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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第三十二章
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火種亡き火おこしに備え Ⅰ

「西から、大乱が起こる予兆は、本当にありました」


 フォンス・ラクシヌス・アスピエリ。

 元処女神の巫女が認められている重婚はもちろん本人にも適用されるが、それをしない意思表示を行ったパラティゾの二人目の妻が、険しい表情で振り返った。


 寒さからでは無いだろうが、すぐにパラティゾが駆け寄り、肩に絹をかけている。フォンスもやわらかい微笑みで夫に礼を返していた。


「大乱」

 マシディリは唇に付けた手にさえ遮られそうな音量でこぼす。眼光は強いまま。顎の位置も額の位置も変えないまま、眼球だけを元処女神の巫女に向けた。


「何と言っていましたか?」


 パラティゾが再び妻から離れる。

 フォンスも、炎を背に真っすぐマシディリに向き合ってくれた。


「『木が薪として使えるようになるには時間がかかる』

『火を起こせる者が必ずしも火を扱える訳では無い』


 最後が」


 フォンスの視線が垂れた。

 淡く握られていた彼女の指の先が、ぐ、と埋まる。白くなった。拳の大きさも、僅かに小さくなる。



「『大木が倒れても森は残る。空いた天蓋を埋めるのは、どの幼木か』」


「どの、幼木」

 乱は、長引く。


(いえ。そんなはずは)

 最悪な想像が浮かび、マシディリの右手はますます口を隠すように上がった。


 西では、火種を失ったのでは無かったのか。いや、西が失ったとは限らない。火種を失ったのなら、オピーマは違うのか。むしろ火種が無くなったから起こして扱えないのか? いや、起こすにせよ、火種が無ければ火は着かないはず。


「あの」

 踏み込んでくるような声に、マシディリの目が上がった。手は下がる。口の前は開いた。


「私は先輩には及びませんが、先輩の後釜として占いを続けてきた実績があります。ですが、それは昔のこと。今の私は、もう神に仕える資格はありません。そのような者の占いですので、外れる可能性もあります」


 先輩であれば恐らくはもっと詳しいことを、とフォンスが呟いた。


「シジェロ様がお亡くなりになった以上、フォンス様以上の占い師はアレッシアにはおりません。あ。すみません。色々と不味い言葉ですね、これは」


 クーシフォスが慌てて手で口を抑えている。

 マシディリは、そんなクーシフォスに一度微笑んだ。


「比べる必要などなく、フォンス様は非常に優れた占い師です。ただ、凄腕と言われればシジェロ様も出てきてしまいますし、フォンス様の発言に少々引っ張られただけですから」


 誰も怒りませんよ、と言外に匂わせて締める。


(外れる可能性も、ですか)

 非常に不味い、と言うことだろう。

 そのような言葉をつけねばならないくらいの大乱だ。


「もうしばらく、詳しい占いをお願いしてもよろしいでしょうか?」

「問題はありませんが……」


 歯切れ悪く、フォンスが美眉を顰める。


「幸いにしてアグリコーラも設備は整いつつあります。アスピデアウスの管轄地域であるのならば、アスピエリの尊称を戴くフォンス様にはフォンス様が思う以上のご加護があると信じていますよ」


 聞きたかった答えとは違うだろう。

 それでも、マシディリは声質に全幅の信頼を込めた。彼女が最も欲するであろう言葉を伝えるのは、想い人であるパラティゾの役目。


 マシディリはもう二言三言感謝の言葉を重ねると、静かに祭壇の間から離れた。


 随分と内装もこなれてきた。新しい神殿であることに変わりは無いが、この神殿だけはアグリコーラの劫掠から免れたと言われても違和感は抱かないかも知れない。むしろ地震からの修復のためと言われたほうがしっくりと来るだろう。そんな見た目だ。


