お前の言葉に責任を持て
「報告です」
そう言ったカウヴァッロの隊の一人の隣には、エスピラの見知らぬ者が居た。
聞けば、グエッラ隊の一人だと言う。
なるほど。エスピラが放つ斥候では今の状況を把握するのが精いっぱい。他隊の者の話を聞く方が流れに沿って把握できると言うモノである。
「現在、騎兵が活かせる範囲では戦闘が行われておりません。全てを確認できたわけではありませんが、サジェッツァ様の陣は健在でした。被害は無いようです」
下を向いてはいるが、グエッラ隊の者の眉が僅かに動いたのが見えた。
悪い報告があるなと思いつつも、エスピラは頷くだけで口を挟まない。
「ソルプレーサ様やシニストラ様の残っていた陣も健在。フィガロット様の監督する軍団はほぼ無傷で残る形になりました」
(フィガロット様の監督する軍団『は』、か)
フィガロット・ナレティクスの監督する軍団にはエスピラの隊も含まれている。
エスピラの指示が届きやすい者も多く、無事であることに越したことは無いのだがその軍団だけが無事であっても駄目なのだ。
「他の隊は?」
「昨夜のハフモニ軍の行動の基本計画は陽動。大きな被害は無いと思われます」
答えたのはグエッラ隊の男。
「どうしてそのような情報を得るに至ったのかを、説明してもらっても?」
拒否権は勿論無い。
「は。まずは昨夜の松明の大量移動ですが、あれは捕虜となっていた近隣住民や牛や馬、奴隷などの非戦闘員の大移動でした」
ならば本隊は明かり無しで移動したのか、と聞きたくもなったがエスピラは口を噤んだ。
「陽動の可能性が高いと見抜いていたグエッラ様は進軍速度を落とし、同じく陣から打って出るであろうボストゥウミ様の軍を捉えるべく多くの斥候を放ったのです。その読みは見事にあたり、ボストゥウミ様の騎兵と合流することもできました。そればかりか、ハフモニ軍を見つけることにも成功したのです。
無論、そのまま戦闘に至りました。アレッシアの神々に愛されているグエッラ様の前では連戦連勝のマールバラなど敵ではなく、見事に蹴散らしました。これぞまさにアレッシアの守り神足り得る実力かと、兵は噂しております」
どうせ小規模な衝突だろうと思ったが、エスピラは顔には出さなかった。
横に立って話を聞いているボラッチャの空気も変わらない。
「それで?」
エスピラは無感情に返した。
「それで、とは?」
エスピラの淡々とした声の所為か、兵の声にはやや怒りがにじみ出ている。
「打ち破ったのなら、マールバラの首でもあるのか? 捕虜は幾人ほど? 軍団は壊滅したのか? それゆえの静けさか? 鬨の声が無かったが、如何した?」
兵の目が強く開かれたのがエスピラからも見えた。
だが、何も言っては来ず。握り拳がやや白くなった状態で、徐々に俯いて行っている。
「ハフモニ軍はアグリコーラの平野から離脱いたしました。おそらく、ピエタ方面に逃げたものと思われます」
そこで、言葉が止まる。
「マールバラは?」
「……逃げております」
「マールバラと言わずとも、高官は討ち取れたか生け捕れたのだろう?」
「…………捕虜は、おりません」
エスピラは演技じみた溜息をもらした。
おおげさな動きでゆっくりと兵の前にしゃがむ。
「『マールバラなど敵ではなく、見事に蹴散らした』。確かにそう言ったな? ああ、勘違いするな。怒っているわけでは無い。味方を鼓舞するのには多少誇大に言うことや興奮をそのまま言葉に乗せることは大事だからな。だが、今の君の役目は何だ? 味方に、正確な情報を伝えることでは無いのか?」
肩を掴んで、小さく数度揺らした。
それから、エスピラは立ち上がる。
「『敵ではない』と言うのは、主に快勝の時に用いられる。逃げられるなとは言わないが、ハフモニに相応の被害を与えたと思わせる言葉だ。では、捕虜も取れず高官も討ち取れず大した数の兵を討つことすらできなかった現状は、グエッラ様の言う快勝に当たるのか? グエッラ様はそれで大喜びするような方なのか?」
無論、兵も大して討てなかったかどうかなどエスピラは知らない。
目の前の兵の反応や報告が少ないことから判断しただけである。
「いえ。そのようなことはございません」
「だろうな。経緯はどうあれ四万の兵の上に立つのに相応しいと判断された方だ。そんなことはあり得ない。大方、少数を打ち破っただけ。最後に残っていた少数のハフモニ軍と戦って、向こうの計画通りに逃げられただけだろう?
