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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第三十二章
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そんなこと、分かっていたはずなのに

「兄上!」


 書斎の扉が砕け散ったのでは無いかというほどの勢いで開かれる。事実、書類の幾つかは衝撃に耐えきれずに空を舞った。ひらひらと揺れ動き、静かに床に着地しようと高度を落として行っている。


「これじゃ追放じゃないですか!」

 しかし、アグニッシモの龍哮がその紙々を再度吹き飛ばしたような錯覚がした。


「アグニッシモ」


 静かに口を開いたスペランツァに対し、マシディリは右手のひらを向ける。

 アグニッシモが二度足を大きく上げ、地面を踏みにじった。音はほとんど出ない。顔は険しいが、ままならないことに泣いているようにも見える。


「変だよ!」

 アグニッシモが吼える。


「おかしいよ!」

 しっかりと聞きながら、マシディリは背筋を伸ばし続けた。


「マルテレス様もマルテレス様で反乱なんか起こしちゃうし、クーシフォスだって父親に剣を向けちゃうし。兄上も父上をディファ・マルティーマに追いやるなんておかしいよ。

 兄上だけじゃ軍事命令権がサルトゥーラの野郎に出されちゃったじゃないか! 父上をアレッシアに残しておかなきゃ、上手く行かないのに!」


「アグニッシモ」

 スペランツァが珍しく声を張り上げる。


 それすらもマシディリは抑え、座るようにと手と目で示した。

 アグニッシモがまた音もなく大きく足で地面を踏みにじる。


「兄上!」

「父上とマルテレス様は親友だ。戦わせるのは忍びないとは思わないかい?」


「そもそも戦わなければ良いだけだろ!」

「もう無理なんだよ」


「無理じゃない! 兄上なら無理じゃない!」

「その兄上に対して、兄上だけじゃ無理だって言ったのはアグニッシモだろ」

「スペランツァ」


 はーい、と間延びした返事をして、スペランツァが椅子の上で膝を抱え丸くなった。唇は突き出している。ただし、眼光は力を失っていなかった。


「母上だって死んじゃってから時間が経っていないのに……。おじさんは良く遊んでくれた人だよ。スィーパスだって、いけ好かないけど小さい頃は良く遊んでいたよ。アスフォスも、マヒエリも、プノパリアだって!」


「そうだね」

「おかしいよ!」

「そうだね。兄を恨んでくれて構わないよ、アグニッシモ」


 アグニッシモの顎が上がる。口は、目いっぱい横に引き絞られた。

 足も上がって、今度ははっきりと音を立てた地団駄が鳴る。


「おかしいよ!」


 はっきりと叫んで、扉が壊れんばかりの勢いで締められた。

 どたどたどたとした足音が、どんどん遠ざかっては行く。遠ざかっては行くが、大きすぎてしばらくマシディリの耳に届き続けてもいた。


「占いのことを言えば、アグニッシモもあんな言い方はしなかったと思いますよ」

 膝を抱えたままのスィーパスが尖らせた唇をマシディリに向けて来た。


「アグニッシモは、ついうっかりと漏らしてしまいかねないからね。父上に対して死をほのめかす神託が出ていたなんて広まったら士気にかかわるよ」


「運命を変えるのなら口にしても良いはず。兄上すげーって、するために」


 神の力は、偉大だ。

 マシディリも何度も実感している。


 プラントゥムで見えない炎を使って燃やした時も。東方遠征で鷲について行かせた時も。軍事命令権一つですら神の見えない力を感じている。


「出陣前にルフスが蜂起すれば、今度は完膚なきまでに叩き潰しておいてね。もう許さないから」

「はーい」


 先ほどよりもたっぷりとスペランツァが言葉を伸ばした。

 時間だから行くよ、と立ち上がり、スペランツァの前を通り過ぎる。レグラーレの出迎えを受け、後ろにアルビタを着けて。


 向かう先はオピーマ邸。

 一気に使用人も減った場所。

 残っているのは、クーシフォスとその生母。幼い弟妹も四人、残っている。


 クーシフォスの子供達もいるが、妻は最近出入りしていないことも把握していた。把握してしまうだけの時間は経ってしまっている。


 本来は帰ってきてすぐに行きたかったが、各所への根回しは必要なのだ。


(ままなりませんね)

