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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第三十二章
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エスピラの親友 Ⅱ

 陣営の発言と違うところがある。

 だが、マルテレス自身の発言だけで矛盾もあるのだ。


「父上が支えると約束しているのなら、能力に見合った立場にだってしてもらえます。反乱未遂とみなすなら、降格紛いの言い訳だって不可能ではありません。マルテレス様に戻ってきて欲しいと思っている人は、マルテレス様が思っている以上にいます」


 だから、きっと必要なのは感情。

 当初の推測通り。正論はマシディリの中では破綻は無くとも、マルテレスの中に納まった瞬間に破綻していくのである。


「もう引っ込みがつかないんだよ。俺に似て馬鹿な奴らが集まったからなあ」


 しかし、マシディリの嘆願もあっさりからからと笑い飛ばされる。


「サジェッツァも馬鹿だ。馬鹿真面目に対応するから、こうなった訳だしな。エスピラだって、しっかりと詰めていくように見えて甘いんだが、あいつは外からはそうは認識されないのもまた欠点だよなあ」


「その調整をするために私がいるのです」

「知ってるよ。きっと、マシディリならできるってこともな」


「なら、どうして」

「馬鹿だからかな」


 姿勢には余裕しか見えない。

 こちらを害する気も見えないし、こちらからの攻撃に対抗できるようにも思えない。


 部屋の中では二人きりだが、扉の外にはアルビタがいるはずなのだ。足音から考えるに、マルテレスは護衛を連れてきていない。それでも、マルテレスは心からくつろいでいる。


「誰もマシディリに会わないのは、絆されると分かっているからだ。だから、会いたくない。マシディリならどうにかするんじゃねえかって思ってしまう。賭けたくもなる。


 昔は建国五門の生まれで、祖父はあのタイリー様。父親はエスピラっていう生まれからの期待だったな。今は、功績だ。マルハイマナ戦争ではマールバラと同じように少ない兵力で多数を包囲殲滅したし、そのマールバラに勝ったイフェメラにも勝った。誰もが為しえなかったマールバラへの止めもマシディリが刺した。


 抜群の軍功を持っているけど、ウェラテヌスの特技は外交だろ? 俺らには効果抜群すぎるんだよ」


 それなら、とマシディリは声を震わせた。


「戻ってきてくれれば良いではありませんか」


 懇願するように。

 縋り付くような訴えを。きっとどうしようもないのだと、心のどこかでは理解しながら。


「マシディリ。最強の将軍と言えば、誰だと思う?」


 答えは待っていない。

 そう言わんばかりに、マルテレスが両手を広げ、胸を張った。



「みんながこう答える。『マルテレス・オピーマ』だと。俺も異論はない。俺がアレッシア最強の軍事命令権保有者だ。


 でも、勝てる可能性がある者はだれか、と聞かれても、皆がこう答える。『マシディリ・ウェラテヌス』だ、と。

 皆期待している。ひょっとして、と思っちまう。マシディリなら、マルテレス・オピーマにも勝てるんじゃないか? って。


 皆だ、マシディリ。アレッシアに居る奴等だけじゃない。此処にいる奴も、皆。皆がそう思っている。最強に勝ちうるのはただ一人。


 オプティマでも、グライオでも、ティツィアーノでも無い。

 マシディリ・ウェラテヌスが、マルテレス・オピーマに勝てる可能性があるってな。逆に言えば、此処にいる奴らはマシディリが出てこない限り勝利を硬く信じている。


 だから、俺は逃げられない。

 お前が出てくるのなら本望だ。


 白黒つけないで何がアレッシアの英雄だ。最強の将軍だ。此処で尻尾を巻いて逃げるのは漢の道じゃねえ。


 間違っていようが関係ない。夢を追うのを止めた時点で死体も同然だ。


 インツィーアの大敗直後にアレッシアに勝利の報をもたらし、マールバラと互角に戦い続けた。イフェメラにも勝ったし、アイネイエウス以外には常に互角以上に戦ってきた。


 若い時分に多くの者がなりたいと夢を見て、大きくなってからもその者に夢を見る。それが最強の将軍だと言うのなら、たった一人のその称号を戦わずして手放すことはあり得ない。


 これも、嘘じゃないぞ?」



 くすり、と、マルテレスが挑発的に口角を持ち上げた。


「軍事命令権保有者はサルトゥーラ様です」


「いんや。サジェッツァが取り仕切っていても、必ずエスピラかマシディリを本命の軍事命令権保有者として使うな。エスピラがなったとしても、マシディリは副官か軍団長として使うだろうな。

 必ず戦うことになる。

 神々と父祖が用意してくださるさ。最強を決めろってな」


「最強はマルテレス様です」

「ああ。知ってる。だが、負けのあり得る最強は、俺の欲しい最強じゃない」


 大口を開け、マルテレスが早朝の空に笑い声を轟かせる。


「悔いの無い軍団をそろえて来い、マシディリ。アビィティロ、グロブス、マンティンディ、ルカンダニエ、アピス、ウルティムス、アグニッシモ。全員がマシディリの下に集ったら、その時にやり合おう」


 マシディリは、親指を人差し指の側面にこすりつけた。

 顔は下がり気味。マルテレスの顔を直視はしていない。


「それでは、ディーリー様もトルペティニエ様も欠いているマルテレス様の不利が過ぎます」


 軽い足音が、目の前で鳴った。

 顔を上げた直後に、額に軽い衝撃を受ける。指で弾かれたようだ。弾いたマルテレスは、笑っている。


「老人ばっか集めてどうすんだよ。それに、こっちには経験もあるしな。欠けてようやく完成することもある。それに、ディーリーに勝ったのはマシディリだ。トルペティニエを討ったのは俺だ。二人の勝負なら問題ない。だろ?」


 多くの人を巻き込みすぎです。

 わざわざ最強など決めなくとも。

 そんなことを言っても、無駄だろう。


「ああ、それからな、マシディリ。クーシフォスに、離婚した方が良いって伝えておいてくれないか? もちろんクーシフォスが嫌なら良いんだけどよ。俺は、父親として離婚しておいた方が良いと思うなあって」


 ほい、と手紙を握らされる。


 発言の意図が分からないマシディリでは無い。戦略的な意図、政略的な婚姻の意味を思えば、クーシフォスの妻の実家がどう動くのかもわかってしまう。


 だが、それに基づいて今から行動をとるのは違う気がした。

 犠牲が増えるのは理解している。為政者としては正しくないだろう。でも、男として、そして弟子としてはマルテレスの行動を元には動きたくなかった。


「かしこまりました」


 手紙を握りしめ、心臓を隠すように懐に仕舞う。


 手紙は、熱がこもっているようだ。しっかりと温かい。マシディリと会うことに決めたのは、この手紙をクーシフォスに渡すためだとすれば、説得は不可能だ。同時に、父とマルテレスが親友なのだと強く実感せざるを得なくなる。


 父も、子のためならば悪役にだってなる。

 クーシフォスを守るためならば、マルテレスはこれまでの名誉など全て捨て去れるのだろう。それでもの名残が、最強と慕ってくれる者を傍に置き続けることか。


「サジェッツァ様は、マルテレス様の予想通りに父上をマルテレス様にぶつけるつもりです」


 小さく言う。

 それから、力強い眼光をマルテレスにぶつけた。


「ですが、師匠は弟子の手で終わらせます」

「それで良い」


 敬愛する師匠は、朗らかに笑っていた。

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