独立 Ⅱ
つま先も指先も、自然だ。足も閉じていない。顎も引いておらず、目も泳がず、首も隠す方へも見せる方へも動いていない。
(メルアのために?)
全て、メルアのためだ。
それ以外に理由など無い。あるとしても、子供達のためであり、戦友のためであり、亡き友たちのためであり。
(そうか)
意外と、多かったな。
エスピラの口が、落ちるように開く。
「メルアへの想いを無くした私は、最早私ではありません。アレッシアを率いるためだけに存在しているエスピラ・ウェラテヌスと言う記号に過ぎませんよ」
スーペルの陶器が、音を立てる。
「悪かった」
頭は下がらないが、目は深く閉じられた。
陶器もしっかりと机の上に。中の茶もほとんど揺らがない。すぐに鎮まり、凪いだ表面に戻るほど。
「だが、私も属州総督を受けるつもりは無い」
命令ならば受けるのだろう。
でも、エスピラにも命令するつもりは無かった。
「適任だと思ったのですがね」
だから、簡単に流すように言って、背中を少し後ろにやった。
「死に場所くらい選ばせろ」
スーペルがあっさりと言う。
「随分と気が早いですね」
そうでもない。スーペルと同世代の者は、戦死を除いても死んでいる者の方が圧倒的に多いのだ。
「エスピラ様としても、建国五門に依頼を出したと言う実績があれば建国五門以外の人物の方が都合が良いと思うのだが」
「否定は致しませんが、そもそも能力を考えてスーペル様に依頼に来たつもりですよ。現地軍団の育成方針の策定も任せられるほどの人でないといけませんから」
「買いかぶり過ぎだ。私は、結局タルキウスの当主にもついていない」
「潮流を読み、主流を作った結果です」
年長の者が当主になるのでは無く、能力と家門の先々を見据えて当主を選ぶ。その先駆けは、間違いなくタルキウスだ。
「遠征を頼むとすれば、私のことは相当後ろにするのでは無いか?」
「能力に合わせて、というだけの話です」
「何番目だ」
「遠征の目的に依りますね」
「一番手はマシディリか」
「むしろマシディリ以上の人を挙げてみて欲しいのですが、よろしいでしょうか?」
「目的に依るな」
「でしょう?」
スーペルが再び茶を口に含んだ。先ほどよりもゆっくりと喉仏が上下する。陶器が机に戻るまでの時間も、心なしか遅い。
「好きに選べ。アレッシアのためになると思えば、私も同意する。タルキウスの半分近くは私に従ってくれるはずだ」
「もう半分、それもミラブルム、ケーラン、アナストのフラシ遠征同行三名を含む集団は、ルカッチャーノに従う、と思っても?」
「構わん」
「そうなるように貴方が動いているのに?」
「ルカッチャーノの師匠はエスピラ様だ」
スーペルの顔は不動の山のまま動かず。
エスピラも、うっすらと笑みを貼り付けたまま、瞬きを無くした。
「インツィーアの復興、お見事でした。蝗のようにマールバラに食い尽くされ、廃鉱山のように荒らされつくした後だったにも関わらず、再び食糧庫にあれだけ貯まるとは予想外の一言に尽きます。道の維持も、私の予想をはるかに上回ってきておりました」
「想定外、の間違いでは無いか?」
「いいえ。タルキウスの刃がアレッシアに届くようになった時。その時だけが私の想定外です」
「ルカッチャーノ」
確かめるようなスーペルの発言に対し、エスピラは右手を左から右へ動かした。
スーペルの口が閉ざされる。
「初代属州総督にはオプティマ・ヘルニウスを推薦いたします。カルド島で見せた敵への敬意、他文化の尊重、何よりもアレッシアへの忠誠心を加味した結果です。
補佐にはサジリッオ・アルグレヒト。オプティマ様最大の欠点である戦果の波をうまいこと補佐できるとすればサジリッオしかおりません。
後は、イロリウスの者とオピーマの者を現場を駆け回る者達の責任者に据え、円滑な関係構築を図るつもりです」
ルカッチャーノも能力的には全く問題は無い。
そう。正式な推薦を受ければ否定できないほどに。独立した存在として優秀な人物なのだ。
「予備の予備の策か?」
スーペルが言う。
