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そこを踏みぬくか

「雪が降る前にマールバラを叩く!」

 と、強行軍を終えたばかりの四個軍団を前にグエッラが吼えた。


 兵からは威勢の良い雄叫びが返ってくる。消極的な策に対して溜まっていた鬱憤を晴らすかのように、寒風すら吹き飛ばす熱さの雄叫びだ。


「お言葉ですが」


 伝播していく熱気を背に、エスピラは良く通る声を出した。

 冷や水に対する憤りの視線がいくつもエスピラに刺さる。


 若輩者、調子に乗っていただけ、所詮は若造と言った言葉も最近は良く耳にしているのだ。今の行動だけに対する感情では無いだろう。


「グエッラ様は一時的に軍団を任されているだけ。決定権はサジェッツァ様にあります。そのサジェッツァ様が戦うなと念を押してからアレッシアに戻ったのをお忘れですか?」


 そんな雑音を無視するようにエスピラは淡々と言い切った。


「現在の軍事命令権の保有者は私だ。その私が戦うと言っている。兵もそれを望んでいることぐらいは、エスピラ様も分かっておいででしょう?」


 グエッラも怒りなどは微塵も見せずに返してくる。


「命令違反は独裁官の言葉一つで首を刎ねられますよ」


 これは、騒いでいた兵たちにも向けて言った。


「同時に、現在のこの軍団における違反者も私の命令一つで処罰の対象になる」


 グエッラが何でもないかのように言う。


「振りかざすのはご勝手ですが、グエッラ様が預かったのはあくまでもサジェッツァ様が返ってくるまでの間の『代理』の軍事命令権。副官としての権利の悉くは未だに剥奪されたままであることをお忘れなきよう」


 先の、アグリコーラ近辺における戦いに於いての処分だ。


「ええ。忘れてはおりませんが、剥奪しておいて代理の権限を私に授けてくれたのです。処分は形式上しなくてはいけなかったから、と考えるのもまた普通の発想ではありませんか?」


 その通りだ、とエスピラも思う。

 独裁官でありながら、結局はサジェッツァもアレッシア国内の政治的なバランスを加味せざるを得なかったのだ。


 だから、副官としての権限を奪っておきながら軍団を預けるなどと言う矛盾した行為をしている。マイナスから最低限に戻しただけで良いことをしたように見えることを利用している。


 屑だと思っていたが意外とまともなことを言っていたから、もっとまともなことをずっと言っていた者より評価される理論と同じだ。


「その普通の処分ですが、私はただの食事制限、コルドーニ様は財の一部の没収だけ。コルドーニ様に至っては他のセルクラウスの兄弟よりも国庫に入れた財は少ないのでこれも形式上の処分とも言えるでしょう。ですが、ボストゥウミ様は騎兵隊長からの罷免。今もまだ副隊長のまま。グエッラ様もサジェッツァ様が帰ってくればもう副官ではないかも知れません。

 何がいけなかったのかは、お分かりですよね?」


「エスピラ様の言うことも尤もだ。だが、そっくりそのまま言葉を返させていただこう。サジェッツァ様が作戦を失敗してしまったのは何がいけなかったのか。エスピラ様ならばお分かりでしょう?」


 非協力的な副官が、生産性の無い否定ばかりをしていれば纏まる軍団も纏まらないからでしょう。


 とは、流石に言わず。

「ペッレグリーノ様やタイリー様が会戦に及んだのも冬でしたね。その後もアレッシアの軍事命令権保有者は勇猛果敢にマールバラに会戦を仕掛けておりました」

 と、返すにとどめた。


 グエッラが不敵な笑みで頷く。



「その通り。だが、数が違う。ペッレグリーノ様は一万、タイリー様も三万ほど、他の者に至っては二万かそれ以下だ。


 此処にいる兵は何人だ? 


 四万だ!


 四万もの兵が居る!


 アレッシア史上空前のこの数を以って、マールバラを叩き潰す! その絶好の機会だとは思わないか? 逃してはならない機会だと、エスピラ様は思いませんか?


 それに、士気も違う。錬度も違う。間違いなく此処に居るのは勇者ばかりの集団で、アレッシアのためと意気込みも強く肉体も強靭。まさにアレッシア史上最高の軍団だと私は信じている。情けなくも散っていったどの軍団よりもアレッシアのためならば命も惜しくない、最強の軍団が此処にあるのだ! 敵前から逃げ出すことも臆病風に吹かれることも無い、最強の軍団なのだ!