「西となると、フラシでしょうか」


 眉間に皺が定住してしまうのでは無いかと言うほどに、最近のクーシフォスは良く険しい顔をする。


「乱自体、西方が一番可能性が高いですからね。半島の北は山脈が連なり、エリポスの北にも長城が築かれます。東はイパリオンが大きな壁となるでしょう。

 占いを鑑みても、フラシと言う大木が倒れ、南方から諸部族が出てくる。あるいは、ハフモニか、両方が。そうなれば、混乱は長引くのは必然でしょうからね」


 言いながらも、違う、ともどこかで分かっていた。


『森は残る』と言う解釈がしっくりこないのだ。土地柄とか、馬の名産であり続けることや食糧庫としてと考えることは出来る。


 だが、よりしっくりと来てしまうのは。


(やめましょう)

 目を閉じ、足を前に。


 早い足音が近づいてきた。

 パラティゾの足音である。


「ティツィアーノをフラシに派遣する?」

「フラシに残っているのは、ビユーディ様とアゲラータ様、オグルノ様でしたね」


 ビユーディはプラントゥムでイフェメラと相対したこともあるアスピデアウス派の若手武官だ。東方遠征にも参加している。戦闘能力で言えば問題は無い。


 アゲラータ、オグルノ両名もマルテレスが目にかけている武官。前回の遠征では高官では無かったが、第一次フラシ遠征では高官を務めている。こちらも、戦闘能力に不安は無い。


 なるほど。必要なのは、事前に察知する能力とフラシに染み込む政治力だ。加えて、三人を下に抑えることのできる武勲や武辺的能力が必要となる。


「大乱を抑えることに関しては適任ではありますが」

 マシディリは、右の人差し指の第二関節を背中から噛んだ。


(プラントゥムの改革が大幅に遅れてしまいますね)

 フラシにティツィアーノを派遣すれば、オピーマ派からの抵抗は必至。特に二度の遠征で自信をつけた者達は旗としてスィーパスやプノパリアを大きく振ってくるのだ。


「火を抑えに行った結果、家に穴が開いては叶わないと言ったところですか?」

 クーシフォスが神妙に告げる。


「第三軍団の行動準備と、第七軍団とも言える軍団の構築を進めます。それから、ディファ・マルティーマとカルド島、オルニー島の船団の手入れの徹底も」


「第七軍団?」

 語尾に違いが出たが、名称の部分に於いてパラティゾとクーシフォスの声が重なった。


「新たな精鋭部隊候補です」

「第三軍団が居るのでは?」


「脅かす者がいないと、人は堕落する可能性がありますから。それに、自分達が居ないとどうにもならないと第三軍団が考えてしまえば、動かすための労力も跳ね上がります。

 私は第三軍団を信用していますし、第三軍団も私を信頼してくださっているのは理解していますよ。ですが、それが悪い方に行かないとも限りません。大乱が起こるのであれば、やはり、いつでも信頼関係そのままに戦える状態を維持する。そのための努力を怠るべきでは無いとは思いませんか?」


 健全な競争。

 五年から十年の期間で地位を脅かす新たな者が現れ、競争が起こる。


 寡頭制に持っていければ、体を形成するところはそうであって欲しい。そうでなくては、一気に腐敗する。


 少なくとも、支配体制が血縁で固まり続けて腐敗していった例は幾らでもあった。


「大乱を機に集めるのは良いけど、怖く無い?」


「怖いですね。ですので、基本は第三軍団と第四軍団を即座に動かして鎮圧する形にしたいと思っています。

 第七軍団は、まだ顔見せ。乱が収束する段階か、あるいは、アレッシア近郊に残してアレッシアに飛び火した際に高官だけを引き抜いて第七軍団に合流しようかとも考えています」


 ですが、とマシディリは動きを止めた。後ろの二人も止まった気配がする。


「一番は、大乱すら起こさせないこと。あるいは、動いた結果頭を失い体だけが暴れ、鎮圧に時間がかかったと言う形になることでしょうか。それならば、占いに反した結果とは言えないでしょうしね」


 大乱の起こり得る荒れた土地と言えば、プラントゥム。

 ならばこそ、干渉できる下地は用意したい。

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