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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第三十二章
1270/1589

大事な人

 船室を叩く音がする。

 マシディリは、机に広げた各所への手紙を仕舞うことなく「どうぞ」と外に告げた。一泊おいて、扉が開かれる。


「失礼いたします」

 お呼びでしょうか、と入ってきたのは、アビィティロ。


 マシディリは、アビィティロに目の前の席を進めると、座るまで待った。座ってからもいつもより長く口を閉じている。足は肩幅に開いているが、腕は組んだまま。机の上の手紙達は片付けない。


 あて先は様々だ。


 クーシフォスやルカンダニエもあれば、サジェッツァ行もある。神殿関係者へだって多い。スペランツァに送る物もあった。


 ただし、クイリッタ宛てだけは此処に無い。


 ふう、と息を吐きだす。

 目は、下。手紙を追い続け。それでも、全身に僅かばかりに力がこもっていった。


「アレッシアのためでは無く、父上を守るために軍事命令権を得ようと考えています」


 目をすぐには上げられなかった。

 レグラーレやアルビタすらも下げている。完全な二人きりだと言うのに、マシディリはただただ机を意味もなく睨む以上に視線を上げられなかったのだ。


「ご協力いたします」

 肩が軽くなった気がしたのは、そんな返事が聞こえて。


「エスピラ様はアレッシアに欠かせない人です。エスピラ様を守ることもまたアレッシアを守ることに繋がりますでしょう。それに、様子を見るにマルテレス様の翻意は最早不能。ならば、親友同士で戦わせるべきではなかと思います」


 口を閉じたまま、目を合わせる。

 何も言うことは無い。二人して、頷き合うだけ。


 呼び出しはそれで終わった。


(軍団の素早い編成を)

 高官は、ヴィルフェットを軍団長補佐筆頭にして、ポタティエ、コパガ、ヒブリット、ユンバの旧伝令部隊による第七軍団とするべきだろうか。


(マルテレス様との約束では)

 迷うが、すぐに振り払う。

 第三軍団は刻限間際での編成に、それも数をそろえるために使わなければならない。


 マルテレスが攻め込むとすれば、基本はプラントゥムを通る北方迂回経路だ。そのプラントゥムにはサジリッオが副官として、オプティマがいる。マルテレスでも簡単に抜くことは出来ないだろう。


 時間をかければ、サルトゥーラの二個軍団がたどり着くのだ。

 副官はスペランツァ。スペランツァもサルトゥーラを良くは思っていないが、戦略は一致している。遅滞戦術だ。今、マルテレスの手元には有力な文官が存在していない。インテケルンが唯一全てをこなせるが、そのインテケルンは恐らく二番手級に担ぎ上げられるスィーパスと相性が悪い。


 そうなれば、スペランツァの狙いはマルテレス軍に二者択一を迫ること。

 食糧は少ないが最短経路を突き進ませるか、食糧は多いが回り道を進ませるか。


 インテケルンを始めとする食糧等の計算が出来る者達と、戦場での働きを第一とする者達を反目させる作戦だ。


 フィルノルドの一個軍団も加えれば、それだけで三個軍団。プラントゥムでも一個軍団ぐらいは編成できる見通しが立っているため、数は十分。後は、初戦で砕かれないこと。ただそれだけ。


 そして、サルトゥーラもスペランツァも、一撃で砕かれるような用兵はしない。


(新生第七軍団でクルムクシュを抑えた後、第三軍団を呼び寄せて対峙。いや、ティツィアーノ様と第四軍団も編成して)


 この第四軍団にボダートとスキエンティがいるのは良い。

 だが、クイリッタとコクウィウムも入れておくべきか、否か。


 アスピデアウス派から貰えるのならテラノイズやビユーディ。父から貰えるのならメクウリオやヴィエレ、ファリチェに代えてしまいたいのだ。


(いずれにせよ、まずやるべきは父上の動座とサジェッツァ様とのすり合わせですね)


 船が止まる。

 マシディリは、すぐに奴隷を呼び寄せ、手紙をあて先ごとに分けて配った。


「レグラーレ」

「はい」


「サジェッツァ様、いえ、お義父様にお会いして話したいことがあると約束を取り付けてきてください。場所はどこでも構いません。サジェッツァ様の御好きなように。

 それから、レティナーレ様にも。もうサルトゥーラ様を抑えなくて良いと伝えたいので、処女神の神殿か湖の神の神殿、運命の女神の神殿のいずれかで約束を」


 義姉に伝えるのは感謝と協力していただいたのに失敗してしまい申し訳ありませんとの言葉だけだ。だから、手紙だけで済ませても良い。しかし、筋を通そうと思えば直接会った方が良いのだ。


「行ってまいります」

「頼みます」


 レグラーレが水のように消える。

 見送るとともに、マシディリも船室から外に出た。


 大櫂船の七段櫂船の上。陸地よりも太陽に近い場所だ。


 マシディリは、快晴の空を見上げると、目の上に手をかざした。最短で着いたとは言え、船にいる間は新しい情報などほとんど受け取れない。混乱期に於いては、一気に話が変わっている可能性もあるだろう。


