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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第三十二章
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漢の言葉 Ⅱ

「生まれてこの方苦労などしたことの無いお坊ちゃんには分からないでしょうがねえ、海運に従事しているだけで一気に出世の門が閉ざされてきたんだよ。こちとらよ。

 それでも、父祖はこれで家族を養って来たんだ。そして、今、やっと、父上のおかげでオピーマにも武の一門としての道が開けてきた。それなのに海運に力を入れろ? 


 ふざけるのもいい加減にしろ!


 それはな、オピーマに元の位置に戻れと言っているのと同じなんだよ」



 大分口調が違いますね。

 マシディリの感想は、まずはそれだった。


 立ち上がった当初こそ踏み抜いたかと思ったが、次の言葉ではもうどうでも良くなってしまったのである。言い換えれば、冷静になった。


「それは」

「マシディリ様」


 声が重なる。

 マシディリは、視線で『譲ります』とアビィティロに伝えた。


「まずは、スィーパス様の御言葉に対して、両名、特にインテケルン様から何か反論はございませんか?」


 良く見れば、レグラーレの鼻の穴も大きくなっている。


(ありがたいことですね)


 自分のことのように怒ってくれる人が居ると言うのは。


「スィーパス様も。訂正するならお早めに。

 その程度の周囲への理解で自身に注がれる蔑みの視線を語るなど、片腹痛いことこの上ありませんから」

「苦労を知らないわけが無い」


 発言者のイエネーオスは、スィーパスを見ることなく、こちらに届くようにしながらもぼそりと言い切った。やや傲慢に続きを促すように顎を動かしてもいる。


「武の家門になると言うのなら、命令違反を繰り返して戦略を崩壊させた罪は誰よりも重く償う必要があったかと思いますが」


 イエネーオスの態度による問題か、マシディリに答えさせることなくアビィティロが入り続ける。


「舵を切り始めたばかりだ。そのあたりはご教授願いたかったが、如何せんトリンクイタにねちねちと責められていては教えを請うこともこちらから諭すこともできなかったのでね」


 あちらも、スィーパスが吼える前にイエネーオスが答えている。


(ここいらで切らないと、ですね)


 やりたいことは、喧嘩では無い。



「黙っていることが不服が無いことと同義で無いのは、私も良く存じているつもりでした」


 苦言を伝えられるのも、この程度まで。

 同時に、トリンクイタの件で謝罪もできない。トリンクイタのアスフォスへの責めの執拗さに思うところはあるが、先に仕掛けたのはアスフォスであり、アスフォスの独断を認めた者達なのだから。


「ただ、海運従事者に対する蔑視は私の理解が大きく足りていなかったと、今、理解いたしました。第二次ハフモニ戦争以前、いえ、第二次ハフモニ戦争中もマルテレス様がマールバラと互角に戦えると周知されるまでは耐えがたき屈辱も多かったと思います。その後も、マルテレス様が特別なだけだと思われていたかもしれません。


 しかし、これは古い価値観にしないといけないとは思いませんか?」


 郎、と声を張り、両手を広げる。

 左腕から垂れるペリースが、マシディリをより大きく見せているはずだ。



「アレッシアは、昔、都市国家でしかありませんでした。そこに建国五門が根付き、柱となって成長させていったのですが、結局は半島の中の存在。領域も全て陸続き。


 しかも、第一次ハフモニ戦争の発端の一つがアレッシア人は海を一滴も汲むことができないと言われるほどの不平等な条約です。


 その不平等を打ち破り、海を手に入れたのが第一次ハフモニ戦争以後。私の祖父であるタイリー・セルクラウスが若い日の話です。それ以前の海運には、やはりアレッシアの外の者、他国に魂を売った売国奴の意味合いもあったことでしょう。ハフモニに苦しめられたのならなおさらです。


 次に行われた第二次ハフモニ戦争は、マルテレス様やサジェッツァ様、父上が良く挙げられますが、元老院の主流はお爺様と同年代の者達からタヴォラドの伯父上、いわばタイリー・セルクラウスの子世代の話。軽蔑の色が濃く残る親から話を聞いて育った世代です」