 クーシフォスは、悪くないのに。


「お待ちしておりました」

 オピーマ邸に着けば、すぐにクーシフォスが出迎えてくれた。


「こちらこそお待たせして申し訳ありません」

 朗らかな笑みで返す。


 しかし、以後の会話は互いに上滑り。


 何を話して良いものか。変わり過ぎた立場が言葉を軽くする。


 当たり障りのない近況報告。物価高。大事な話で言えば各宿場町の動向。


 そのような話も、どこか流れ行き。


(いけませんね)

 と、マシディリは大きく息を吐いた。

 空になった肺を再び満たすと同時に座ったまま重心を直し、背筋もぴりっと伸ばす。


「クーシフォス様」


 声は、いつもよりもかなり硬質に。

 クーシフォスの口も止まり、背筋も伸びる。マシディリの強い視線と、クーシフォスのどこか弱い、折れてしまいそうな視線が交わった。


「申し訳ありませんでした」


 しかし、頭を下げたのはマシディリ。

 そう。マシディリが『頭を下げた』のである。


「マシディリ様っ」


 焦った声はクーシフォスから。

 がつん、と二人の間に隔たる机に膝かどこかをぶつけた音がする。


「家族を引き裂いてしまったのは私の力不足です。本当に申し訳ありません」

 あいたっ、とこぼすクーシフォスに対し、マシディリは真摯な謝罪を重ねた。


「頭を上げてください。これは、私が実力行使に出たからで、マシディリ様は何も悪くありません」

「いえ。スィーパス様の発言からもっと早く環境に気づくべきだったのです。甘えと油断が、このような事態を招きました」


「頭をお上げください」

 近くにクーシフォスが来た気配がする。

 その直感は、肩に乗せられる手によって確信に変わった。


 ぐ、と押され、それに押し返し。

 クーシフォスの手の力が弱まった瞬間に顔を上げる。


「ですが」と、眼光にはっきりと力を込めた。目に力を込めて。決して、眼球に残る堤防が決壊しないように。



「私の頭の中は、既にマルテレス様をどう殺すかでいっぱいです」


 クーシフォスの動きが止まる。


 当然だ。お前の父親を殺すと言われているのだから。怒らない方がどうかしている。怒鳴らない方がおかしい。暴れてくれ。いっそ、酷く罵ってくれた方が踏ん切りも着く。


 クーシフォスの目が、マシディリから逸れた。

 安堵の息が人知れずマシディリの口から漏れる。続く言葉に備え、体も無意識に硬くなった。


 クーシフォスの顔が戻ってくる。はっきりと、強さを漲らせて。


「私も協力いたします。私も、父上に引導を渡すのはできれば父上に近しい者であってほしいですから」


 それは、一番欲しくて、一番もらいたくなかった言葉。


「クーシフォス様」


「父上から渡された手紙は、読みましたか?」


 首を、横に振る。

 それは、マルテレス様からクーシフォス様への手紙ですから、と。


 少しだけ離れたクーシフォスが、懐から手紙を取り出した。


 マシディリがマルテレスから預かっていた物だ。届けるのが遅くなりかねないから、伝言と一緒にアビィティロに託してマンティンディと共に向かってもらったのである。


「妻とは離縁いたしました。父の意思も有りますが、私の決断です。あの家門は裏切ります。マシディリ様。即座の攻撃を注進いたします。


 それから、父上は決してオピーマが建国五門と同格などと思わないように、と。思うような者がいれば全員追放しておいてくれ、と仰せでした。それこそがオピーマの生き残る道だと。


 あれだけ強大になったセルクラウスが、エスピラ様まで一切建国五門と婚姻を結ばなかったのは、結べなかったのでは無くタイリー様のご意思では無いかと推測されています。


 土壌が無い場所に急に現れた傑物は危険すぎる。全てを破壊しかねない。


 オピーマを守るためならば、私は私の大きさで考え、建国五門に敬意を払い、そして一歩離れれば同じ人間として対等でいる様に、と。


 オピーマを残すために。

 私は、マシディリ様に忠実な騎兵となります。ですので、何卒、オピーマの汚名を雪ぐ機会を。よろしくお願いいたします」


 深々と、クーシフォスが頭を下げる。


(ああ)

 私は、どうしようもなく人の上に立たねばならないのだ。


 そんなこと、分かっていたはずなのに。

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