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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第三十二章
1255/1589

踏み台とならん Ⅱ

 ボルタルタン。

 彼は、川沿いの土地を保護していたフラシの有力者だった。第一次フラシ戦争に向け、食糧を貯蔵し、少ない軍事力かつ旗幟を鮮明にしないながらも三陣営どこに着いても影響力を保持できるような態度をとれた男である。


 悪く言えば、日和見だ。


 故に第一次フラシ遠征最初の標的となり、エスピラに敗れ、側近の多くを処刑された。その自責の念により、自死を選んだ男である。


 だから、厳密には仇では無い。

 死の原因は明らかにエスピラでも、ボルタルタンの仇討ちを謳っても兵は集まらないだろう。


 その仇討ちを最も謳うのに相応しいのが、目の前で頭を垂れているサッレーネ。


 初対面である。


 エスピラ側からは人をやって確認を取っているが、サッレーネはエスピラの顔を知らない。エスピラも直接見たことは無い。婚約者を置いて逃げた男との対面は、初めてだ。


 その男の顔が、持ち上がる。

 浅黒い肌に彫りの深い顔立ちだ。目は黒く、丸い。余計に黒いのは、きっと、エスピラを観察しているからだ。


「思うほどに、感情は沸き立ちませんでした」

 フラシ語でサッレーネが言う。

 エリポス語の質問に、フラシ語だ。かすかな意地は確かに感じ取れる。


「恨まないはずがございません。私の感覚で物を言えば、父に成敗される理由は何も無かった。何も。ですが、マヌア殿下と会った時に言われました。「父に似ず、旗幟をはっきりさせてくれてよかった」と。同じフラシ人でこれならば、アレッシア人との間に大きな差異はあったのかもしれません。ですが、恨まないとはまた別の話。


 さりとて、エスピラ様を尊敬しているのも事実です。


 父を殺した者が父より優れているのはあり得る話。その上姫を逃がし、伝言まで託せるほどの余裕を見せたうえでフラシに勝てる男。


 その者から学ばず、何を為せるのか。生き残るためにはより優れた者に教えを請うべきであり、尊敬する父を上回る能力を持つ者に敬意を抱けない者が大事を為せる訳がありません」



「殊勝な心掛けだな」

 フラシ語に切り替え、返す。


 サッレーネの顎が引かれた。手は腰に。シニストラが半歩前に出て、クイリッタが逆に一歩引く。その中でサッレーネの手が鞘に納まったままの剣を取り出した。


 ゆっくりと、足をしっかり地面につけたままサッレーネが剣を前に出す。こと、と小さな音を立て、剣が床に触れた。サッレーネの手がすぐさま戻っていく。


「栗毛の髪。紫色のペリース。左手の革手袋。アレッシア人にしては矮躯。常に足音の無い男を一人か二人連れている。

 それがエスピラ様の特徴だと聞いておりましたが、私の感覚で物を言えば、矮躯だとは俄かには信じられません。


 よくよく観察すれば、到底歴戦の猛者だとは思えない体躯だと理解が及びますが、纏う空気は歴戦の猛者。私などが言葉を弄し、本心を隠そうとしても暴かれるだけではありませんか?」


「買いかぶりかも知れないぞ?」


「エスピラ様は父に勝っている。それが全て。父が勝てなかった者を敬い、学ぶことこそが父を超える近道であり、立派に成長した姿を見せることこそが亡き父も喜ぶこと。

 エスピラ様のご厚意が無ければ姫も守れず、父を失望させていたと思い至れば、これしき、何のことはございません」


 サッレーネが両手を広げ、額を床に付けた。


 責めるつもりは無い。


 だが、サッレーネの狡猾さも知っている。長男陣営に逃げ込み、長男陣営の正統性を確立させるために受けた土地の保証と地位をそのまま次男陣営に持っていった男だ。ノトゴマがさせていたことと同じことを、陣営を逆さにして行ったのである。


