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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第三十二章
1263/1592

微笑んだ Ⅰ

 ため息とともに誇らしさを抱く。


 それでこそ父上だ、と。


 暗殺を恐れて隠れるのも、大勢を連れ歩くのも良しとしない。常に堂々と、シニストラは連れるが少数で出歩く。それがエスピラ・ウェラテヌスの性分。


 今回もそれが存分に発揮されている。


 スッコレト・マンフクスによる剣闘士奴隷を率いた反乱。この乱は小規模であり、ナレティクスによって即座に鎮圧されたモノであるが、狙いは明らかにウェラテヌス。しかも、乱を始めとする自身への悪感情の発露を確かめるように情報を流していたのにも関わらず、エスピラは正面からアレッシアに帰還したのだ。


 しかも、ただ帰っただけでは無い。

 乱を手引きした者。反乱軍に物資の提供を行った者。反乱軍に対して好意的な返事をした者に対して、父と長弟は次々と処罰を下していた。


 マンフクスはもう立ち直れないだろう。攻撃の手は、半島を走る街道沿いの宿舎や神殿関係者にまで及んでいる。

 近々で二度も舐められたと判断されればどうなるのか。マシディリがアレッシアを離れたのが答えである。



 やはり、アレッシアはエスピラの意思を無視しては動けないのだ。


 その父でも、軍事命令権保有者の件を覆すことは出来ない。



 最高神祇官の発議なしの緊急的かつ奇襲的な発布であっても、軍事命令権に必要なものの一つは神々の意思。決定が降れば、それは神の言葉と同義。

 否定するには、同じく神の言葉が必要だ。それも、相手がアレッシアの守り神たる処女神ならば、どうにかして処女神の言葉を引き出すしか手が無い。


 近年で二番目に敏腕の処女神の巫女と言えば、フォンス。パラティゾの二番目の妻。ならば、ひっくり返そうとすれば一人しかいない。


 問題は、そのために過剰な権威を与えてしまうこと。


(それを手土産に、とは、いきませんよね)

 重いため息は口内で堪え、飲み下す。ずしん、と腹の底まで重石が落ちていったようだ。視界も、足元が中心となる。


「一人で百面相して、楽しいですか?」

 後ろをついてきていたレグラーレに言われ、マシディリは顔を上げた。


 前方にはパライナとアビィティロ。後方にレグラーレとアルビタ。別に、表情はそこまで取り繕う必要は無い。


「思うところはあるかも知れませんが、エスピラ様も彼の巫女の腕には信頼を置いておりました。説得の材料としてはこれ以上無いかと思われます」


 ただし、父は闘鶏を用いてシジェロの提案を拒絶している。

 その要素を考えれば、父を説得できてもアレッシアを、というのは厳しいのかもしれない。


「頼みたいことは他にもありますから」

 短く、されどしっかりと息を吐き切り、前を見る。


 説得したいのは父やアレッシアだけでは無い。師匠に対しても、だ。


 与えられた猶予は三か月。ハフモニで降り立って、フラシに行くだけでも月日を消費するため、行けて二回。ほぼ一回の訪問で決める必要があるのだ。


 マシディリは、この訪問に前後して義父にも協力を求めていた。マルテレスと親友であるサジェッツァだからこその説得もあるはずだ、と期待していたのである。


 しかし、サジェッツァは動かせなかった。

 べルティーナや義母伝手にとも考えていたが、義姉が止めに来ては難しいモノもある。しかも、「父上を死なせたくない」と言われてしまえば、マシディリの喉も重くなってしまった。


 サジェッツァはもう六十二。そろそろ完全に隠居してもおかしくはない。体に無理も利かないだろう。体調が崩れれば危ういこともある。


 それを思えばやめて欲しいと頼み込まれてしまったのだ。


 無論、義姉もただで頼み込んで来た訳では無い。交換条件として、サルトゥーラが期日ぴったりに動き出そうとすればそれを抑えてくれると約束してくれたのである。


 伝令の到着時間や各地の状況、反乱の動き、情報の遅滞をするとすればどこがやられやすいのか。

 そのあたりを使って時間を稼ぐ、と具体例まで出してもらったのなら、マシディリとて呑む以外の選択肢は無い。


「どちらかと言えば、対価が不安、と言うことでしたか」

 アビィティロが言う。


「ええ。できれば、日付表も作って欲しいと思っていますので。考える時間を与えてしまうことになってしまうのが、どうも」


 ふう、と息を吐く。


 父の代替えで満足してくれるのなら、まだ良い。父そのものを要求されれば、本末転倒だ。


(代替え)