 一つ、区切る。


「ですが、今は違う」


 顎を少し上げ、目も開く。

 声量は変えるつもりは無いが、此処からは口も心なしか大きく開いて。



「アレッシアの影響地域における西端は此処フラシ。北方にプラントゥムが広がり、南に行けば朋友のマフソレイオがいる。エリポスよりも東方、マフソレイオから見ても東方の地域も最早アレッシアの勢力圏。


 海を使わずして、領域国家アレッシアの存続はあり得ません。

 海運無くして、領域国家アレッシアの発展はあり得ません。

 海を制せずして、アレッシアはアレッシア足りえないのです。


 父上はマルテレス様にその道を提示されました。マルテレス様も一度は理解を示したと聞いています。インテケルン様も、即座の抗議に来なかったと言うことは心が動いたと言うことではありませんか?


 噂とはなかなか消えぬモノ。

 私も良く知っています。身をもって、実感しています。


 だからこそ、私達新しい世代による新しい価値観の、その価値観を浸透させることが大事なのではありませんか?


 アレッシアを変える。功績としては一緒。オピーマが建国五門と同格だと言うのなら、為すべきことは内部からの改革です。新しいアレッシアの形に大きく寄与した新しい柱となる家門として、オピーマを刻むべきです。


 為すべきことは暴走ではありません。

 アレッシアの外に勢力圏を築くことではありません。


 アレッシアの内部で、戦うこと。一緒に、手を取り合って、古い価値観を削進し、守るべきモノは守り、新しいアレッシアを作り上げること。


 それができるのはオピーマしかいません。


 未だに名声がある建国五門に認められ、アレッシアの有力者として当主の名が上がり、派閥の中核であるオピーマが積極的に取り組まずして、誰に為せるのでしょうか。


 戦場はフラシでもプラントゥムでも、ましてや刃を交える平野でも無い。


 私達が戦うべき場所は、元老院の議場とアレッシア人一人一人の心の中だ!」


 素早くインテケルンが立ち上がる。

 椅子は乱雑に机に戻され、勢いを殺し切れずにインテケルンの足へとぶつかり戻っていった。


「順番が違う」

 音量はあるが、声に芯が無い。


「サルトゥーラ・カッサリアの軍事命令権を取り下げるのが先だ。それが為されない限り、もう交渉することは無い」


 言い終わるまでこちらを見ず。

 言い終えては横顔すら見せず。


 インテケルンは、すぐに背を向け、足早に扉へと向かっていった。


「対象がいなくなれば軍事命令権は意味をなさなくなります。場所もそう。

 アレッシアにマルテレス様が戻ってきてくだされば、サルトゥーラ様の軍事命令権は矛盾を孕んだモノとなり霧散いたします。


 どれだけの情報を掴んでいるのかは分かりかねますが、突き崩せば脆い軍事命令権にまで落とすことには成功しました。数多の条件は、一切講和に対応できていません。交渉継続の姿勢だけでも示してくだされば、幾らでも。サルトゥーラ様の軍事命令権の期限だって長くはありません」


 大きな声で、出て行く背中に呼びかけて。


「これを誠意と思ってくだされば、ひとまず、今日の会談は成果があったものだと願えます」

 最後の一文は、残ったイエネーオスとスィーパスに。



「マシディリ様の、その、坊ちゃん思考が。昔から嫌いだった」


 最初の返事は、唾を吐きかけられるようなモノ。

 しかし、スィーパスは何度も詰まり、「嫌いだった」まではマシディリと目が合うことも無く。

 こちらも足早に部屋を去っていく。


「ルカンダニエは、さぞかし幸せ者だろう。だが、船の定員は決まっている。材質は浮かべてみるまで分からない。私はこちらに賭けた」

 羨望から、決意へ。それから、宣誓に。


「二言のある漢になりたいと思ったことは、一度も無い」


 イエネーオスの言葉は、はっきりとした決別。二人とは違う、堂々とした退室で。


 この後の一週間、マシディリはアンネン・アプロバシレイオンに滞在を続けながら何度も会談の打診を行ったが、フラシ人以外と会うことは出来なかった。

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