これからのアレッシア Ⅲ
エスピラは、肺から息を吐きだす。それから、マシディリに対して肩を竦めるようにして空気を緩めた。
「私の構想段階の話だが、一人の属州総督に行政の頭と軍事の頭を一人ずつつけるつもりだよ。属州総督は三年任期。軍事と行政は六年だが、交代の時期はずらす。そうして一貫性を持たせつつ、権力の土着化を防ぎたいと思ってね。
この体制で実行しても様々な問題は発生するけど、アレッシアの制度として大事なのは元老院が全てを差配することさ。
当然、現地での素早い対応と権限は必要だけどね」
この前のトーハ族との戦いで示したように。
「オピーマ派に下の地位を提示したくなかった、と言うことですか?」
「ああ」
「オピーマ派の功績を考えれば、それこそ属州総督なる役職を提示するべきではありませんか?」
「そうだね。その通りだ」
こつん、と音が鳴った。
クイリッタが中指で机を叩いた音である。さほど大きな音では無い。それでも注目を集められたのは、エスピラとインテケルンの声以外に音らしい音が無かったから。
「功績は順番待ちを早めることができるだけ。役職には、適した能力で就くべきだと思いますが」
例えば、とクイリッタが座り直す。
「どこかの国の貴人を愛人に迎えねばならないとします。要職に就け、相手も喜ぶ者としては兄上の方が適任でしょうが、女性として受け入れる場合には圧倒的に私の方が向いているでしょう。
国威高揚のためにアレッシアの名を背負って一騎討ちをすることがあったとして、名を背負う栄誉は兄上の方が相応しいですが、一騎討ちに選ばれるのはいつまでも餓鬼のままのアグニッシモ。秘密裏に交渉を進めるのならスペランツァ。
能力だけで決めれば良いのに、父上はあなた方に申し訳ないと思っているから、こうして護民官選挙の協力などを持ち寄っているのですよ?」
「私も、無駄に提案している訳では無い。この調子で拡大戦略が続けば、退役後の土地が足りなくなる。その点、外に出すことができればそこの土地に残る者も出てくるはずだ。いないのなら、そう誘導する。
それに、長いこと外に居続けることなど、普通はやりたくない仕事だ。それを引き受けると言う意味もある。こちらもこちらの利益だけを考えた提案では無い」
インテケルンがクイリッタに対して身を乗り出した。
クイリッタが下唇の下を右の人差し指でなぞる。
「拡大戦略を取らないで良いようにすると父上は言っておりますし、その父上が名を挙げたのは三年に及ぶエリポス遠征。ああ、失礼。エリポスは憧れの土地であれば、辺境の田舎と比べるのは失礼でしたね」
「遠くで任に当たる兵には、どのみち褒美が必要だ」
インテケルンも負けずに返している。
スィーパスのやや険しい眉は、インテケルンに向いていた。
「なあ、エスピラ」
そんな空気を壊そうと動くのは、やはりマルテレス。
普段通りの声で、普段通りの表情で、足はやや開いている。
「プラントゥムの人達をなんかで競わせて、上手く行った奴を元老院議員にってやっちゃあだめなのか?」
「駄目だ。まあ、アレッシアの労力と言う点では一番少なくて済むだろうけどね」
否定は強く。あとの寄り添いは、やさしく言った。
エスピラもマルテレスに応えるように足を開き、両手も膝より外に出るように気を配る。
「アレッシア人がアレッシアを導き、アレッシアがアレッシア人を守る。他の国の者を入れることは、最終的にその国のためにアレッシアが動くことになりかねないからね。
他民族の者がアレッシアで特権に預かることも、アレッシア人が受けているモノと同等の恩恵を受け入れることも、アレッシア人が特権だけを享受する者達の分まで負担を強いられることと変わらないよ」
「でも、サルトゥーラとかは元々トーハ族の方の人間だろ? アレッシアと言っても、今は半島全土から元老院議員が出ているしさ。領域が広がったのなら、増やしても良いんじゃねえか?」
「ま、基準は必要だね」
このあたりの流入は、元をたどれば第二次ハフモニ戦争中に元老院議員が多く減ったことに起因している。加えて、半島全土の協力が必要だったのだ。
