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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第三十二章
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子供な大人 Ⅱ

 戦争の傷跡はしっかりと残っている。

 壊れた建物や、建物を建てるために広げてある土地、舗装が終わっていない道がまだあるのだ。人通りはそれなりにあるが、三男陣営の本拠地として機能していた時には遠く及ばない。兵数もまだまだ集まっていないだろう。


「こちらです」

 言って、出迎えに来たフラシ人が遠回りとなる道へとエスピラを誘ってくる。

 護衛の者に浮かんだ小さな疑念を、エスピラは右手を鷹揚に挙げることで払しょくした。


「シニストラが居て、君達が居る。何も恐れることは無いさ」


 唇を動かさず、小声で、されどはっきりと信頼を込めた言葉でも態度を示し。

 エスピラは、次男陣営で見たことがある男の後ろをついて行った。


 宮殿内の蝋燭は少ない。燭台は見栄を張っているほどにあるのだが、蝋燭の乗せられていない物が多いのだ。夜になればあまり明かりは無いだろう。最低限の最低限。風の強い日はもちろんのこと、月明かりの無い夜も非常に危険かもしれない。


 柱自体は綺麗だ。床も割れていない。しかし、絨毯が敷かれている場所は限られており、廊下から見える部屋も絨毯がかけられているところは少ない。まだ太陽が高いところにあるからだとも言えるが、粗雑な木の板で閉じられているところもあるのだ。


 少し遠くで、馬の蹄の音が聞こえる。

 続いて人が走る音も聞こえた。


(なるほど)


 何としても、連れ戻さなければならない。

 その決意を固め、エスピラは謁見の間にたどり着いた。


 エスピラを案内した者がエリポス語でエスピラの来訪を告げる。屈強な二人の男が扉を開いた。


 大きな間だ。

 天井は高く、描かれている絵画の類はエリポスの神々を祀る物。アンネン陣営は良くぞこれでフラシ人の士気を保てたものだと感嘆するほどだ。陥落直後は、此処にもたくさんのエリポス系の財物があったのだから、なおさらである。



「エスピラ……」


 静かな間に、マルテレスの声が零れ落ちた。



「懐かしいな」


 言いながらも、エスピラは左右の者を観察した。

 一番裾が汚れているのはイエネーオス。心なしか呼吸も他の者に比べて荒い。

 先ほど馬に乗って帰ってきて、走っていたのは彼だろう。


「そんな声を最後に聞いたのは、十二の時に差し押さえられたウェラテヌス邸に侵入した時だったか? マルテレスが敷いてある絨毯にべっとりと足跡を残してしまって、潜入したのが露見するきっかけになったな」


「ああ。あの時は、エスピラがタイリー様にこっぴどく怒られていたな」

 マルテレスの視線が垂れる。

 肩もいつもより丸くなっていた。


「マルテレスが力自慢をするために柵を抜いた時は、お前がメルカトル様に怒られていたけどな」

「あったな。七歳の時か?」

「煽ったのは私だけどな」

「酷い奴だよ、ホント」


「互いに怒りやすい方に怒っていたってことさ。タイリー様も、軽視していた訳じゃなく、どう接して良いのかわからなかったのだと、今ならわかるよ。やっぱり、溝はある。貴族だ平民だ、軍団に居ればあまり関係ないが、何も知らない者は変な色を付けてくるからな」


 ああ、とマルテレスの目が斜め下に落ちていった。


「ま、色恋にも関係ないみたいだけどな」


 懐かしいな、とエスピラは続ける。

 成人してから良く行っていた居酒屋。そこの奴隷の女性の尻がどうとか言って、サジェッツァも乗っていた。他の男たちも噂していたらしいな、と。


「エスピラには理解できないことだけど、ってか?」

「ああ。メルア以上の女性がいる訳が無いのに、どうして目移りすることが?」

「エスピラらしいよ」


 少しだけ、力が抜けたような笑いが落ちた。

 目に宿り続けていた罪悪の意識も薄れたように思える。



「大人になって、成長して、色々な経験を積んで、子供にも恵まれ。メルアを、失って。


 それでもやっぱり変わらないな。私はメルアが好きだ。愛している。この気持ちは変わることは無いし、他にもやっぱり子供の時のままだなと思うことも多い。


 大人とは、もっと賢くて、理性的で、多くの物事が見えている存在だと思っていたが、どうも違うらしい。結局は子供の延長線上にしか無くて、伸びすぎると支えられなくなって根元に戻りたくもなる。叱られるのも嫌だ。能力を制限されたくない。否定されるのは大嫌いだ。


