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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第三十二章
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火種亡き火おこしに備え Ⅱ

「難しいですね」


 おおよそ、愛し子を前にしているとは思えない顔と声でクーシフォスが呟いた。


 その愛し子、セリカンカはただいま順番待ちをしている。引き合わせ先のコウルスが、アグニッシモと言う名の乱高下装置で遊んでいるためだ。


 最初はコウルスもセリカンカも母親の足元を離れず、婚約者の顔合わせと言うよりは母親同士の会話となっていたのだが、今やアグニッシモと三人で楽しく遊んでいる。尤も、チアーラに言わせれば『アグニッシモで遊んでいる』らしいが。


「先のプラントゥム改革案ですが、やはり事前会談が必要だったのでは無いでしょうかと考えてしまうのです」


 あれも事前会談ですよ。

 マシディリの心中に真っ先に浮かんだ言葉だが、そんなことクーシフォスも承知の上だろう。


「ですが、すぐにその事前会談も難しいとの結論に達してしまいまして。いつも。いつも。


 父上とだけ会談しても丸め込まれたと言われ、インテケルンと行ってもインテケルンも恩があるからと言われてしまう。私が参加してもウェラテヌスと特に近しい者と見られておりますので、説得力はありません。


 やはり、インテケルンとスィーパスが必要で、スィーパスを入れるのなら後継者候補筆頭の私も居なければおかしなことになってしまって。


 そう考えると、あの会議が既に最少人数だったのかなと」


「その結果、派閥内の増長が起こり始めていても」


 クーシフォスの顔がやってきて、力なく眉が持ち上がった。


 ただし、視線はマシディリに留まることなくするすると戻っていく。目の前では、アグニッシモから下ろされたばかりのコウルスが次をとせがんでいた。アグニッシモの手がコウルスに伸びそうになり、チアーラの咳払いによってひっこめている。


「難しいですね。本当に。戦場で兵に覚悟を促し、死ねと命じる方が楽です」

「それが出来ずに戦えなくなる者もいますよ」


 マシディリの目は、遠く、ディファ・マルティーマへ。

 件の人物は、そこにはいないかも知れない。知的欲求に従ってか、あるいは。


「すみません」

「ああ、いえ」


 マシディリは、即座に反射で応えた。

 使う笑顔は、少し困ったような顔。謝罪の意味も滲ませておく。


「それだけクーシフォス様は稀有な才能を持っているので胸を張ってください、と言う話です」


 右手の人差し指で、目じりの下、右頬の端を二度かく。顔も少し傾ければ、『照れ』の形の完成だ。


「ありがとうございます」


 謝罪は正面を向いて。感謝は顔を逸らして。

 それがクーシフォスの行動である。

 故に、マシディリはクーシフォスに一歩近づくように足を動かした。


「悩むことは悪いことではありません。何も考えずに即決する方が怖いことだと思います。周りから見た時に即決したように見えても、本人は体中をぐちゃぐちゃにかき混ぜるほどに悩んでいるかもしれませんから」


「アグニッシモ様も?」


「アグニッシモは、ちょっと情動的に過ぎますかね。それが良いところでもあり、良い方向に転んだことも多いのですが。


 もしも、アスフォスやスィーパス様のことで悩まれているのでしたら、それは私とアグニッシモの責任です。


 母上の死に、アグニッシモが立ち上がれなくなることは分かり切っていたことなのに。私は長兄として適切な対応ができませんでした。功績を立てる機会を与えたいと言うクーシフォス様を止めないどころか後押ししたのも私ですしね」


「マシディリ様が責任を感じるようなことでは無いと思います」

「では、クーシフォス様もお気になさらず」


 目じりを下げ、口元をあげる。にこり、と言うよりは、くすり、と言う笑みだ。

 クーシフォスが「してやられました」と言わんばかりに苦笑する。



「全幅の信頼はなかなか出来ないことだからこそ重みがあると思います。


 私も、アグニッシモが交渉でまとめて来た条件に少しでも納得できないことがあれば不安が出てきてしまうでしょうから。

 もちろん、武勇に関してはアグニッシモに全幅の信頼を寄せていますよ。人気もありますし。ですが、政治に関しては、正直、今のままでは幾ら戦功を積み上げても属州総督に推すことは無いですね」