 本当に良いのか、と過ぎる。

 思い浮かぶのは、当然妻。最愛の人。


 マシディリの拳が硬くなる。


「父上をアレッシアから引き離すだけなら、叔母上に動いてもらえば何とかなりますかね」

「そのことも聞いてしまえば良いのじゃありませんか?」


 パライナが言う。

 不敬? とレグラーレが足を引いた。パライナが尻を抑え、首を鋭く横に振る。


「頼みごとが増えて要求が吊り上がるのも怖いですからね」


 サンヌスの本拠地に隠れていればシジェロは見つからない。アピスとパライナが積極的に隠してくれているからだ。

 一方で、生命の保証はシジェロが提案してきた条件では無い。むしろ、自分の利用価値に気づいているがためにマシディリにも強気に出てくることもあるのだ。


(全てが解決すれば、神官に影響力を持てる立場に)

 危険な賭けだ。

 それでも、その考えもまた有りだと思えてしまう。


 カナロイアからの移動による時間的な不利はあったが、父が居ないだけで神殿勢力が軍事命令権を付与してしまうのだから。


 本来であれば軍事命令権保有者が出陣日を占い、決めるのが慣例のところを、初めから三か月と規定するのがマシディリでは精一杯だったのだ。



「お待ちしておりました」


 坂道が終わり、木々の屋根も消える。木の小屋が並ぶ集落の入り口で、アピスがサンヌスの言葉でサンヌスの礼を取っていた。

 マシディリはアレッシアの礼で以て答える。


「連絡は?」

「マシディリ様からの指示通りに伝えてあります。今は、彼の巫女の要求通りの品をそろえ終えたところです」


 小屋の外の人がほとんど礼を取っているところから、実際はそろえ終えてから少し時間が経っているのだろう。歩いている人は少なく、男女ともに並んでいるのだから。


「ありがとうございます」

 伝え、比較的新しい小屋へ。


 小さな小屋。独房のような小屋であり、鉄壁の守り。畏怖を抱かれている美麗な館。

 その綺麗な白木の扉に手を伸ばす。


 しかし、マシディリの手は叩くことなく止まってしまった。



(なんだ)


 何かが、おかしい。



 その理由は分からない。

 ただ、腰骨に綿をねじ込まれたような異様な違和感がある。


「シジェロ様」

 冷や汗を抑え込むようにいつも通りに名を呼ぶ。


 ああ。音だ。音が無さすぎるのだ。父譲りの鋭敏な耳を持つマシディリだからこそ抱けた、小さな違和感。


 マシディリの目が飛び出んばかりに開く。

 衣擦れの摩擦で炎が上がりそうなほどの勢いで、扉を蹴り開けた。


 簡単に扉は開き、大きな悲鳴を鳴らしながら戻ってくる。それを右手で防いだ。


 臭い。

 嗅いだことのある、鉄の匂いだ。

 ただし、内臓が出てくる時のあの不快な臭いはほとんど無い。


「マシディリ様」

 パライナ、アピスと風のようにマシディリを追い抜いて小屋の中に飛び込んでいった。


 二人の後にアビィティロがマシディリの前に立つ。レグラーレとアルビタは、背面の警戒だ。

 アピスが音もなく剣を抜く。パライナが構えたのは短剣。アビィティロは、小型の盾を構え、槍の穂先(プルムバータ)を右手に持っていた。


「警戒には及びません」


 発言の真意は、サンヌスに対する信頼を示すこと。

 安全の確証がある訳では無いが、嫌な汗も鼓動も無い。その直感に従い、歩を進めた。


 すっかりと通い慣れてしまった小さな道。

 ほとんど歩かずともつく最奥。


 そこで、綺麗な衣服にほとんど皺を寄せず、首から血を流しているシジェロが微笑みながら横たわっていた。

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