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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第三十二章
1254/1590

踏み台とならん Ⅰ

 どからっ、どからっ、どからっ、と大粒の土が舞う。離れている場所に立っているはずなのに、エスピラの足元も揺れそうな程だ。彼らを囲む男どもの声にも熱気が籠る。冷やかしが多いのも、彼ら独特の雰囲気だ。考え無しの行動はクイリッタが嫌うだろうが、心配は無い。


 此処はウェラテヌス別荘。エスピラが追放中にメルアと共に過ごした地。

 幾ら騒ごうが、本土に聞こえることは無い。


 だからこそ、五頭と五頭。計十頭の馬とそれを操る十人が、狼の死体を奪い合っているのだ。

 フラシの伝統的な遊びである。奪った死体を、決められた場所を通ってから決められた場所に落とす。第一次フラシ遠征でも見た遊びだ。


 尤も、先ほどから狼を奪い、得点を重ねている愛息(アグニッシモ)は見たことがないはずなのだが。


「大将! つまんねーぞ!」

「繰り返しじゃねーか」

「出禁にしろ!」


 野次が酷くなる。


「うるせえ! 口じゃなくて行動で対抗してみろや!」


 返すアグニッシモも、家族には向けない言葉遣いだ。

 メルアが聞いたら、手で思いっきり叩くだろうか。それとも冷徹な目を向けるだけで終わるだろうか。


(メルアが知っていないはずが無いもんな)


 犬歯を剥いたアグニッシモが、再び狼の死体を奪いに動く。持っているのはフラシ人だ。親衛隊であるため強いはずだが、今のところ良い場面は見ていない。


「エスピラ様がいつ見ているのか分かりませんので、いつも以上に張り切っているのです」

 アグニッシモの悪友、フオルトゥードが頭を下げながら言った。


「君は参加しなくて良いのかい?」

 エスピラは軽く尋ねる。


「エスピラ様やクイリッタ様、ティツィアーノ、様、に情けない様子を見せて評価を下げたくはありませんので」


 フオルトゥードが真顔で言い切った冗談に、エスピラは微笑んだ。

 それから、一つだけ意地悪を付け加える。


「べルティーナのことを姐御と慕っているのに、アスピデアウスには嫌悪感があるのかい?」

(あね)さんはいざとなったら俺らを守ってくださるので、俺らも無償の信頼を捧げられるのですが、どうも、アスピデアウスとなると」


「ははっ。私も、そう思われないように気を付けないとな」

「エスピラ様に思うことはございません」

「君にそう思われるとは思っていないさ」


 ひらり、と手を振り、アグニッシモらに背を向ける。

 後ろにいるのは、わざわざアレッシアからやってきてもらったアルモニアだ。


「此処で会うことになって悪いね」


「いえ。私を属州総督へなどと言う噂が流れるほどに手が出尽くしつつあるのなら、それを補うのが私達の役目だと思っております」


「トリンクイタ様とは距離を置いていたんだけどねえ」


 スペランツァだけで抑えきるには、少々厳しかったか。

 それでも、マシディリとべルティーナのおかげで家族間に亀裂を入れられるのは防げている。対決の構図も、トリンクイタ対アスフォスに落ち着いてきた。


「オピーマに議長を提案したのをスィーパス様伝手に把握したようです」


 さもありなん。

 あれだけの人数で行えば話は漏洩するモノ。誰から漏れる可能性が高いかも、推測に容易い。


「本当に議長を変えるつもりは無かったし、受け容れる可能性も低いとは思っていたけどね」


「私としては、本当に議長を交代し、ハフモニの方へ属州総督としていくのも悪くないと思っておりました。軍事担当としてメクウリオを連れ、エスピラ様の目指すアレッシアのためにと邁進する。それも良い余生だと」


