漢の言葉 Ⅰ
大通りだと言うのに人通りは無い。
露店は並んでおり、品ぞろえもしっかりとしているが、店主も体を半ば隠しているような状態だ。当然、子供達の声と言うのも聞こえてこない。
僅かばかりに存在する歩いている人も、うつむき気味。歩幅は小さく、つま先もやや内向きに思えた。
これだけなら、まだマルテレスら新たに入ってきたアレッシア人に対して恐れを抱いている可能性もある。
そうでは無いと明確に訴えてくるのは、マシディリに注がれる敵意のある眼差しと恐怖の視線。正確には、緋色のペリースに対して注がれている。
ウェラテヌスと判明してから。
あるいは、マシディリと分かったから。
これがアンネン・アプロバシレイオンにマルテレス陣営が入ってからの民の状況ならばまだ良いが、元からだと不味い状況である。
フラシとの交渉は、きっと失敗してしまうのだ。
今もマルテレスに対して懇願を繰り返しているのかもしれない。
(ノトゴマ)
神罰による死ならば、確かに表立っての意見はできなくなる。
それでも、フラシ人には不義理と映ってしまったのだろう。
対して、受け容れたのはオピーマ。交渉もそうだが、フラシ遠征の後に旨味を得られていないのもオピーマならば、フラシ人はより近しい者と判断していてもおかしくない。
「お待ちしておりました」
全く歓迎の色の無い声は、インテケルンのモノ。
横にはスィーパスが居て、イエネーオスが居る。
「マルテレス様は?」
「交渉者の格を合わせたまでです」
マルテレス直筆の手紙が無い時点で想定はしていた。
「メンサン陛下の案内なのですが」
マシディリは頬をかくような声で返した。
「あくまでも案内です」
インテケルンは、取り合ってくれない。
イエネーオスが臣下の礼を以てメンサンを出迎え、新たに来たフィラエがメンサンを案内していく。きっと、あちらにマルテレスが居るのだろう。
「こちらに」
インテケルンが背を向け、歩き出す。
マシディリが続き、右斜め後ろにアビィティロ、左斜め後ろにアルビタがくっついた。その二人を外から見るようにイエネーオスとスィーパス。その一歩後ろでレグラーレ。
誰もが剣に手を掛けているような雰囲気だ。
同時に、誰もが剣の傍に手を持っていこうとはしていない。
一言も発することができないまま部屋にたどり着いた。
机を挟んで右側に並ぶのはオピーマ派。左がマシディリ達。ただし、マシディリの目の前、中央は空いていた。多分、マルテレスの座る場所、と言うことなのだろう。
「まず、何かを勘違いされているようですが」
早速切り出したのはインテケルン。
「私達はアレッシアのために先んじてフラシを安定化させたに過ぎません。然るべき時が来ましたら、アレッシアに戻るつもりでおります」
変節か時間稼ぎか。
恐らくは後者。マシディリへの警戒にしても、街中の人通りが少なすぎるのだ。兵数が思ったほど集まっていないのだろう。
「然るべき時の判断基準と、軍事命令権の無い中での行動を正当化する理由をお聞かせ願えますか?」
「メンサン陛下は随分と信頼を失ってしまっております。これをお支えし、フラシがメンサン陛下の下で一等の安全を得た時、というのが然るべき時。
軍事命令権に関しては、今からでも神託を賜れば問題ございません。私共は、神の声に従う用意がございます」
そうくるか、とマシディリは思案した。
嫌な手だ。でも、これで済むのなら良い手である。
「すぐに本国にお伝えいたしましょう」
「どなたに?」
「クイリッタを介して父に」
ふむ、と言わんばかりにインテケルンが唇に手を当てた。
動かせる場所があれば足を組んでいそうな雰囲気である。
「私の意図と父上の意図をくみ取ることに関しては、クイリッタの右に出る者はおりません」
だから、先んじて手を封じさせてもらう。