 その結果、次男陣営に大義が出来た。長男陣営の悪評も広まった。王族の差が出た。


 即ち、第二次フラシ戦争に於いて次男陣営が勝利を収めた立役者の一人でもある。


 つまるところ、殊勝な心掛けを見せていたとしても、肝心な時にアレッシアが役に立たなければ平気で鞍替えを検討するような男の可能性が高いのだ。


「本題は、何かな」

「軍事行動の許可を願いに参りました」

「軍事行動」

 無知を装い、言葉を繰り返す。


「こちらに居ります両名ならびにアグニッシモ様にはご説明したのですが、現在、フラシではノトゴマの後継者争いが激化しております。そこに元の三陣営の争いが混ざり、居残っているプラントゥム騎兵やハフモニ人が絡んできてしまいました」


 プラントゥム騎兵が混ざるきっかけを作ったのは、エスピラでもある。ただし、戦力強化として積極的に呼び込んだのはフラシ人だ。雷神マールバラに近かったと吹聴し、売り込みをかけながら正当性を訴えているのはプラントゥム騎兵達。


「この混乱を、今度はフラシ人だけで治めねばならないと思い、アレッシアを刺激するモノでは無いとの宣誓を行いに参った次第です」


 エスピラは、無言で首を二度三度と上下に動かした。

 そのままサッレーネには何も告げず、クイリッタに顔を向ける。


「アグニッシモは何て?」

「「俺が叩き潰した方が早い」と」

「アグニッシモらしいねえ」

 悪手だが。


「父上からも後で叱っておいてください」

 クイリッタが言葉を閉じる。

 そうするよ、とエスピラは応え、目をサッレーネに戻した。


「君は、フラシでの君の立場をどのように認識しているんだい?」


「姫との婚姻があるからこそ、王族の付属品として役目があると思っております。地盤も僅かですがあり、船を用いた交易には他の者達よりも僅かに詳しい。戦時よりも平時に役立つ存在とみなされていると思います。


 私の感覚で物を言えば、主の踏み台として置いておきたい存在、というのが適切では無いかと思います。


 あくまでもメンサン陛下に全ての功績を捧げ、その態度で以てメンサン陛下の威光をフラシの同胞に広く知らしめる。そのために、私はまず土地をもらって浅い者達の中のさらに端から攻め落とすつもりでおります」


 簡単に攻め落とせ、なおかつ本隊との連絡ができにくい土地。

 そんな勝ちやすい場所でも結果は結果。勝ちは勝ち。勝利を捧げ、王族に連なる者、アレッシアによって担ぎ上げられる可能性のある者がメンサンを立てることでメンサンの権威を上げる。


「良い方法だね。そのメンサンが、マヌアに比べて随分と暗愚なことを除けば、だけども」


 ノトゴマが居なくなった途端に内輪もめを始め、収集を付けることができないどころか火種を大きくしているのが今の頭領メンサンだ。


 プラントゥム騎兵を引き込んだのも、彼の許可。武力で治めるつもりが、財があると思い込んでいる貴族によって逆に王権を貶められている。その財の出どころは、先の戦いの報酬だ。


 そして、報酬の出どころは長男陣営や三男陣営に属していた者から奪った財。


 悪感情は、ぐるぐると回る。


 それも非常に速く。フラシと親しい関係を築けた誰かが噛んでいるかのように。

 そして、それを元老院に来るまでに潰せるのは、現地に居る者にしかできっこない。


「後追いの形ではあるが、サッレーネ。君の軍事行動を認めるよ」


 サッレーネの腕がびくりと硬くなる。


 サッレーネの動員力はやはり王族。フラシの族長最大級の千五百。アレッシアに当主自ら赴いて間に合う兵数では無い。

 無論、推測だけでは無い。エスピラの情報網で既に感知しているし、エスピラに情報を流す貴族も多く居る。


「ありがとうございます」

 サッレーネがさらに体を平たくする。


「アレッシアの軍事行動を否定するモノでは無いけどね。必要とあれば干渉するし、アレッシア人に害が及べば即座に行動を起こすよ。それだけは覚えておいてくれ」

「かしこまりました」


「あと、アグニッシモについて、どう思った?」

 上がりかけたサッレーネが、途中で止まる。


「私の感覚で物を言えば、ああいう者こそ豪傑と評するのかと。ただ、エスピラ様からは即座に想像することは出来ませんでした」


「最大限革に包んでくれて嬉しいよ」

 そう言って、エスピラはサッレーネに退室を促した。

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