「プラントゥムの情報とトリンクイタ様の周りの情報を最優先で願います」


 船に早速上がってきてくれたリャトリーチに対し、挨拶もそこそこに告げる。

 リャトリーチは嫌な顔一つしなかったが、代わりにと言うべきか、港の方へと顔を向けていた。追ってマシディリも顔を向ける。


 空唾一つ。

 完全に動きを止めたマシディリは、「いってらっしゃいませ」の言葉で慌てて再始動した。


 鼓動が少しだけ早い。


 手を動かすだけのおざなりな挨拶になりそうだったのを何とか堪え、リャトリーチにしっかりと場を後にすることを伝える。


 逸らずに済んだのは、背筋が伸びるからだ。


 愛妻は、そう言う人である。子供達にも礼を徹底させているのだ。マシディリが出来なくては、子供達もやらなくなってしまう。


「べルティーナ」

 船にかけられた階段を急いで降りる。


「どうしてこちらに? もうしばらくカナロイアにいるはずでは?」


 矢継ぎ早の言葉にも、べルティーナの様子には余裕がある。ため息交じりに首を横に振り、仕方ないわね、とでも言っているようだ。


 マシディリが近づけば、ぺたり、とべルティーナの右手のひらが天を向く。


「マシディリさんが人恋しい時に傍にいるのは私の役目ではなくて?」


 ため息交じりの口元とは裏腹に、表情自体は堂々と。姿勢も胸を張って。自信に満ちたいつもの愛妻だ。


「辛い決断をしたのでしょう?」

 妻の顔からため息が消え、口元が引き締まる。

 同時に、マシディリの口はうっすらと開いてしまった。


「良く分かりましたね」

「あなたと夫婦になって何年だと思っているのかしら」

「そろそろ十六年ですか?」


 手を伸ばし、愛妻に触れる。

 やわらかい。あたたかい。

 物凄く安心するし、二度と手放せなくなりそうな温もりに満たされていく。


「そうよ。私はもうマシディリさんの妻で無い時よりも妻でいる時の方が長いの」

「そうでしたね」

「ええ。そうよ」


 べルティーナの後頭部に手を回す。

 さらさらとした髪に引っかかることなく、マシディリの手は上から下に流れていった。


 二度、三度、と手を動かす。腰に回した右手はしっかりと妻を抱き寄せ、左手で何度も髪を撫でる。されるがままだった愛妻も、やがてマシディリの後頭部を同じように撫で始めた。


「父上は、ディファ・マルティーマにいますか?」

「いいえ。昨日もセアデラさんやラエテルと一緒に庭で図上演習をしていたわよ」


「叔母上は?」

「誘っていたわね。でも、動かせなかったみたい」

「なるほど」


 マシディリの左手の動きがぎこちなくなる。

 べルティーナの手は、ゆっくりと止まっていった。


「エリポスとの連絡を保つためにも、父上にはディファ・マルティーマに動いてもらいます。子供達も移動してもらいましょう。幸いなことに、此処にはフラシまで行って帰ってきた船団がありますから」


「納得するかしら」


「していただきます。

 アグリコーラまではこちらで抑えられていますが、半島の大きな宿場町にはマルテレス様やマルテレス様に近い者達の愛人が住んでいます。彼らの旗幟を鮮明させるか、クイリッタやスペランツァが彼女らを寝取れるまで。それまでは、ディファ・マルティーマで半ば独立的に動いていただきます」


「色々、大変なことになるわよ」


 ゆっくりとマシディリはべルティーナから離れた。

 べルティーナの手も、マシディリの後頭部から肩、背中から腰へと移動する。


「ベネシーカ様の説得と女性特有の伝達網による切り崩し、それからサジェッツァ様への渡りはべルティーナにも頼みたいと思っています。

 それから、子供達も父上と一緒にディファ・マルティーマに移ってもらおうかと」


「良いの?」

「ディファ・マルティーマは、世界で一番安全な場所ですから」


 海に浮かぶのはウェラテヌスの船団。

 城壁はマールバラすら跳ね返した物がそびえたち、いざとなれば防御陣地群の復元も可能。経済力も半島第一と名乗れるほどであり、五万人が急に増えても衛生環境が悪化しない化け物都市。


 それが、ディファ・マルティーマなのだ。


「私は?」

 悪戯っぽくべルティーナが笑う。


「大事な宝物があるからこそ、そこに帰らねばと思えるのです」

「もう」


 べルティーナが頬を膨らませる。

 マシディリは、そんな愛妻の頬に手を添えると、素早く口を付けた。


「ですから、先に死なないでくださいね」


 私から、離れて行かないで。


「約束はできないわよ」

 しかし、そんな願いはあっさりと拒絶される。


「もしマシディリさんに愛人が出来たら、腹を掻っ捌いて引きずり出した内臓で愛人を絞め殺すから」


「え?」

 冷める、や、引く、などと言った想いよりも先に、眉が寄ってしまった。もう一度言ってみて、というような好奇心の方が勝っている。


 真っ赤になったのはべルティーナだ。あ、や、と細かな声を出しており、目も周囲をぐるぐると見るように動いている。


「これが、好きな人もいるって……。お義母様とか、言いそうかなと思っただけよ。忘れて。忘れなさい。忘れるのよ!」


 ぽかぽかぽか、とべルティーナの手がマシディリの肩を叩きだす。

 何でしたっけ? とマシディリは口角を持ち上げる。


 もしマシディリさんに愛人が出来たら? と一言一句違えずに告げて行けば、愛妻からの拳は威力を増していった。


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