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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第三十二章
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火種亡き火おこしに備え Ⅲ

「あの時期は、元々ウェラテヌスとアスピデアウスは敵対関係でしたから。婚姻せずともアグニッシモは放置し続けたと思いますよ」


 ああ、でも、とマシディリは笑みの種類を変えた。

 深めた笑みのまま、顔も少しばかり下げる。雰囲気は楽しそうに。


「アグニッシモのことだから、余計なところに喧嘩を売りそうですね。そうしたら、きっと母上が厳しく接していたと思います」


「メルア様が?」


「ええ。ああ見えて、模範的な良妻賢母でしたから。べルティーナの理想像でもありますしね。


 尤も、べルティーナのやり方は違いますよ。


 最近は、ソルディアンナがいきなりサジェッツァ様に「頭下げて」と言ってしまったので、言葉遣いをしっかりと教えようとしています。詩作も戦功も、おおよそのことは人の才能によって出来るかどうかが左右されますが、礼は誰でも身に着けられる、と言うのは、私も身を正さねばと思うきっかけになりましたし。


 今日も、ソルディアンナは「じいじで遊ぶ」と言ってましたしね」


 クーシフォスの目が泳いだ。

 えっと、と口が開いた時に黒目が向いているのは、横。


「エスピラ様と遊ぶのは、ほほえましい、ですね」

「いいえ。じいじ『で』であっておりますよ」


 歪な指の曲げ具合でクーシフォスの手が中空に止まる。


「サジェッツァ様、と?」

「いえ。父上の髪を編んだり、花を入れたりしているのだと思います。父上は父上で、今はラエテルとセアデラに図上演習を施している頃でしょうから。ソルディアンナが勝手にやって、許可はもらっているとべルティーナに対して胸を張っているかと」


「はは。微笑ましいですね。もうすっかりと父親と母親ですか」

「そう思います?」


 クーシフォスの手が太ももに戻る。体も少し丸め、小さくなった。上半身も少しばかりマシディリに近づいてくる。


「子供達と遊んだ後って、そう言うことし辛くないですか? 特に子供が増えた後だと、なおさら」

「いえ。全く」


「え」


「べルティーナが可愛いからいけないのです。私は普通ですよ。べルティーナが可愛くてきれいだからいけないのです」

「エスピラ様の血が入って、エスピラ様が子育てに関わるとこうなるのか、と言う見本ですね」


 乾いた笑いと共にクーシフォスが去っていく。

 失敬な、と思うのは少しだけ。


「私も、父上を敬愛していますから」


「一つ、付け加えさせていただけるのであれば」

 ずっと膝を着いた体勢で不動だったアミクスが声を発した。


 クーシフォスをアグリコーラに連れて来た目的の二つ目。それは、オピーマとイロリウスの接触だ。互いに大きな決定権を持つ立場では無いが、決定に影響を与える立場。その二人を引き合わせるためである。


「冷酷な決断と寛容な決定を下せるからこそ、建国五門は長らく敬意を集めているのだと思います」


 クーシフォスの体が戻ってくる。

 いや、それどころか立ち上がった。マシディリを迂回し、アミクスの傍へと行っている。


「詳しく聞いても良いですか?」

「はい」


 アミクスも下げていた頭を上げ、体勢を変える。当然、敬意は維持したままだ。


「ウェラテヌスから見た際に暴走気味であったイフェメラ様とジュラメント様を諦めたのは、エスピラ様です。同時に、イフェメラ様に着いて行った私達が生きていられるのは、マシディリ様のおかげです。マシディリ様の言が通ったのはエスピラ様の力があってこそ。


 エスピラ様も、イフェメラ様やジュラメント様が走り出さないようにと手を尽くしてくれておりました。


 思うに、クーシフォス様が悩まれているのは中途半端な行動に終始しているからでは無いでしょうか。


 功績を立てる機会を与え、少々の暴走に目を瞑り、その上で圧をかける。かと思ったら再び蜂蜜を与え、剣をちらつかせ、こうして会談の場を持ちました。


 何がしたいのか、と言うのが見えていない可能性があります」


(ああ)

