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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第三十二章
1243/1590

囚われの預言者

 道に沿って、木々が剪定されている。昔は乱雑に伸び、道の上に枝を突き刺していた木々も、今や完全に大人しいと言えるだろう。険しかったと伝わる道も、土のままではあるが舗装されたかのように滑らかな地面を作っている。


 誰もが知る道だ。

 そして、多くが通ったことの無い道である。


 屈辱の道。アレッシアが都市アレッシアを中心とした小さな都市国家から脱却し、半島の雄を目指そうとした時の最大の敵、サンヌス。その戦いで大敗したアレッシアは、武装を解除され、股くぐりのような屈辱を味合わされた。その道が、この道。


 だから、誰もが知っている。アレッシアの屈辱と共に、アレッシアの団結として。

 だから、サンヌスの王族の末裔が剣闘士として戦っているところに人が集まる。

 だから、サンヌスは反乱を起こすこともあったのだろう。


 そんな微妙な関係のところに、積極的に来ようとするアレッシア人はいない。居るとすれば、一物を抱えている者。


「異常はございませんでした」


 道を登り終え、木で作られた小屋が並ぶ小さな広場に出たところでサンヌスの男がマシディリの傍に膝を着いた。


「ご苦労様です」

「は」

 しかし、すぐには男は離れない。


 マシディリの護衛を務めているパライナが額に皺を作った。サンヌスの部隊長として監督責任を求めるつもりは無いが、上下に責任感の強い男である。不敬にも映る態度が、許せないのだろう。


「部隊の編成を進めた方がよろしいでしょうか」


 パライナの考えるようなことなど何一つない。

 そんな意思と共に無実と忠誠を改めて誓うように男が頭を下げる。


「あの女が、大乱を予言いたしました」


 マシディリの瞼に力がかかる。

 自身の意思ではどうしようもない瞳孔が大きくなってしまった。


「準備を。当然、此処を守れるだけの戦力を残しておいてください」

「は」


 目を切り、足を進める。速めはしない。元々尋ねる予定だったのだ。むしろ、それ以外でこの山を登ることはほとんど無い。


 何かをサンヌスに伝えるにしてもマシディリ自らでは無く、マシディリの側近部隊の部隊長とも言えるパライナや、第三軍団高官であるアピスを使いに出せば良いのだ。


 ただし、シジェロ・トリアヌスと会話しようと思えば、マシディリ自身が出向くしかない。



「お久しぶりですね」


 木材で偽装された、石造りの建物。神殿。火を安全に扱える工夫が凝らされた、シジェロのためだけの建物。


 その一室、薄暗い部屋にマシディリは声をかけた。


 女の身だしなみは、一見整っている。良く見れば髪の毛の一本一本には気を配っておらず、衣服の裾が折れたり汚れたりしていても気にしていないのだが、それでも綺麗に歳を重ねた女性だと多くの者が言うだろう。


「貴方からすればそうでしょうね」

「全て占いで分かっていましたか」

「紫色のペリースが見えれば、もっと良い応対をしましたよ?」

「最初だけ、ですよね。次はもっと厳しい反応になると思います」


 くすり、とシジェロが口に手を当てた。


 べルティーナとは違い、太陽の光にはあまり当たらないようにしている女性である。白い肌は、病的か。それとも多くの女性が求める白い肌と言うのが正しいのか。


 あまり笑わないからか、口元の皺もほとんど無い。


「エスピラ様なら、神のご意思すら踏み越えて事を為してしまう。そう思えてしまうのは、もう私だけではありませんよ?」


 ぞくり、と。

 背筋にうすら寒いモノを感じ取った。


 マシディリは顔には出さないように気を付ける。それでも、冷や汗が垂れそうなのは隠せない。


「シジェロ様が言うと重みが違いますね」

「そもそもエスピラ様ご自身が神々の領域、でしたっけ? 昔から神に愛されていると神殿の中でも言われておりましたのに。此処まで来ましたか」


 目は一切笑っていないが、手で隠れ続けている口元は笑っているかのように見える声と表情だ。

 その奥に、母を馬鹿にするような感情も見て取れる。メルア・セルクラウス・ウェテリはそんなこと知らないでしょう? と。


(当然だ)