故に、サジェッツァとタヴォラドが元老院議員の出身地域を広げ、そのままアスピデアウスの権力基盤となった。
戻すことは、即ち。
広げることも、また。
「アレッシア人を妻に迎え、その孫から、とかかな。住む地域ももちろん半島だ。いや、それでは意見が偏るか。そのあたりは前例を持ち出されて反論されない程度に詰める必要はあるが、少なくとも即時の議員は不可能だ。完全にアレッシア人では無い者、アレッシアの共同体に属さなかった者を元老院議員に入れることなどあり得ない。私が許さない」
これは、決定に等しい言葉である。
今のアレッシアでエスピラに刃向かって生きられる者など、どれほどいるか。エスピラより先にマシディリを怒らせれば温情に預かれるかもしれないが、その結果の剣闘士を誰もが知っているのである。
「そうか。じゃあ、忘れてくれ」
マルテレスも決定だと分かっているからか、すぐに退いた。
無論、エスピラはマルテレスに手を出す気は一切ない。何を言っても尊重するつもりである。
「それからインテケルン。功績を無視するつもりは無いよ。
第二次ハフモニ戦争で凱旋式を挙行できたのはマルテレスだ。クーシフォスもイフェメラとの戦いで重要な役を担ったし、東方遠征でも覚悟を示し続けた。これからのアレッシアに必要な立派な存在だ。クーシフォスが命を張れた要因であるスィーパスを始めとする弟達も素晴らしい功績を残しているしね。皆が並み以上だよ」
スィーパスの目がエスピラの方へやってくる。
しかし、エスピラの顔は瞳に映らない。胸から下へ。厳しい視線を俯くようにして隠そうとしている。
インテケルンは、気まずそうに目を伏せた。クイリッタは鼻を鳴らすようにしている。目を閉じているマシディリは、流石に怒りを覚えざるを得ないからか。第二次ハフモニ戦争時の処理に。
「さて。では、こうしようか?
アルモニアの議長を来年いっぱいにして、次からはインテケルンかオプティマに議長を任せる。色は大きく変わるけど、アルモニアも五年間議長をやることになるからね。良い区切りじゃないかい?」
エスピラは右手を横に倒した。手のひらは上。差し出すようにも見える形である。
「良いのか?」
「旨味の無い提案です」
喜ぶマルテレスに対し、厳しく諫めるインテケルン。
「スィーパスとマヒエリを同時に護民官に推薦してはいただけませんか?」
代案を出したのはクーシフォスだ。
音を発しかけたスィーパスに対して、目を向け、謝ってもいる。スィーパスは首を横に振ってから体を下げた。重心も、姿勢も、下へ。
クーシフォスの顔が戻ってくる。
「次の年はプノパリアを護民官に推挙していただき、その次は護民官になったことで切り開かれた官職の道を支援して欲しいのです。加えて、こちらは先のエスピラ様の発言からすると難しいかもしれませんがソリエンスに何らかのアレッシアの役職を就けるような行動もお願いします。
それから、プラントゥムに派遣する在地部隊の部隊長級にオピーマ派の人材を。
オピーマ派はどうかは分かりませんが、オピーマとして見た場合は大分納得できる条件かと思います。
話し合いの内容を公表しなければ、プラントゥムの統治をオピーマが依頼し、ウェラテヌスが快諾した。代わりに、オピーマがウェラテヌスを守ろうとしている。そのように見えるのでは無いでしょうか?」
エスピラは、目を動かさず視界の端々で愛息達を観察した。
クイリッタは、じ、とスィーパスを観察している。スィーパスに気づいた様子は無い。己の内にこもっているのか。
本命のマシディリは、見られていることが分かったのか「良い提案では無いでしょうか」と言って来た。直感の領域になるが、入れ知恵を行った訳では無いだろう。
となると、クーシフォス単独の提案か。
「属州総督、行けるか?」
口元に手を当て、クーシフォスを見ながら小さくこぼす。
意外な成長。
パラティゾやティツィアーノの成長曲線もそうだが、クーシフォスも、もしかしたらもしかするかもしれない。
もちろん、まだ任命するには至らないのだが。