「カリトン様、ピエトロ様、とくれば、確かにそうかもしれませんね」
「そうでは無い」
言葉の間隔は変わらない。
それでも、すぐさまの否定と言えるほどの反応である。
「アルモニア・インフィアネが最適だと思っているのでは無いかという話だ。
少なくとも、私はその名が出てくるものだと思っていた」
スーペルの体は、肘をつくかのように前に出てきている。
エスピラは、詰められた間に対しては行動を起こさない。
「アルモニアも、使いたいですね」
内外への交渉能力が図抜けており、エスピラの下でずっと副官をこなしてきたのだ。手配も上手である。
同時に、今もエスピラの副官のような役割を担ってもらっている以上、手放すのは難しいのも事実だ。
「グライオが居る。交渉能力と嫉妬を防ぐ力には劣るが、議長に据えても問題ないはずだ。むしろグライオの方が属州総督に向いていると思うがな」
政治的にも、という話だ。
「多分、断られますよ」
「離れるのが嫌という訳ではあるまい。トュレムレ防衛のために一人離れもしていたのを忘れるほど、耄碌はしていないつもりだ」
「その時はディファ・マルティーマが私にとっても帰る場所でしたから。トュレムレを落とされれば、もう目と鼻の先。私やエリポス遠征軍を守るためにグライオは動いたのです」
「属州総督は違うと?」
「グライオの意に沿いません。他にもやれる者がいる名誉ある役職。そうとなれば、グライオは受けないでしょう」
「そうか。アルモニアは?」
グライオのことは、もう良いらしい。
このあたりの割きりの速さは変わらずだ。
「グライオを議長で使うのが怖いのです」
マシディリが軍事的な備えを積み重ねているのは把握している。要因の根本的なところを聞いてはいないが、大事が起きかねないと思っているのだ。
その際に、グライオが自由に使えるのと使うまでに多大な手間がかかるのでは作戦が大きく違ってしまう。故に、グライオを何かに縛りたくはない。
「大過なくこなせると思うが」
「ええ。でしょうね」
「詰まるところ、他派に主導権を奪われることを恐れているのか?」
「否定すれば嘘となりますね」
「マルテレスの子息に功を挙げる機を与え、庇いもしていたと記憶しているが、随分とふらふら揺れ動いているな」
「面目ございません」
「フィチリタ様やアグニッシモ様、セアデラ様の婚姻はどうする? このあたりが、属州総督に関係してくるのか?」
「随分とウェラテヌスのことに踏み込んできますね」
口を閉じろ。
微笑みを蝋の笑みに変え、エスピラは直接言わずともそう告げた。声もから回るほど明るくしておく。スーペルの表情に変化は無いが、顎が多少なりとも引かれたことで首が見えにくくなった。両手も、膝よりも内側にある。
「婚姻政策については何も決まっていませんよ。ただ、アスピデアウスよりはオピーマと約定を結ばないといけないでしょうね。それから、アグニッシモとフィチリタに関してはタルキウスやナレティクスとは関係ない家門が望ましいと思っています。
無論、セアデラかラエテルか、あるいはリクレスか。彼らマシディリの後継者候補との婚姻を諦めるのであれば、話は別であり、私としても即座にまとめたいと考えておりますが、ね」
ただし、エスピラはあけすけに話した。
「スィーパスがフィチリタと婚姻を結ぶと言う噂も耳にしたが」
「あり得ません。アグニッシモに二人ほど嫁候補を出すのなら話は違いますが、ウェラテヌスからオピーマに人を送ることはあり得ません」
「二回も言うか」
「三回でも四回でも。何回でも言いますよ」
茶を持ち上げ、喉を潤す。
その間も瞬きは少なめだ。足も開いておく。手も、決して正中線に被せはしない。
「属州総督にオピーマ派の者は使えない。ただ、オプティマ様であれば、方針だけを立て、後は遠方で働き続ける者を鼓舞する姿を想像することは容易だ。反対はしない。軍事関連の頭にオピーマを据えるつもりが無いのなら、言うことは無い。好きにしろ」
そのオピーマは、プラントゥムを属州化するのであれば自分達に軍権を寄こせと求めてきているのだが。