「カリヨがクロッチェ様に接触したよ」

 気が早いな、とは声音だけに込め。

 言葉は、別のことを紡ぎ続ける。


「カリヨは、私に愛人を持ってほしがっていたからね。クロッチェ様も何がメルアを悲しませないかを考えれば、自重してくれるはずさ」


 コクウィウム以外の子供達に対しても、スペランツァには接触させている。

 後は状況を見ながら工作を行うだけだが、家門を残すことを考えればトリンクイタも黙っている可能性が高いはずだ。


「フラシからの留学生も、本国の情勢を知っているようでした」

「引き続き懐柔を頼む。こちらはこちらで、処分の用意も進めておくよ」

「かしこまりました」


 こう言う時だけ、留学生を分断させていることが不利益となる。

 全員と接触するためには時間がかかるのだ。情報を遮断するにも範囲が広くなりすぎる。


「海運従事者はどうだい?」

 エスピラは、建物の中に戻りながら尋ねた。

 立ち止まるような気配のあったアルモニアが後に着いてくる。


「なだめることには成功しました。オピーマ一強に近くとも、しばらくは問題ありません」

「流石だね」


「エスピラ様の鞭あればこそ、オピーマに与えられた蜂蜜に納得も行くのでしょう」

「果たして、鞭かな」


「父親を失うとは、多くの者にとっては屋根を無くし寒風に直面させられるようなモノ。子を失うとは、多くの者にとっては作り上げた土台を砂上の城のように崩されるようなモノ。

 マルテレス様の心中は如何ほどでしょうか」


「死んではいないさ」

「まさに。その中途半端な同情しか向けられないことを匂わせば、多くの者が真に同情をしておりました」

「若いうちに君と出会えたことは、まさに神の思し召しだよ」


 感謝を、とエスピラは左手の革手袋に口づけを落とした。

 この手に隠すべき歯形は、もう着くことは無い。それでもエスピラは左手も左半身も隠し続けている。


「私も、エスピラ様に出会い、エリポス遠征軍に加われたことはこの上ない幸福であったと思っております」


 ひらり、と右手だけで返し、さらに奥へ。

 エスピラとしてはアルモニアも同道していても全く問題は無い。だが、相手方がそれを望まないのだ。アルモニアもそのことを理解しているからこそ、廊下へと繋がる地点で足を止めている。


 進むのは、エスピラとシニストラ。

 一度整理したがために荷物の少ない建物は、住んでいた時よりもずっと広く感じてしまう。暗くも見える。がらんどうだ。


「さて」

 第一声は、何になるのか。


 そう思いながらも、エスピラは足を止めた。扉の横に控えていたソルプレーサが一度頷き、扉を開ける。中に告げることは無い。それでも、既に室内にいる三名は頭を下げていた。


「待たせたね」

 エスピラが入り、奥の机へ。シニストラはエスピラの後ろをしっかりと守る。ソルプレーサは、部屋の外で待機だ。


 エスピラは、手ずから椅子を引き、静かに深く座り込んだ。

 三人の内二人、クイリッタとティツィアーノの頭が上がる。


「本来であれば、こちらからお伺いする立場のところ、お呼びたてして申し訳ございません」

 とは、別荘に足を運んできたティツィアーノの弁。


「予定に無い行動を強いたことは謝罪いたしますが、帰りにチアーラやコウルスと遊ぶ時間を設けますので、ご了承ください。二人は、カナロイアには同道しませんので」

 ティツィアーノと同じ前提に立ちつつ、親子故の近しさを出したのはクイリッタだ。


「そこも含めて、もう一度誘うつもりだよ。コウルスをその気にさせてからにするとチアーラが怒るだろうから、まずはチアーラだけと交渉して、だけどね」


 ユリアンナは初めての出産となるのだ。

 予定日はまだ先とは言え、行けるうちに行っておきたい。


「来ないと思いますよ。「妊婦を怒らせて良いと思っているの?」とかなんとか言って」

「叱られる自覚があるなら改善して欲しいモノだねえ」


「父上が叱れば良いだけの話かと」

「母親が子供を溺愛して何が悪い」

「悪いから改善と言う言葉がでたのでは?」


 咳払いは、ティツィアーノ。


「申し訳ありませんが、親子喧嘩はそこまでにしていただけますか? それから、改善を促されるべきはクイリッタ、君だ。正妻が身籠ったと見るや否やすぐにアレッシアを出るとはどういう了見だ?」


「母体に迷惑をかけず、なおかつ新しい愛人を作る。アレッシア人として至極まともな考え方でしょう?」

「エスピラ様やマシディリ様と同じ血が流れているとは思えんな」


「リングアもスペランツァも愛人だらけだぞ?」

「アグニッシモは女遊びと縁が無い」


 火花散る争いは、しかし、一時中断。

 二人が視線と言う短剣を交えながらもそれぞれ両岸に立ち戻る。


「さて。本題に入ろうかな、サッレーネ」

 そして、エスピラは今もなお頭を下げているフラシ人に目を向けた。


「父親の仇に頭を下げている気分は、どうだい?」


 机に肘をつき、口に淡く曲げた右手を当てて。

 エスピラは、まだ十五にもならない少年を見下ろした。

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