独立 Ⅲ
タルキウスは、フラシに兵を残すつもりで人を寄こした。
ティツィアーノは、それを拒絶。残したのはオピーマ派の一部とアスピデアウス派の高官。機嫌を損ねているのはタルキウスの方だ。それに、オプティマも立派なマルテレス門下生。しかも一番の出世株。
(落としどころか)
あるいは、グライオを属州総督に、という噂を流しておくか。
エスピラに近しい者や少しでも頭のある者は「あり得ない」と分かるはずである。
それとも、無理にでもタルキウスの者を入れないと、タルキウスの肩を持つ者達が怒るだろうか。
宥めるのもタルキウス首脳部の仕事とはいえ、抑え込め続けるモノでも無いのはエスピラも良く分かっている。支持基盤の声もまた大事であり、同時に首脳部を操る糸なのだ。
「これは、友としての忠告だ」
思考を続けるエスピラを引き戻したのはスーペルの言葉。
無論、本当に友だと思っている訳では無いだろう。
スーペルからエスピラへの想いは、どちらかと言えば亡き友の子。エスピラの父とスーペルが仲良かったかは置いておくとしても、エスピラとスーペルは友と言えるほど対等な関係では無い。
「私やルカッチャーノに対して役職を用意しなくて良い。いや、タルキウスには必要ない。こちらから推薦する。ウェラテヌスの手を借りる必要など無い。我らは建国五門だ」
山が目の前に鎮座した。
「私は」
エスピラは、ぐ、と右の親指を右の中指に押し付ける。
「同じ建国五門の助けを心の奥底で求めていた時はありましたけどね。例えば、今さら肩を組んでくるぐらいならばカリヨの婚姻の時にもっと協力的であってほしかった、とか」
スーペルが山ならば、エスピラは槍。
山を貫通できずとも、一音一音をはっきりとスーペルに突き立てる。尤も、槍が刺さった程度で山が動じることはあり得ない。
「言を翻すことにはなるが、ミラブルム、ケーラン、アナストに対しての第二次フラシ遠征の褒美としてはありがたく受け取ろう。それらを以て「ウェラテヌスの下に入れと言われた」と騒ぐ者がいれば、ただ喧嘩したいだけの役立たずだからな」
「彼らにはその内、きちんと軍団に於ける高官を用意いたします」
「期待している。ただ、軍団長がアスピデアウスでもウェラテヌスでも無いことを願おうか。軍事命令権保有者は、正直その二つを否定してしまえば望みが薄くなってしまうからな」
「高く買っていただき感謝しております」
「当然の話をしたまでだ」
七年前のエリポス懲罰戦争はエスピラが軍事命令権保有者。重なるどころか時期がはみ出しているイパリオン戦役は、今は亡きエスヴァンネ・アスピデアウス。エスヴァンネ敗死後はマシディリによる東方遠征。
帰ってきてからは第一次フラシ遠征をパラティゾの下で開始。第二次フラシ遠征はティツィアーノ。同時進行のメガロバシラスへの援軍はエスピラ。
他の戦争もあったとはいえ、圧倒的に確率が高いのは覆しようが無い事実である。
「私達からすれば、若手の筆頭格と言えばサジェッツァ様だった。タヴォラド様やヌンツィオ様、オノフリオ様。その内、トリアンフやコルドーニと言ったタヴォラドから見て下に見えるタイリー様のご子息も出てきて、アレッシアの支柱となると思っていたのだが。
第二次ハフモニ戦争で大きく変わった。
一気に追い越す流れを作ったのは、エスピラ様とマルテレス様だ。イフェメラ、ディーリー、サルトゥーラ。エスピラ様よりも下の代も引き上げられてきたと思ったらすぐにマシディリ様が現れた。
時の流れは速い。
平均年齢が一気に下がることが無ければ、今でも元老院の多くはウェラテヌスが此処までの繁栄を取り戻すことを。違うな。最盛期を迎えることなど想像していなかった。アレッシアと言えばウェラテヌスと言う者が増えるなど、誰も考えられなかったか、あるいはタイリー様だけは見えていたのか。
いや、ドーリスやカナロイアとアレッシア人が婚姻を結んでいること自体が予想をはるかに超えてきている。誰もが考えられなかったことだ。
アレッシア人の血が入ると言うのに、カナロイアが後継者として安産祈願を行うこともな」
「しなかった場合、アレッシアに攻め込まれると思っているからかもしれませんよ」
「その場合は、アレッシアと書いてウェラテヌスと読んでいるはずだ」
「単独のウェラテヌスにそこまでの力はありません」
「無駄な謙遜だ」
(まだまだ不完全なのですが)
アスピデアウス、オピーマ、タルキウス。
考えを通すために伺いを立てなければならないところが多すぎるのだ。どこまでならどこが共感して、どこからは共感してくれないのか。そこも考え、やりたいこと一つ一つに違う味方を募る必要がある。その場合のこちらからの譲歩も、また。