良いか。我らは味方だ。そして、今後の作戦を考える立場にいる。そのような者への報告は正確に行え。誇張するな。下手な虚偽を混ぜれば、危機に陥るのは味方。利するのは敵。評価を落とすのはグエッラ・ルフス。お前の評価じゃない。
グエッラ様を慕うならば気を付けておけ」
(カルド島でのご自身のことですか、と言われそうだな)
もしもソルプレーサが近くに居れば。
ただ、エスピラの中にいる想像上のソルプレーサはその言葉をはっきりと言ってきた。
「さて。マールバラはただ逃げただけか?」
頭の中のソルプレーサの言葉を退けて、エスピラは聞いた。
「陽動に引っ掛かった隊は手負いの者も出たそうです。陽動に引っ掛かった隊が陽動と気づき、気が緩んだタイミングで投石などによる襲撃。コルドーニ様がやってこられて隊を落ち着かせた時に再度の襲撃があり、陽動部隊も全て引き上げてしまった、との話も聞きましたが、正確なことは分かっておりません」
なるほど。アレッシアが隊を分けてバラバラに仕掛けてくるならば、ハフモニもその都度その都度で攻め寄せるように編成したのか、とエスピラは思った。
言葉にするなら簡単である。問題は、何も見えない夜に、不安がる兵を、それも多数の兵を意のままに操ること。
今の自身ならばそのような戦術は取れないな、とエスピラは視線を横に逃がした。
「コルドーニ様まで北上したのは問題ではありませんか?」
とボラッチャが耳打ちしてくる。
パラティゾには聞こえるようにしているあたり、きちんと気を遣ってくれているのだろう。
「言うなれば私も独断で動いている。それに軍団長格をグエッラ様、ボストゥウミ様、フィガロット様と比べて見ていけば、コルドーニ様が陽動に引っ掛かった隊を纏めるのには最適だ。あまり、責めることは私にはできないさ」
そして、その判断をコルドーニ自身で下したこともまた理解できる。
南方を抜けられれば大問題で、処刑まで見えてくるほどの失態であったが、結果的には被害を少なくできたとも考えられるのだ。
命令違反の処罰は軽いもので済むだろう。
(だが、今回は命令違反が多すぎるか)
副官のグエッラ、騎兵隊長のボストゥウミ、軍団長のコルドーニ、軍団長補佐筆頭のエスピラ。それなりに役に立ったが全員が全員命令違反ともとれる行動である。
一方でマールバラを素通りさせた疑惑のあるフィガロットは命令を遵守した。しかし、結果を見れば批判は避けられないことは想像に難くない。
そして、目の前を通過させてしまったサジェッツァも、これ以上批判を押さえつけることは厳しくなってしまったはずだ。
「これからが大変だな」
民に配慮し、民を逃がし、民への保証も考えていたとはいえアグリコーラ近辺に強いてきた負担も大きい。負担は不満になる。不満は憎悪になる。
成功すればまだ良かったが、失敗してしまった以上は例え『有効な作戦』であろうとも、石を投げつけられてしまうのである。
加えて、勝った者、動揺を鎮めた者、作戦を破綻させないように動いた者はいわば処罰される対象でもあり、彼らを処罰すれば批判は確実だ。失敗した者たちが処罰を受けないのに、と言うのは命令を守ったかどうかで決まっているとはいえ、心情では理解されない。
かと言って、処罰しなければ軍規が乱れる。同じ作戦は取れなくなってしまう。
(最悪なのは、サジェッツァを厄介視していたマールバラがサジェッツァの更迭も見据えてこの作戦を組み立てていた場合、か)
陰鬱な気持ちを噛み締めて、エスピラはまずサジェッツァの下に弁解に行くことを決断した。