 私に言っているのだな、とマシディリは思った。


(中途半端)

 そう見えてしまうのか。

 いや、事実そうか。


 時々で思うことはあれど、そこに信念はあったのか。確かにあったとして、それは理解されるモノだったのか。


 特に、今回の行動で嫌な思いをしたのはイロリウスだろう。

 イフェメラを始めとして多くの者は救えなかったのに、あるいは彼らから見てすぐに諦めたのに、と。


「マシディリ様の軸は変わっていません。オピーマを思い、オピーマを残すために適宜提案してくれているのですから。

 ただ、アミクス様に誤解されてしまっていたのなら、私も気を付けないといけませんね」


 ぐ、とクーシフォスの拳が出来上がった。

 目も下、拳へと向けられている。


「私は、フラシ遠征は最初からウェラテヌス主導で行われるべきだったと思います。トーハ族と相対することで力を見せつけるのなら、初めからアグニッシモ様を伴ってフラシに行くべきであったと思ってしまうのです。


 そうすれば、アスフォス様の暴言やメルカトル様の醜い本性も現れずに済んだのでは無いでしょうか」


 アミクスとは此処まではっきりと言う男だったか? とマシディリは思った。

 同時に、ウェラテヌスと折衝を行える被庇護者としてイロリウスを守り、引っ張っていかねばならない以上、言わねばならない時も多かったのだろうと苦労を偲びもする。


「私は。私は、第一次フラシ遠征の編成は間違っていなかったと思います」

 クーシフォスの真っ直ぐな言葉が、アミクスでは無くマシディリへ。


「表出する時が違っていても、お爺様の本性は変わりません。結果的に、命を奪われず遺産もある程度自分の裁量で渡せたのですから、お爺様にとってもオピーマにとっても、最も被害の少ない結末だったと思います。


 アスフォスも、もっと責任ある立場になる前にやらかしたことでやり直しの機会をもらえる状態で踏みとどまれたと考えています。


 決して、悪い結果ではありませんでした。オピーマにとっては、ですけど」


 クーシフォスの手が彼自身の後頭部に伸びた。

 二度、三度と頭をかいている。


 すみません、とアミクスも小さくなった。

 クーシフォスも応じるように小さくなり、アミクスがさらに頭の位置を下げようとしている。


 気づけば、楽し気な声は止んでいた。

 アグニッシモから下ろされたセリカンカが、父親を指さし、母親に注意されている。その後に何を思ってのか、コウルスとセリカンカがアミクスとクーシフォスを真似てかどちらがより低く成れるかを競い始めた。


「何やってるの?」

 子供達と遊び終えたアグニッシモが、一目散にやってくる。


「大乱、どうしようかなって」


 間違ってはいないがあってもいない。

 それでも、アグニッシモには十分だったようで、右の拳で左の手のひらをお思いっきり殴っていた。


「大丈夫だって。俺がしっかりと片付けるから。一瞬だよ、一瞬!」

「危険な要因には、タルキウスもあるんだけどね」


 食糧貯蔵庫、インツィーア。

 その復興を果たし、先の第二次フラシ遠征にも若手を同行させた家門。

 建国五門の中でも武の家門として知れ渡るタルキウス。

 エスピラに近しい一方で、ウェラテヌスの傘下と思われるのを良しとしない最も独立した家門。


 単独でアレッシアをどうにかできる力は無いが、やはり、鍵にはなってくる。


「まあ、いけるって!」

 宣言したアグニッシモが折り畳んでいた指は四本。


「じゃ、例えその四人が別々な形で攻め込んできてもアグニッシモに頼むね」

「え? あにうえ。お助けを……」


 ひし、とアグニッシモがしがみついてくる。

 うぐ、とマシディリの動きが鈍くなると、次の遊びと言わんばかりにコウルスが飛び込んで来た。

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