お恨み申し上げる
「トリアンフ様を殺したのがエスピラ様ではないかと疑っていたのはどこのどいつだ?」
「ボストゥウミ。言葉が過ぎるぞ」
グエッラが騎兵隊長を素早く窘めた。
「その話が、アレッシアの存亡に関係があるとでも?」
コルドーニが涼やかに返し、続ける。
「真の貴族ならば優先順位を違えない。私は、兄上に関して一度違えてしまった。明らかな間違いを犯してしまった。故に、もう違えることは出来ない。
今大事なのはマールバラを討つことだ。
父上が生きておられたならばと思わないことも無いが、その父上が後継者に指名したタヴォラドの兄上と、そのタヴォラドの兄上と良く打ち合わせをしていたサジェッツァ様の方が信用できる。思うところがない訳では無いが、父上が私やトリアンフの兄上よりも期待し、サジェッツァ様が友と認めているエスピラも同意している策の方が確率が高いように見える。
無論、私もティミドの話を聞き、マールバラの動向を見ている内にそうするべきでは無いかと思い至ったよ。
夜半の戦いで経験したが、マールバラは気づけばこちらを包囲している。優位な位置からこちらを攻撃してくる。それを確実に打ち破らねば会戦で勝ち目は無い。
そうだな。例えば五万の軍団を容易に上回るだけの数を用意できたならば、私は会戦もありだとは思うが、用意できるのか?」
無理だとは言わないが、相当厳しい話である。
アレッシアは自国とある程度の権利を認めている同盟諸都市の十七歳以上六十歳以下の男子全員を兵とする体制を取っている。その数は百万にも迫ると言われており、数的には五万の捻出は五パーセントなのだ。
しかし、現実的にはそうもいかない。
全員戦えるのか? 病気は? 怪我は? 奴隷に任せられる作業は良いとして、そうでない作業を担ってきた者たちが全員出払ってしまったら?
もう一度言おう。できないわけでは無い。
しかし、今のアレッシアの状況でその考えが通ることは岩山を登るかの如き困難を伴うのである。
「難しいでしょう。五万を超える軍に包囲されないとなると、同数、否、七万は超えておきたいと私なら考えます。そうなれば騎兵も一万を超えかねない。それだけの人馬を飢えさせないのは普通の差配では不可能だと思いますが、あっておりますかね?」
グエッラの言葉は額面通りと言うよりも、コルドーニに対して弟ティミドを引き立てるために提案したのではないだろうな、と言う脅しも含まれているのだろうとエスピラは思った。
「用意できないのなら、私もエスピラ同様に会戦に反対するまで」
コルドーニは挑発には一切のらず、話の根本に立ち返る結論を投げた。
「ぶっ潰してやりたいのは事実だが、今会戦するってのはマールバラの思い通りに動いている気がして吐き気がするな」
イルアッティモが唾のごとく吐き捨てた。
その流れでディティキの使節に選ばれた理由が良く分かる凶暴な目つきで遠くを睨む。
「時期尚早は同意だ。アレッシアの神々の名において雷神風情をぶっ潰すのは当然のこととして、サジェッツァ様が神々にお伺いを立てている時にするべきことでは無い。そんなことして怒りに触れたらどうする」
乱暴な声音で、他国に喧嘩を売るための使節になったこともあるイルアッティモだからこそ兵に対しても一番効果がある。
例え神々にお伺いを立てる名目でサジェッツァが弁明に回っているのが事実だとしても、抑止力として神々の名は大きい。
「その神々の愛している土地が荒らされているのを見過ごすことこそ悪辣な行いでは無いか?」
とグエッラに賛同する者が言った。
「そのためにサジェッツァ様がお伺いを立てに行ったのだ」
とはサジェッツァの策に渋々ながらも了解の意を示していた者だ。
ある程度、発言する者が決められていたような会議から、誰しもが口を出すような雰囲気へ。
喧々諤々と喧騒が大きくなり、声も増えていった。
(会戦派がやはり多いか)
声が大きくなるにつれ、増えるのは予想通り。
「んんっ」
と、わざとらしい咳払いが大きく鳴った。
咳払いの主はフィガロット・ナレティクス。
エスピラと同じく建国五門の当主であり、エスピラよりも年齢による見た目の正当性、当主経験が豊富な人物である。そうなれば当然、喧騒も徐々に鎮火していった。
