微笑んだ Ⅱ
シジェロの右手の傍には血濡れた短剣がある。血濡れた短剣は、ゆるりと握られた手からこぼれ落ちるようにして地面に刃先を着けていた。
他にも占いの道具と思わしき物がいつも以上に揃っている。
ただし、占いの道具は基本的にシジェロから離れて配置されていた。何度か通ってきたが、見たことの無い配置である。意味など無いのかも知れない。
「保持を。触らないで下さい」
相手はシジェロ・トリアヌス。
何らかの意図を潜ませていてもおかしくはない。
「やけに綺麗な服ですね」
アビィティロが言う。言葉の先はアピスだ。
「用意できる中で最高級の、というのもシジェロ様からの要求でした」
マシディリは、シジェロの死体に近づいた。しゃがみ、一部を手に取る。紫だ。他にも本人が好む色を基調に、紫も入れている。
父のペリースに用いられている紫は、毒害を染料にしているのだ。自然、それだけで値は張ってしまう。生地も良ければ、その値段はシジェロに賄うことなどできるのだろうか。
(ん?)
紫を持ち上げたことで、かさり、と音が鳴った。
パピルス紙だ。辺が少々削れている物と、新しい物。
持ち上げた場所から流れるようにマシディリの足元までたどり着いたのは、新しい方だ。
『炎そのもの』
大きく書かれているのは、その一文。
『アレッシア人にとって炎とは大切なもの。また、炎と一口に言っても大きさによっては人が移動してできる風にも負け、ある程度の大きさがあっても風雨から守らねばならない。しかし、ひとたび大きく成れば街をも呑み込み、山を焼き払う大きさにも成る』
次の文章は小さく。されど、情感が籠り、崩れてはいない。
『順調に育てばエスピラ様に比肩するか、あるいは、もっと』
最後の一文は、先よりは大きく。そして文字も崩れて。
(私の占いだ)
父がシジェロに占わせた、マシディリ・ウェラテヌスの神託である。
そして、このパピルス紙は新しい。多分、足りないと思って付け足した文章だ。だから、少し長い。となると、中間の文章は思い出か。父と話した内容だろうか。
マシディリは、手早く古い方のパピルス紙を開いた。
中央にでかでかと書かれているのは『これで私の方が先に会える』との一文。
斜めに。堂々と。勝ち誇るかのように。
その下。書かれている文はこれまた神託。
『既に火種を失った。見失った。大事な火種だったのに。数多の炎の中に見失った。
されど火種は微笑んだ。太陽のもたらした影をも照らす、愛しい炎の僅かに先で。消えてった』
急速に指先が冷えていく感じがした。
心臓がうるさい。痛い。口から出てしまいそうだ。出てこずとも、ろっ骨を打ち破り出てきてしまうかも知れない。
第一次フラシ遠征に関する、占い。
マルテレスに関する占いで出た神託。
その意図は、マルテレスが失うモノだとばかり思っていた。
「炎、そのもの」
あえぐようにしながら、マシディリは乱暴に新しいパピルス紙を手に取った。
自身が炎。なら、両親は火種と助燃材。
「火種は、ほほえんだ」
父、ならば。
「太陽のもたらしたかげをも照らす、いとしい炎のわずかにさきで」
消えてった。
ぐしゃり、と音が鳴る。
「シジェロ!」
マシディリは、両手で死人の襟をつかんだ。勢いのままに首がもげんばかりに揺れる。しかし、当のシジェロは微笑んだまま。
「答えろ! 分かっていたな! 父上が死ぬと! 答えろシジェロ・トリアヌス! 占え! どうすれば回避できる。答えろ、シジェロ! 母上を舐めるな! 今お前が死んだところで、先に会える訳が無い! 母上が、父上に隣に別の者が立つのを許すと思うなよ!」
唾を飛ばし、ぐわんやぐわんや、と。
死体を揺らし続ける。
体はまだ温かい。ならば生きているのでは無いか。悪戯好きな奴でもあるのだ。きっと、目を開ける。だいたい、いつまで目を閉じているつもりだ。このままなら本当に首をやるぞ。
それぐらいの勢いで、揺らし、顔を近づける。
「神託を! ふざけていないでさっさと占え!」
「マシディリ様」
ぐい、と後ろに引かれる力を感じた。
意識が腕に行けば、どうやら他にも数人に体を掴まれていたようである。
「アビィティロ。治せ。まだ、やってもらわないといけないことがあるのです。治してください。早く!」
喉が裂ける。
ほのかに血の味がした。
アビィティロは、ぐ、と眉を寄せている。
早く、と今度はマシディリも表情だけで訴えた。アビィティロがマシディリから手を放し、シジェロの首に手を当てる。
光は、出てこない。
白いオーラが放たれない。
「アビィティロ」
「既に脈がありません」
「アビィティロ!」
アビィティロの手が、シジェロの瞼を開ける。
中身は、瞳孔が開き切っており不言色の目が黒々としていた。
死体の目だ。
もう、何度も見て来た。
思わず、大きく息を吐いてしまう。
マシディリは尻からぺたりと地面に体をつけた。
「読んでも?」
レグラーレが言いながら、どこかを指さした。
目を向ければ、ぐちゃぐちゃになったパピルス紙に行きつく。
「ああ」
適当に渡す。レグラーレが受け取れば、他の人もレグラーレの後ろに行ったようだ。目に右手を当て、親指でこめかみを押し続けるマシディリからは見えないが、足音ではそう推測できる。
(愛しい炎の先で)
「ふざけるな」
小さな呟きに、また衣擦れの音が聞こえた。あえて反応はしない。
(私の目の前で、むざむざそのような真似をさせるものですか)
ならば、どうするか。
人を殺せる眼光を自身の手のひらにぶつけつつ、マシディリは頭を回転させる。
「マシディリ様が動くことを見越しての可能性もあります」
「動かなければ変えられません」
アビィティロの言葉を一蹴し。
ぐ、と拳を握りしめるとともにマシディリは立ち上がった。
「アピス。伝令を。叔母上に父上を呼んでもらいます。もちろん、ユリアンナからも。
それから、チアーラに。今から行くと伝えてきてください。用があるのはモニコース様です」
「かしこまりました」
「頼みます」
出て行くアピスを見ながら、マシディリは次の口を開く。
「アビィティロとパライナは此処の検分を。他の情報が落ちている可能性も十分にありますので、徹底的に洗ってください。
レグラーレ。ディファ・マルティーマから艦隊の一部をカルド島に移動させます。その通達に行ってください。ヴィルフェットに頼み、オルニー島にも艦隊を集めましょう」
「戦うつもりですか?」
アビィティロの言葉には、軍事命令権も無いまま、サルトゥーラより先に、という意味があるのだろう。
「いえ。直近の方針は変わりありません。交渉するために、です。マルテレス様と交渉を行い、戻ってきてもらいます。
当初、処女神の神殿では「小火を消して火種を失う」と出ていました。此処での小火はフラシのこと。火種は父上ならば、現時点で失っているのはマルテレス様。戻ってきても、確かに失ったままでしょう。
ですが、此処までにします。
これ以上は進ませません。
交渉で戻ってきていただくために、準備を進めるのです。勝てないと分かっていただくために。不利益を了承していただくために。交渉のために武力をちらつかせるのです」
それも、嫌味にならない程度に。
(そして)
同時交渉で、軍事命令権を自身に付与してもらうために。