 母が思うはずが無い。

 母にとって父は、どこまで行ってもただの『エスピラ・ウェラテヌス』なのだから。


 故に、父も母のことをこの上なく特別な存在として愛していたのである。無論、故に、と言うと語弊があるのだが。


「どこまで聞いていますか?」


「隠すことなく有名よ。ノトゴマ・ムタリカがエスピラ様による呪殺を疑い、逆に神々の怒りを買って死んでいったって。


 体を何度も折り曲げ、痛みに呻き、爪がめくれ上がるまで体をかきむしりながらもエスピラ様への呪詛は忘れなかった。そんな最期にも関わらず、彼が守ろうとした有力者の子弟二百人は彼が船を分けたせいで五十人が死んでしまったそうね。可哀想に。エスピラ様が用意した船は無事だったのは、どういう事かしら」


 船旅は、安全では無い。危険が付きまとう。

 父が海戦に主力を使いたくない理由の一つだ。


「神の怒りに触れた、とアレッシアでも噂になっていますよ」


「エリポスでもでしょうね。皆が必死に頭を下げに来ているのでは無くて? 今、太陽があるのはアレッシア。他は斜陽で、アレッシアのみが輝いている。


 その最たる輝きはもちろんエスピラ様。

 でも、何時まで輝けるものかしら」


 ぐ、とマシディリは眉に力を込めた。

 部屋の窓に手を置く。顔も近づけた。


「神の怒りでも?」

「いいえ。何も無いわ」


「父上に何か?」

「したところで、私のモノになるわけでも無いのに?」


 シジェロの肩が揺れる。


「下手に動いて私が生きているのが露見すれば、貴方の弟は確実に殺しに来るでしょう?

 私はね、まだ死ぬわけにはいかないの。まだその時じゃない。まだ。でしょう?」


 狂っている。

 いや、狂ったのか。

 最初は父と言う光を見続け。今は、光の少ない部屋に居続けたことで。


「たまには太陽の下を散歩することをお勧めします」

「此処は、マシディリ様の掌の中ですものね。どんな気分なのかしら。一人の女を簡単に握り潰せる状況に置き続ける、と言うのは」


「非常に重い気分ですよ」

「人が大勢死ぬよりも?」


「一人死ぬのも。大勢死ぬのも。重さに変わりはありません。親しい人が死ねば、また違ってきますが。残酷なモノですよ。私の命令で東方諸部族兵が何百と死のうと、母上が死んだときの哀しみには遠く及ばないのですから」


「東方諸部族兵の死を悲しんでいる時点で、アレッシア人指揮官としてはどうなのかしら」

「私はアレッシアを導く立場にもならねばなりませんから」


「傲慢ね」

「ウェラテヌスの責務です」


「ウェラテヌス。ウェラテヌス、ねえ。まあ、確かに。若い頃のエスピラ様に顔立ちは似ているわ。あんなに出生の疑われた子だと言うのに、今や誰も口にしない。誰もがエスピラ様の後継者が貴方だとして疑わない。すごいモノね。人間って」


「何か?」

「いいえ」


 シジェロが近づいてくる。

 マシディリと窓を挟んで向かい合い、壁にしなだれかかるようにして顔を近づけて来た。


 無論、接することはあり得ない。

 枠だけの窓が、はっきりとした壁となっている。


「おめでとう。貴方、また子を授かるわ。貴方だけでは無く、ウェラテヌスに慶事が続く。


『昇る太陽は決して山を焼きはしない。隠れた太陽は、決して草木の成長を無かったことにしない。例え曇っても、太陽の恵みは必ず収穫と言う果実をもたらす』


 そう。それから、ラエテルとセアデラについても占ったわ。


『松明が無ければ神殿の火はもう一つの神殿に移せず、粘土が無ければ割れた祭具は修復ができない』。

『家の土台は太陽とは友達になれない。それでも、互いに知っている。互いの重要性知っているからこそ、顔を合わせない』。


 前者がラエテル。後者がセアデラよ」



 マシディリの顔が、もう一段険しくなった。


「二人の何について占ったのですか」

「もちろん、ウェラテヌス宗家の主にどちらが相応しいか、よ」


 余計なお世話です。

 そんな言葉が、のどまでせり上がってきた。それ以上出て行かなかったのは、止めたからと言うよりも、上がり切らなかったから。


「本題に入りましょうか。今日は、何を占いに来たの? それとも、それすらも占っているのならわかるはずだろって?」


 そう言って、シジェロが顔の部位を動かさずに笑った。


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― 新着の感想 ―
シジェロの行方は気になっていましたが、ここで出てくるのですね。再びエスピラと言葉を交わす事になるのでしょうか。
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