インテケルンの表情に変化は無い。イエネーオスも不動。唯一、スィーパスが顔を向けて来た。
「そちらも、軍事命令権が無い状態で軍団を動かしたことがあると思うのですが」
いつもの気弱さを取り繕ってはいない。
なるほど。クイリッタの言う通り、クーシフォスよりも前に出る覚悟が決まったと言うのだろうか。
「全く心当たりが無いのですが。言ってくだされば、その時の意図と動かせた理由をお伝えできますよ?」
顔の位置は一切下げず、声音だけ下手に出ておく。
「北方諸部族との抗争では、父上が動く前に開戦していた」
「あれは財務官の護衛の範疇です」
「イフェメラの反乱時。アグリコーラで。兄弟と共に!」
「近しい者に呼びかけて身の安全を図っただけです。イフェメラ様の標的にはアグリコーラに駐屯するアスピデアウス派の者達も含まれていましたから。合一すれば、そこそこの数にもなるのですが。それでも、まだ一部隊と言い切れるかどうかの数でしか無かったと思います」
「カルド島やディファ・マルティーマで自由に徴兵できるじゃないか!」
「アレッシア防衛に於ける危急の時の措置です。例えば、フラシでの乱が見過ごせない大火となり、アレッシアにも火の粉が降り注ぐようでしたら二つの玄関口、カルド島とオルニー島の兵を素早く結集させて向かわせるのが今のアレッシアの法に則った行動です」
「それがおかしい! フラシ平定に一番の功績があるのは、オピーマ派だ。私やプノパリア、イエネーオスは第一次にも第二次にも従軍している。ならばフラシの変事の火の粉がアレッシアに降り注ぐ前に対処するのは、私であるべきだ!」
此処まで一貫していると、マシディリは逆にすがすがしさすら感じてしまう。
同時に見えてくるものもある。どのような者達がオピーマの近くにいるのか。あるいは、ある程度一緒でもクーシフォスとその他の兄弟では家庭教師が違っているのかもしれない。
ソリエンスにオピーマに近づかないようにさせていたのは、このためか。
いずれにせよ、アレッシアの事情に精通した者が家庭教師だった訳では無いのだ。
(同時に)
如何に、ウェラテヌスがこれまでオピーマを監視してこなかったのかも明らかになってしまう。
エスピラが、どれだけマルテレスを信頼していたのか、を。
「あくまでも、スィーパスの意見だ」
交渉の一団として話を取り下げてきたのはインテケルン。スィーパスに睨まれているが、そうか、父からの報告では第一次フラシ遠征の時から二人は仲が良くは無かったか。
「法には従う。だから、アスフォス様達を呼び寄せてはいないだろう?」
(そこも、ちぐはぐなのですが、ね)
扇動力に期待して残している、ということだろうが。
(ですが)
このまま会話を続けても、いつ終わるかも分からない糾弾に対して答えを一つずつ投げていくだけ。
欲しいのは、マルテレスとの直接交渉の場だ。
そのためには、どうするべきか。
マシディリは僅かに巻き込んだ下唇を口内にて舌で舐めた。
「建国五門に力が集まっているように見えるのは本当のことです。建国五門だけが特別なのかと言われれば、その通りですとしか返しようが無いでしょう。
しかしながら、父上は提案されていました。
新しいアレッシアの形を。そのためにオピーマに中心的な役割を担って欲しいと。そう打診していたはずです。
西はフラシ。東はイパリオン。広大なアレッシアの領域をアレッシアを中心に結ぶ新しい領域国家の形を示してはいませんでしたか? その中で、海上の中心をオピーマに担って欲しいと。建国五門では無くオピーマに頼んでいたはずです」
声に力を籠め、立ち上がったと錯覚させるような音を。
マシディリは、しっかりと目の前の三人に押し付けた。
「海運に従事する者は結局蔑まれる! ウェラテヌスは、そこが分かっていない!」
反論は、本当に立ち上がったスィーパスの咆哮であった。