 でも、褒められれば調子にも乗るし、期待に応えたいと無理をする。そんな存在らしいな」


「エスピラにもそんなことがあるのか?」


「そんなことばかりだ。軽率だったなと思うこともあるし、誰かに打ち明けたいこともある。子供と違って、変な意地があるから。いや、違うな。子供の時も変な意地や無駄に固執することがあった。だから事が大きくなってから発覚して、余計に叱られて」


 苦笑と共に、哀愁の息を吐く。

 二度、指先だけを体の前で合わせた。重心を右足に偏らせ、下で弱く手を広げる。


「帰って来い。マルテレス。また一緒に馬鹿なことをして過ごさないか?」


 マルテレスの眉が、八の字に歪んだ。口も閉じられ、視線が落ちていく。



「子供達も立派になった。私は、もうマシディリに全て任せていられるよ。不安が全く無いかと言えば嘘になるが、クイリッタもユリアンナもいる。べルティーナと言う素晴らしい嫁ももらっているしね。


 クーシフォスも、自分でしっかりと考えて責任を取れるようになったとみるべきじゃないか? 彼なりにオピーマのことを考えているし、スィーパスだってそうだ。何より、二人とも力はある。特にスィーパスは今回の件で実力ははっきりと証明した。


 パラティゾとティツィアーノも今やアレッシアに欠かせない人材だしね。



 もう私達は頑張らなくて良い。また三人で、馬鹿なことをして過ごそう。


 あの別荘は、そのためにもあるんだ。あそこならどれだけ騒いでも、近所迷惑にはならない。夜遅くまで遊べるし、朝早くからパンを配る必要も無い。子供の時のように遊べる。


 さあ、帰ろう。マルテレス」



 はは、とマルテレスから笑いがこぼれた。肩も揺れている。短い時間であったが、確かな変化だ。


「心が、揺らぐなあ」


 イエネーオスの顔に緊張が走った。インテケルンの口もより強く閉じる。

 そんな二人を見てか、四人だけ居たフラシ人もまた雰囲気を険しくした。


 マルテレスの笑みは、哀愁しか漂わせていない。


「そうしたかったよ。だがな、エスピラ。俺は、まだ子供達に全ては任せられない」

「立派に育っているよ」

「俺が折れたら、誰がアスフォスを守るんだ?」


(アスフォス)

 扇動上手な、マルテレスの四男。スィーパスに利用され、マヒエリに見捨てられ、同母弟のプリティンにすら地位を狙われた、マルテレスとヘステイラの子。


「俺がアスフォスを守らないと。そうだろ、エスピラ。エスピラも言ってただろ」


「そのためにも、アレッシアに反旗を翻したと取られる行動は慎むべきだ。必ず私がスィーパスの行動を正当化させる。お前が帰ってくれば、幾らでも言い訳はあるんだ。マルテレスが戻ってきてくれれば、絶対に救うと約束する」


 気づけば、一歩踏み出していた。

 体も前傾。手も意識せずとも動いている。


 だが、マルテレスは弱く首を横に振るだけ。



「アスフォスは俺の子だ。俺の可愛い息子だ。何歳になっても、可愛い子だ。


 そうだろ、エスピラ。


 幼い頃に何を言われても、エスピラはマシディリを守った。マシディリの父親だった。マシディリのためになんでもやったはずだ。


 覚えているか? 最初にカルド島に行った時の、エスピラが軍事命令権保有者になった初めての戦いの、凱旋行進だ。あの晴れの場でも、エスピラはマシディリを思いやっていた。ペリースを巻き付け、俺の子だと全アレッシア人に示していたよな。


 何があっても父が守る。お前は俺の後継者だって。異例づくめの行進で、しかもアレッシアに戦う機運を高めるのが第一の場でもエスピラはマシディリへの愛を優先させた。


 俺も同じだ。

 子供達は俺が守る。アレッシアのためって言うべきなんだろうが、悪いな。俺もエスピラと同じだ。アレッシアよりも守りたい者がいる。


 俺は、戻らない」



 エスピラは一歩、さらにマルテレスへ踏み出す。

 護衛は動かない。マルテレスの周りも、今度は動かなかった。


「マルテレス!」

 腹からの声を。何も考えない、ただ友を想う一言を。


「アレッシアでも、アスフォスは守れる。守る手段がある。必ず私が、守って見せるから。だから!」


「エスピラはアレッシアに残り続けた結果、イフェメラを守れなかったじゃないか!」


 マルテレスの歯が潰れる音が、聞こえたような気がした。

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