言えるかもしれない。


(寂しさももちろん、か)


 リングアが書物片手に近づいていたり、ルーチェが街に引っ張り出したりはしてくれている。

 それでも、寂しくないはずは無いだろう。


 マシディリもメルアのことが好きであり、べルティーナはメルアを理想の親と見てくれていたのである。二人の子供達への接し方も、厳しさがありながらも時間があれば積極的にかかわろうとしていた。


 実の親よりも乳母に懐いてしまったと言う話はアレッシアでもエリポスでも耳にすることがあるが、子供達も孫もそんなことは無いのである。


 何より、ラエテルにも親友はいるはずだ。その親友と遊びに行くこともできていない。ディファ・マルティーマで新たに出来たりもしているだろうが、幼い頃からの友はまた格別で、代えが効くはずが無いのである。


 だと言うのに、ラエテルはいつも明るく弟妹達の見本となり、叔父や大叔母に笑顔をもたらしていた。


「はい。アスピデアウスのじいじから。父上が軍事命令権を求めてきているから、じいじからも止めてくれって」


 ラエテルから、手紙が差し出される。


「はは。じゃあ、アスピデアウスのじいじに伝えてくれ。父上はじいじに止められたくないからじいじをディファ・マルティーマにやったのだってね。ラエテルは監視役だから、じいじの背中を押すことは出来ません、とも言ってやれば十分さ」


「父上の邪魔になる?」


 耳があれば垂れていただろう。

 尻尾があればぺたりと足にくっついていたに違いない。


 それほどまでの落ち込み様であり、十一歳になってもそれだけ素直に感情を吐露するのはどこか新鮮にも感じてしまった。


「邪魔にはならないさ。年寄りたちの醜い争いにラエテルが巻き込まれたら怒りそうだけどね」


 くすりと笑い、エスピラはラエテルの頭を撫でた。


 ああ、そう言えばもっと年齢が上なのに感情に素直な子がいたな、と。


 二十六になると言うのに、今も広い庭の隅で拗ねて頬を膨らませているのだ。俺は不機嫌だ、と言わんばかりに時折大きな足音を立て、エスピラと共にアレッシアに帰ろうとしている愛息。今も庭の隅で不機嫌そうに頬を膨らませて、素振りを繰り返しているアグニッシモのことである。


 怒鳴り込むようにディファ・マルティーマにやってきたは良いが、以来、何もせずに練り歩いているだけ。エスピラが遊びに誘えば元気よくやってくるが、リングアとはあまり遭遇しないように遠出に出たりもしている。最近家にいることが多いのは、きっとリングアの生活周期を把握したからだろう。


 兄弟仲良く話してほしい気持ちはある。

 同時に、生活周期を把握していると言うことは、アグニッシモがリングアを観察していると言うことだ。カナロイアに行く時の発言からしても、以前よりは態度が軟化してきている。ならば見守ろうとエスピラは決めたのだ。


「兄上よりもべルティーナの方がご立腹のようですけどね」


 足音が急に現れる。

 叔父上! とラエテルが手を挙げた。クイリッタがぶっきらぼうな顔で振り返す。


「おや、おかえり、クイリッタ。一報くらい入れてくれていても良かったんじゃないか?」

「宿場町が安心できない以上、遠慮いたしました」


 ウェラテヌスの連絡網があれば問題無いだろうに。

 そう思いながらも、エスピラは何も言わない。

 ただ図上演習用に少し変えた地形を、廊下に腰かけて見下ろすだけである。


「母上は怒っているの?」

「アスピデアウスのじいじにな」

「また?」


 仲良くして欲しいね、とラエテルがエスピラの横に座りに来た。

 ひょこ、と現れたセアデラが逆側の横を確保する。


 レピナは、フィロラードとお出かけ中だ。毎日のようにレピナが引っ張り出しているように見えるが、夕食の時にレピナが言うには「明日も誘われたの。困っちゃうわ」とのことである。


 尤も、振り回している自覚はあるのか、敷物や食事、水分はこっそりとレピナが揃えていた。


「今度は何で怒っているんだい?」

「軍事命令権が降りないことについて、です」


「父上を追放するからだ」

 ふんっ、とアグニッシモが大きな声を出した。


 クイリッタが目を向ける前に先ほどよりも大げさな動きで素振りに戻っている。尤も、アグニッシモが期待していたほどクイリッタはアグニッシモを見ていないのだろう。ちらり、と目をやるだけで終わっている。


「世間的にもサジェッツァ様のわがままと言う見られ方にはなっていますが、サルトゥーラとフィルノルドが戦ってもいない内からと言う反感も見られますね。

 まるでマルテレスと戦えるのは自分だけと思っているようだ、と。傲慢の証だとも言われています」


「アスピデアウスに戦える者がいるか」

 アグニッシモが吐き捨てる。


 エスピラは苦笑を浮かべ、セアデラの頭を撫でた。そんな年齢ではありません、とセアデラがエスピラの手をかわす。


「そもそも半島の外でマルテレスと戦おうとすることが間違っているよ。略奪は行わないのだから。しばらくは放っておいて、半島に引きずり込んでから一気に叩く。それ以外で勝とうとしない方が良いからね。

 サジェッツァだってわかっていないはずが無いさ」


「そうだよ。父上ならマルテレスにだって勝てるんだ」

「うるさいぞ、アグニッシモ」


 目を閉じたクイリッタがアグニッシモに顔を向ける。

 アグニッシモも素振りを止めた。大きな木剣をだらりと下げ、体から蒸気を上げながらクイリッタに向き直っている。


 どうするべきか。


 まあ、良いか。

 クイリッタに任せよう、とエスピラは思考を捨てた。


「最近の兄上はおかしいよ」

「おかしいのはお前だ」


「ん?」

 アグニッシモが唸った。

 対して、クイリッタは即座に短剣を抜いている。真剣だ。本物の刃物であり、クイリッタの唸りも強さを失っている。


 木の大剣と本物の短剣。

 使用者はアグニッシモとクイリッタ。


 賭けようが無いほどにアグニッシモの勝利は堅い組み合わせである。それでも、勢いを途絶えさせたのはアグニッシモ。クイリッタは睨みつけた空気を変えていない。


「元老院のど屑や愚衆が恐れていることは何だ、アグニッシモ。父上とマルテレスが組むことだ。こんな状況で父上がアレッシアに残れば暗殺だってあり得る。シニストラもずっと一緒にはいられない。


 ちょっとは頭を使え、アグニッシモ。


 兄上がお前がディファ・マルティーマに行くのを止めなかったのは、父上を守って欲しいからだ。軍事命令権を手に入れるのに時間がかかっているのも、軍事命令権を手に入れたらお前を呼び寄せるため。


 マルテレスに勝つのにお前は欠かせない」


 まあ、と言葉が途切れる。


 クイリッタの顎が上がった。視線は、冷酷に。極寒の色だ。

 ラエテルもセアデラも、エスピラの衣服をしっかりと握りしめるほどに威圧的な冷たさをクイリッタは纏っている。


「元はと言えば、お前のせいだけどな、アグニッシモ」

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