 マールバラが何だ。ハフモニが何だ。連戦連勝が何だ。

 勝つのは、我ら。これまでの軍団と一緒にしてもらっては困る! これまでの者たちとは一段も二段も違うのだ!」



 掴みかからんばかりの勢いで前に出たシニストラを、エスピラは見ずに腕を伸ばして制した。


 グエッラの演説もどきで士気が上がった兵を無視して、エスピラはグエッラに対して口を開く。


「訂正を」


 非常に、冷たい言葉で。

 兵の声も徐々に静まり返る声で。


「何に対してですか?」


 グエッラの表情は変わらない。



「散って行った者たちに対して。

 確かに、此処にいる軍団はグエッラ様から見れば最高の軍団でしょう。最強の軍団でしょう。私も、個々の力で見ればハフモニなんぞおそるるに足らない軍団であると思っております。


 ですが、タイリー様とペッレグリーノ様が率いていた軍団も正しく最高最強の軍団だった。誰一人として鋼の精神を持たない者はいなかった。訓練に耐えられない軟弱者も、途中で逃げ出す愚か者も、仲間を守れずに倒れていくような者も居なかった。


 貴方がこの軍団を誇りに思っているように、私たちにとっても彼らは誇りだ! 

 立派な戦士だ!


 まるで、その彼らを侮蔑するような発言はお控え願いたい」


 最後の言葉は堪えるように静かな声で。

 しかしながら、仲間を想って頭に血が上ったシニストラを制するには十分すぎるほどの感情は籠っていた。


「悪かった。この通りだ」


 すぐに、ある意味淡々と、素早く丁寧にグエッラが頭を下げた。

 ソルプレーサが顔を僅かに曇らせたのがエスピラの視界の隅に映る。


 仮にそうではないと否定すれば、喚けば、声を荒げれば。そんなつもりは無かったと言い訳をまくしたてれば。


 グエッラの印象が悪くなる者も多かっただろう。エスピラに同調する者も増えただろう。


 だが、これではそうもいかない。どちらかと言えばエスピラが悪者だ。


 多少の不都合と揚げ足取りのような言葉を甘んじて受け入れ、死者を侮蔑する意味があったと認めるような行動であっても、長期的に見れば利があると判断できればすぐに頭を下げる。兵の気持ちを考えられる。


 なるほど。副官に推されるだけの者ではある。


(癇癪持ちの若輩者か)


 エスピラは、この場でつけられそうな自身への評価をそう計算した。


「一度穴を開けてしまえば、あふれ出た水は戻ってきませんけどね」


 ソルプレーサが聞こえるように呟いた。


「しかし、その水を再び貯めることは出来ます。『最高』『最強』と言うのは非常に聞こえが良く分かりやすいものですから。貶める意図なく使ってしまうことも多いでしょう。私などは演説が下手ですので、つい分かりやすい言葉に走ってしまいがちですから。今後、私が兵の士気を上げるためにもこの辺りでこの話を止めて頂ければ幸いです」


 アルモニアが静かに結ぶ。

 ソルプレーサも本心ではあるが言うべき言葉では無いと知っているためか、反論はしなかった。


「方針決定の場である、と判断するのであれば、会戦ありきで語るのはおかしいかと。失敗したからと言って会戦に戻したとして、会戦は何回失敗した? 些か、早計だと私は思うが」


 新たに話を動かしたのはコルドーニ。

 エスピラとしてはあまり期待していなかった援軍である。


「そのことに関しましては、つい先ほど、今までとは違う四個軍団があると申し上げたはずです」


 数と言い逃れしつつ、質も違うと言いたげにしているようにエスピラには思えた。

 それはシニストラも同じだったのか、明らかに気色ばっている。


「早計だと申しているのです。

 ハフモニ軍はアグリコーラの平野を脱し、山を越えて再びの小規模戦闘の末越冬地を手に入れたとのことですが、我が異母弟ティミドの計算によれば、アグリコーラに居た頃よりも食糧事情は厳しくなっているはず、とのこと。

 アグリコーラの時ほど封鎖するのに地形は向かず、協力の呼びかけは遅くはありますが、それを知恵と工夫で乗り切るのも軍事命令権保有者の仕事。難しいことから逃げているようにも見えますが?」


 グエッラではなく、ボストゥウミの顔に青筋が立った。


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