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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第三十二章
1247/1590

これからのアレッシア Ⅳ

 簡易的に交わした取り決めを、粘土板に刻む。


 極秘であるために静かに、だ。乾くまで時間がかかるため、その間に隠すことも忘れない。他の者に見られないように守りも立てる。この際、エスピラが推薦した守り手ばかりの処女神の神殿は役に立つのである。


 無論、運命の女神の神殿も同様だ。


「うし」

 と、マルテレスが手を叩く。


「あとはエスピラに奢ってもらえば終わりだな」

「だから遅刻していないって言っているだろ?」

「奢ってくれないのか?」

「奢らない」

「鶏知だな」

「これからのアレッシアを支える中心にオピーマを据えたのだから、それで満足してくれよ」

「それはそれ。これはこれ。感謝はしているけどな」


 プラントゥム関連に最も時間を割いたが、一番重要なのは物流拠点としてのアレッシアの形成だ。そこを脇に置いて詰めようとしてくるあたり、インテケルンは錆びてはいないようである。


「そう言えば、アフロポリネイオはどうすんだ? エスピラから見れば、何度でも裏切ってるだろ?」


 広場へ向け、隊列が長くなったところでマルテレスが聞いてきた。

 二人の後ろにいるのは、ソルプレーサとシニストラだけである。


「どうもできないよ」

 今は。


「でも、アレッシアを裏切りすぎているからね。最近はやること為すことひとまず批判を、となっているし。祭日でも作らせてしまおうかな」


「まあ、あそこはエリポスでも一番神殿が多い国だしなあ」

 娼婦もまた多い国であるが。


 海上関係のカナロイア。軍事力のドーリス。そして、信仰のアフロポリネイオとも言える国だ。


「だからこそ、祭日はきちんと行うし、必要な物の原材料に税をかければアレッシアも潤うからねえ」


(ああ)

 にまり、とエスピラの口角が持ち上がる。

 良い考えかもしれない、と。そうしよう、と。


「メルアの功績を讃え、冥福を祈る日でも制定しようか」


 愛妻に対して様々な意見があることは知っている。

 だが、それら全てを加味しても讃えられるべき素晴らしい女性だった。誇りである。間違いなく、エスピラの人生で最大の幸福であり幸運だ。


 メルアを讃える日があっても、何の違和感もない。

 むしろなんで今まで作ろうともしなかったのか。


(なるほど)


 考えれば考えるほど、良い話かもしれない。



「エスピラ様」


 さらに大きく開きかけたエスピラの口をとどめたのは、ソルプレーサの冷たい声。


 最初、エスピラは体を前に向けたまま意識だけをソルプレーサに向け、そして振り返った。足も止まる。


 冷たい。

 触れた者の肌を引きはがすような冷たさが、そこにはある。


「アレッシアの神々に先んじてメルア様を祀るのは、あり得ないかと」


 エスピラの喉仏が動かなくなった。

 ソルプレーサに瞬きは無い。瞬きがあるような時間では無いが、あってもしないだろう。



「冗談さ」


 乾いた喉で常通りの声をひねり出す。

 マルテレスの呼吸は、まだ聞こえてこない。


「冗談であったとしても、エスピラ様のようなお立場の人が口にすべきではございません」


 ソルプレーサの温度は一定だ。

 一定で、常に低い。シニストラがソルプレーサの指先を凝視するほどに。


「悪かった」


 エスピラは、両手を肩の高さまで持ち上げた。

 先行していたはずのマシディリの視線を感じる。他の者もまもなく止まるだろう。


「確かに、冗談とは言え神々を軽んずるような言動に取られてもおかしくはなかったね。そのような意図が無くとも、とは、私もいってきた言葉なのだが。

 感謝するよ、ソルプレーサ」


 マルテレスが、ほ、と息を吐きだす気配がした。

 ソルプレーサの頭も下がる。ずずい、とマルテレスが距離を詰めてきて、豪快にエスピラの肩に腕を回してきた。


「詫びっつーと何だが、アグニッシモはまだ未婚だろ? エレザがそろそろ適齢期なんだけど、どうだ? な?」

「マルテレスに詫びることでも無いけどな」

「そうだけどよー」


 次の言葉は、口を開くまでも無く吞み潰す。


「アグニッシモの馬鹿が婚姻の務めを果たせるとは思えませんので、エレザ様に関しましては別の方の方がよろしいかと思います」


 不自然な間にも無言にもならなかったのは、クイリッタの声にマルテレスが釣られたから。

 歯を見せて笑いながらクイリッタに話しかけに行くのは、離れてしまったクイリッタとの距離を埋めたいがためか。


 代わりに近づいてきたのはスィーパス。全体の歩みを止めないためか、マシディリとクーシフォスは前を歩き出した。マシディリの視線は、ややこちらに残ったか。ちなみに、インテケルンは先に帰ってしまっている。