「家門がほぼ一家しか無いのは強みだな」
「そろそろ崩れますよ」
「マシディリのところは、もう四人か。まさか親子二代であそこまで妻に入れ込むとは思わなかったな。二人とも政治的な思惑があっての行動で無いのが、余計に性質が悪い」
エスピラは、眼光を鋭く昏くした。
スーペルに気にした様子は無い。顔色一つ変えず、体勢も変えずに口を動かし続ける。
「クイリッタのとこは、ようやくできたのだったか? ユリアンナはカナロイアの子になる。リングアは、クイリッタに隠れてはいるが愛人が多いらしいな。チアーラの子はドーリス人の血が濃いから高くは昇らせないと思ったが、コウルスの名を与えている以上は分からんな。スペランツァのとこもセルクラウスの子。
アグニッシモとセアデラ次第か?」
「アグニッシモは、本当に誰と結婚するのでしょうかね」
「私に聞くな」
けらけらけらと笑いながら、エスピラは茶を手にした。スーペルは憮然としている。
アグニッシモは、今年二十五。まだまだ結婚せずに功績を積み上げる者も多い年齢
だ。ただし、アグニッシモが積み上げた功績は、これから積み上げたい者達が手にできないほどの功績である。
(それに)
私に聞くな、ということは、タルキウスの者を送り込んでくるつもりはあまり無いようだ。
目じりまで下げて笑いながら、エスピラはそう冷静に推測する。
「あの時はメルア様が居るから心配していなかったが、間違っても奴隷を妻とするなよ」
「メルアを評価していただき、ありがとうございます」
「メルア・セルクラウス・ウェテリあってのエスピラ・ウェラテヌスだ。マシディリもべルティーナが居るからこそ安心して遠征に従事できているのでは無いか?」
「良い愛義娘です。メルアも気に入っておりました」
心配ももちろんあった。
だが、べルティーナがメルアを慕ってくれ、メルアもべルティーナを実の娘のようにかわいがってくれたのである。そんなメルアの様子を見て、フィチリタがべルティーナを慕い始め、アスピデアウス嫌いであったアグニッシモもべルティーナに懐いたのだ。
(メルアあっての、か)
その通りだ。
エスピラは、自分だけでは此処まで上手くできたとは到底思えない。
「それだけ、妻と言う存在は大きいと言う話だ。アグニッシモに関しても慎重に選んで良いと思うがな」
目をスーペルに向ける。
スーペルの顔は、少々逸れていた。
「いつも心配してくださり、ありがとうございます」
「ふん。私の中では、エスピラ様はあのお人よしの下に生まれた苦労せざるを得ない子供だ。目ぐらいかけてやる。アレッシアに反旗を翻すか、タルキウスを潰そうとしない限りはな」
「どちらもあり得ませんね」
「そう願っているよ。半島の道は全てウェラテヌスの手が入っていると言ってもおかしくないからな。半島での戦いになった時に、ウェラテヌスに勝てる家門など無い」
「第二第三のマールバラを生まないためです」
投じた財は桁知れず。
備えるほどの敵が現れるかも分からない。
されども、やらねばならないことだった。
「エスピラ様」
シニストラが近づいてきた。
エスピラにも、分厚い扉を叩く小さな音が聞こえている。
「入れ」
部屋の主、スーペルが声を張る。
扉が開いた。入ってきたのは、愛息クイリッタ。
予定には無い行動だ。裾は汚れていない。いや、服自体此処に来て着替えたのか。
「父上、少し」
クイリッタの後ろで扉が閉まる。
部屋の中にいるのは、スーペルとエスピラ、シニストラ、そしてクイリッタの四人に奴隷が二人。
「此処で構わないよ」
クイリッタの目がスーペルに向けられる。
険しい目だ。しかし、互いに何も言わず、クイリッタの視線が戻ってくる。
「アグリコーラにて客人がお待ちです。無論、急がずとも客人の不利益にはなりません」
「そうか。じゃあ、此処で予定通り過ごした後で向かうよ。クイリッタも、一緒に行くかい?」
「そうします。アグニッシモを代理として向かわせておりますが、あの愚弟には何もするなときつく言っていますので」
けっ、と吐き捨てるようにクイリッタが言う。
エリポスでの行動に非常にお怒りのようだ。
尤も、クイリッタ程怒ってくれている方が嬉しいモノでもある。マシディリは苦笑いで許してしまうだろうが、許されざる行動になりかねないものだった。
ウェラテヌスの権威は、今や誰もが逆らい難いモノ。
だからこそ、厳しい言葉をはっきりと言い、行動で示してくれる者は貴重なのだ。ただの批判では無く、愛を持ち、伝えてくれる者は本当に希少なのである。
「忙しいな」
スーペルが言う。
「ありがたい話ですよ」
エスピラも、困ったような、それでいて子を見守るような、スーペルには見せたことの無い笑みで応えた。