「会戦に及んだ故人たちも今と同じような状況のような気がしますな。何せ、負けると思って会戦に及ぶような輩はおりませんからなあ。故にただただ無策で会戦に挑む。時期だけ決めて焚きつける。うむ。誠に賛同し難い話。
現に、先の戦いは如何でしたかな。私は命令に従ってじっと陣にいましたが、いやはや、我が隊に被害は無し。されど打って出た隊はどうでしたかな、コルドーニ様」
コルドーニがジロリとフィガロットを睨んだ。
エスピラの目もやや細くなる。
「少なからず死傷者を出す結果になりました」
コルドーニがぶっきらぼうに言う。
「そうであろう、そうであろう。どこから出てくるか分からず、どれだけ出てくるかも分からない。歩いた先には敵兵がいて、影だけなら味方も敵かも知れない。いやはや、待ちに徹したそうではありますが、あの夜は良くても今後は同じ戦法で勝てますかな? 会戦となれば、ハフモニもこちらを全滅させる気でくるでしょう」
フィガロットがやけに饒舌に話し始めた。
くそったれな酒宴の夜を思い起こさせるような調子である。
「それに対してただ会戦だと主張するなど愚の骨頂。エスピラ様の申していた『タイリー様の遺言』とやらに従うのが、良いでしょうなあ」
シニストラが不敵な笑みを浮かべたような気がした。
しかし、エスピラはちらりとシニストラを見ただけで表情を緩めはしない。硬く、緊張を押し隠し平静を装うように整えたまま。
何故か。
分からない。強いて言うなら、勘、と言うことになるだろうか。余計なところに喧嘩を売ったからであろうか。
「いやあ、しかし。グエッラ様の申すことも間違っていないのもまた確か。
陽動に引っ掛かり逃亡を逃がしただけでは無く、山に釣られた者たちは少なからず被害を出してしまっておりますからなあ。このまま黙って下がっていては腰抜け連中だと侮られましょう。いや、既に言われておりましたかな?
まあまあそれはさておき、黙って見ていることは出来ないのは確か。
どうでしょうかな。小規模な戦いを仕掛けて、大きな会戦にならない内に引くと言うのは。
小規模な戦いならばたくさんしておりましたし、命令違反にも遺言を破ることにもなりますまい。戦意を失っているようにも見えますまい。
おお。我ながら何と良き策か。
冬になれば動きが止まるのは相手方。小規模な戦いばかりしておれば直に自滅するようには思えませんかな?」
「それは」
「良き策ではありませんか!」
これまでと同じだ、と言うエスピラの声はグエッラの歓喜の声にかき消された。
「このまま会戦しようだの避けようだの言っていても平行線。すぐに方針を決めないといけないのにこれではよろしくない。その点、フィガロット様の献策は全てを満たしている。そうだとは思いませんか?」
(思わないな)
否定は、心の中で。
残念ながら、エスピラはすぐにはこの策をひっくり返し、別の案を浮上させて堂々巡りを始めた会議を終わらせる手段が思いつかなかった。
それに兵の前だ。若輩者と罵られている中だ。
ただの否定は駄々に聞こえ、求心力の低下につながる。求心力の低下は発言力の低下と指揮能力の低下を招き、それらは軍団における立場の喪失に繋がる。
「終わったな」
エスピラは、小さく呟いた。
何がと他人に聞かれれば会議がと答えれば良い。そんな投げやりな思考で。
細々とした否定の言葉が飛んでいるが、フィガロットとグエッラによって論破されている。
仮に、フィガロットの策が実行されることになったらどうなるか。
軍事命令権保有者は代理とは言えグエッラだ。
小規模と言う名目で始まった戦いは徐々に規模が大きくなり、兵や民が会戦を望むようになれば会戦へと至る。護民官が本国で世論を作り、元老院を動かせば会戦の命が降る。
そして、それをできるだけの力がグエッラにはある。
(寝返ったか、フィガロット・ナレティクス。酒池肉林に溺れた建国五門の面汚しめ)
メルアへの肉欲を示した件。
今回の裏切り。
エスピラの中でフィガロットの評価は地に落ちた。
同時に、グエッラからの意味の無い粘土板の嵐はフィガロットからエスピラの注意をそらすためかとも思い至る。
始めから狙いはフィガロット。エスピラの上司に当たる彼。どうせ、命令を守る男。
此処を抑えれば、副官、元騎兵隊長、軍団長の三人が味方になる。独裁官が居なくなれば、抵抗を受けつつも自分の意思を貫ける。
(最悪な結果だ)
エスピラが一番恨むのは、まんまと政敵の策略に嵌った己自身だった。