「もしも、エスピラ様が早急の姻戚関係を望んでいるのでしたら、私とフィチリタ様では如何でしょうか」


 取り繕う気の無い声だ。

 はっきりと口にしているが、声量は小さめ。もちろん、傍に控えるソルプレーサや後ろにいるシニストラには聞こえているだろう。


「コウルスとセリカンカの婚約はほぼ決まっているよ。それとも、オピーマでは反対意見が出たのかな?」


「そんな先の婚姻では無く、今すぐの婚姻に魅力を感じたのではありませんか? あるいは、二重の婚姻の必要を考えたからこその間だったのではございませんか?」


 くすり、とエスピラは口角を持ち上げた。

 間違ってはいない。そして、スィーパスに見極められるとは思っていなかった。

 無論、見極められたこと自体は不思議では無い。


「私はアグニッシモよりも年上。マシディリ様や兄上からの信頼と言う点に於いてはアグニッシモ様に遠く及びませんが、二度のフラシ遠征で立派な功績を持っております。

 フィチリタ様も十九、でしたっけ。エレザはまだ十七です。順序と考えても、よろしいのではありませんか?」


 功績。

(そう言うのなら、クーシフォスを今の妻と別れさせてからフィチリタと娶せるよ)


 少なくとも、スィーパスに出す気は一切ない。


「メルアとの約束がある」


 腹から出した通る声だが、すぐにはスィーパスは退かなかった。


 無言だ。確かに何も言っていない。しかし、エスピラを見て上下の唇が開きかけたのだ。背筋も伸びているし、どちらかと言えばエスピラよりである。眼光も強い。諦めの色は無い。つま先も膝もはっきりとエスピラを向いたまま。


「インテケルンは中央から逃げるつもりのようですが、私は違います。それに、エスピラ様もオピーマ派を無視できないからこうして会談の場を持ったのではありませんか?」


 娘を出すことには人質の意味もある。


 口にしてはいけない言葉だ。アレッシアは人質を認めないのだから。特に外交を担当することの多かったウェラテヌスは、交渉と情勢の変化によって多くの縁者を失ってきている。


 父祖の功績について、そしてアレッシアの伝統を重んじていないと突っ込まれることも問題だ。


「兄上は東方で名を残しましたが、私の名は西方で上がりました。貴族だけが属州を統括できるようになると思われないためにも、オピーマ派の積極的な起用、その象徴であるオピーマの起用はウェラテヌスにとっても利益のあることだと思います。


 例えば東に兄上が居て西に私が居る。兄上は元々マシディリ様と近いですが、子供を通しての縁戚関係にあり、西の私はフィチリタ様を通じて直接の関係がある。そんな状況になれば、ウェラテヌスにとっても非常に利益の大きいことでしょう。


 不安なら、フィチリタ様と共に西に赴任します。

 如何ですか? 悪くはない話だと思います。少なくとも、エレザとアグニッシモ様を結婚させるよりも」


(最後の最後でオピーマの者を前に出したな)

 思いながら、エスピラはすぐに前の自分と同じだ、と思い直した。


 軽い気持ち。別のことへ意識が行っていた。いつもの癖。

 そんなこともあり得るのだ。


「婚約者候補には入れておくよ。何せ、婚姻話は尽きないからね」


 承諾するつもりは無いが、駄目だとは明言できず。



「スィーパス! 先に行って何を奢ってもらうか決めちゃおうぜ」

「悪いな、マルテレス。たった今強請られて、それは高すぎると答えたばかりだ」


 行こうか。

 スィーパスに目を向け、軽く言い。


 ただし、スィーパスの足は一拍半遅れていた。


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