 それから、不安なのは親しい友人の戦場での死に直面した時だ。


 聞く限りでは「運が無かった」とはっきりと割り切れているようだが、今後もそうだと言う保証は無い。特に人間関係の近しさは、周囲が思っていることと違うことだって珍しくはないのだ。


「そもそも兄貴から逃げて来たような奴が軍事面だけとはいえ兄上から全幅の信頼を寄せられているのが信じられないんだけど」


 足音なくチアーラが戻ってきた。

 コウルスは、早く早くとアグニッシモが空くのを待っている。母親が離れたことに気づいた様子は無さそうだ。


「子供と打ち解けるのが早いから連れて来ただけだよ。コウルスが言うには、私はついでに遊びに来ている伯父上で、アグニッシモは遊びに来てくれる叔父上らしいからね」


 子供は妙に鋭い、と感じさせられる言葉だ。


 マシディリとしてはコウルスの顔を見るのも立派な用事だが、アグリコーラに用事が無いと足を運ばないのも事実である。


「兄上が甘やかすからアグニッシモがずるずると母上の棺にしがみついているんじゃない? 失恋した時もうるさかったわよ。ごちゃごちゃ。本当にうっさい。男ならもっと背筋を伸ばしなさいって、義姉さんなら怒るんじゃないの?」


 アグニッシモが逃げ先に選ぶほどチアーラも甘やかしているのでは?

 なんて、うっかりでも口にしてはいけない。


「クイリッタ様の御小言は怖そうだからね」


 クーシフォスが同情を示す。

 チアーラは、右手を横に広げてため息をついた。


「そんな大層なモノじゃないわよ。アグニッシモがさっさと立ち直っていればフラシにお前を投入して事が済んでいた、とか。部隊を保有したままメガロバシラスに突っ込むなんてどうかしている、とか。軍事力が脅威になることを理解した上で行動しろ、とか。


 至極真っ当でしょ?


 兄貴は口は悪いけど真っ当なことばかりだから反論しづらいのよね。アグニッシモはそんなとこが嫌で逃げて来た餓鬼なの。餓鬼だから餓鬼と遊べるのよね」


 ははうえ! とコウルスがようやく事態に気が付いた。

 ここよ、とチアーラが手を振る。コウルスも腕を命一杯振ってこたえていた。


 兄妹でしょ、とマシディリはクーシフォスに視線を送る。今回ばかりは、近しい意味で通じたらしい。クーシフォスも微笑ましい苦笑いを浮かべていた。


「何よ」

 だが、それ以上に妹は兄の視線の意味に気づいてしまう。


「別にいいでしょ。コウルスはまだ子供なの。それに対してアグニッシモは二十五になる年でしょ? 二十五の時の父上は既にアレッシアの希望の象徴として振舞っていたわ。


 前年のカルド島攻防戦の勝利だけじゃない。裁判にも勝って、政敵も排除して、独裁官の副官にと望まれ、途中でなりもした。母上は全く納得していなかったけど、周りを鑑みてグエッラ・ルフスの責任を代わりに取ったりもしてた。


 今のアグニッシモにそれが出来る? 無理じゃない? まだまだ餓鬼なんだから。スペランツァならまだ責任は取れそうだけど、アグニッシモは責任を誰かに取ってもらわないといけない立場じゃない」


「エスピラ様のことが好きなんですね」

「馬鹿なこと言わないでよ!」


 ははうえー、とコウルスがとたとたと駆け出した。

 チアーラが前に出て、しゃがみこむ。

「当然でしょ」

 と言う言葉を、風に流される程度に残して。


「マシディリ様」

 妹の作った余韻を握りしめたのはクーシフォス。


「アグニッシモ様は、アスピデアウスに非常に敵対的であった時期がありました。

 もしべルティーナと婚約されていなかった場合、マシディリ様はアグニッシモ様に対してどのような対応を取っておりましたか?」


 マシディリは、表情を淡い笑みで塗り固めた。


 もしも、アスフォスやスィーパスのことで悩んでいるのなら。


 マシディリの返答次第では、血の雨が降ることになる。

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