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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第三十一章
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人為的な神意にゆだねよう

 ノトゴマの眉がぴくりと動く。

 手から伝わってくるのは、しっとりとした汗だ。体温も少々高いか。


 エスピラは、指でノトゴマの肩を叩くべきかとも思ったが、隠し続ける方を優先することにした。


「私、が、死をもって、エスピラ様、の、遠征を、止めると?」

「ああ」

 耳の近くに口を。


「英雄的だろう? アイネイエウスなら、祖国のために尽くしたよ。どうしようもない愚かな文官どもが取り仕切っていると知りつつね。彼自身に益など無く、英雄的だからなど無く、ただ祖国を愛していたがために」


 一秒。


 ま、君には期待していないよ、とエスピラはあっけなく離れた。

 ひらひらと手を振り、何も考慮していないかのように元の席に戻る。


「私、は、エスピラ様と敵対、など!」

「二股外交を展開していたフラシ人が君だけだと思うなよ?」


 ノトゴマの眉が瞬時に跳ねた。


「マヌアを匿ったのはお前か!」


 両手を机に叩きつけ。

 ノトゴマが、怒気を露わに立ち上がる。悲鳴を上げた机は、抑圧されたかのように抑え込まれているようにも見えた。


「あれを討たねばこの戦いは終わらない。エスピラ様なら分かっているはずだ。あの男は王位の簒奪を狙い続けると。簒奪者マヌアをどこに逃がした!」


 激昂の言葉はフラシ語。

 意図は、護衛にも伝えるためもあるか。


「論理の飛躍だよ。それでは、まるで私が次男よりも長男を評価しているようじゃないか。次男陣営に肩入れしているのにね」


 ノトゴマの憤怒が濃くなった。


(知っているな)


 エスピラが、マヌアの方が欲しいと思っていたことを。同時に警戒もしていることを。

 警戒が強いと見たからこそ、ノトゴマも作戦を展開し続けたのだ。


 が、どうでも良い。

 今やアスフォスの暴言の数々は妄言と化した。次にエスピラが考えるのは、西方への安定的な影響力の増大。その場合、ノトゴマと言う男は厄介極まりない。


 アレッシアの政治に介入しようとする姿勢を含め、嫌な男だ。

 マシディリが高く評価しているのも懸念点である。


 愛息は優秀だ。間違いない。誰が考えても後継者はマシディリになる。

 一方で、その甘さが増長を生み、新たな戦いを生まないとも限らないのだ。特に、目の前の男のような奴腹に隙を見せてしまうと。マシディリなら調伏もできるだろうが、戦争で消耗するモノは多いのである。


 ならば、此処で。

 長男マヌアにも首輪をつけることができたのだから。


 そして、仮にマヌアが復帰できたのなら、より強力な地盤をもつフラシが出来上がる。その際の協力をアレッシアがすれば良い。

 関係構築に於いて、マシディリは非常に信頼されるだろうから。


 親が子の交友関係に口出しをすることはあまり望ましくは無いだろうが、これは政治。マシディリがより良い関係を築けるとすれば、ノトゴマよりもマヌアだとエスピラは思っている。


「王族を意のままに操り、自身が王として君臨する。なるほど。実力を見せればそれも有りだったかもね。君が、武力に秀でていれば。幼き王族に代わってフラシを導く存在に。


 ただ、そうでは無かった。

 今回の戦いでそう判断されてしまった。


 混乱の種だよ。アレッシアを後ろ盾にし、アレッシアを意のままに操ろうって? 君の思い通りに進む展開は楽しかったかい? アレッシアの武力が必ず君のいる側に立ち、オピーマが積極的に介入してくれる。行き過ぎればアスピデアウスがオピーマを止めることでフラシへの介入を減らしてくれるってね。


 私は、さしずめ最終承認者かい? 今回の戦い、すぐに発生させないと困ったのは君もだろう?」


 フラシの言葉で情感を込めて。


「アフロポリネイオが、君がアレッシアへの攻撃を計画している旨を全部吐露してくれたよ」


 口角を吊り上げる。


 アフロポリネイオは、トーハ族との繋がりをアレッシアに問われる前にフラシを売ったのだ。無論、交渉相手がサルトゥーラやサルトゥーラが見える相手だったらしなかっただろう。エスピラに対しては有効だと考えて行ってきたのである。


 事実、エスピラは自身の感情を勘定に入れなければこれ以上アフロポリネイオに対して短剣を進めることは出来なくなってしまっていた。


「アフロポリネイオはアレッシアに最も反抗的な都市。過激なことも口にしなければ協力を取り付けることは出来ないほどに私がアレッシアと仲が良いと見えている証拠では?」


 ノトゴマの体は前の方にあるが、腰はしっかりと据わっている。

 言葉選びも十分だ。母国語と言うこともあるが、きちんと考えられている。


「フラシとエリポスを結び付けていたのは今は亡きアンネン。エスピラ様も空白地帯を先に埋めることの重要性は御存じのはず。確か、痛い目を見られておりましたよね?」


「はは。私はタイリー様の実の子では無いからね。得過ぎるのも考え物だっただけだよ」


 嘘である。

 タイリー・セルクラウスの死後に行動が遅れたことにより不利益を被ったのは事実だ。


 だが、今では良かったとも思う。


 もしかしたら、マシディリの考え方の一助になっているのかも知れないのだから。(カリヨ)がアレッシアへの奉仕の心を説くのに使ってくれているのだから。


「アレッシアへの叛意はありません。貴族の子弟二百人はその証拠にはなりませんか? 私の命に関しても、私は命を懸けてフラシを発展させ、アレッシアと良好な関係を維持し続けるとアレッシアの神々とフラシの父祖に誓いましょう」


「なら、神意が全てを決める、と言うことで良いかな?」


 すぐに目を大きくできるのは、ノトゴマが優秀であるからこそ。


『フラシの神々』を誓いに入れなかったのは、信心深いのか。あるいは、どちらの選択肢を取ることになっても問題無いと言うためか。


 ノトゴマの父親はノトゴマの存在を途中まで認めず、祖父母は無関心。親族はノトゴマの出世によってたかってきて、そして使われないと見るとアレッシアを唆しに来ている。肝心の母親は、なるほど。フラシ人で無いのだから『フラシの父祖』に含まれないとも言えてしまうのだ。


 エスピラは右手を挙げた。

 スペランツァが静かに動き出し、箱を机の中央に乗せる。小さな机はほとんど占有されてしまった。


 エスピラは、ゆるりと立ち上がる。


「ささやかながら、贈り物だよ。自由に使ってくれたまえ」


 言いながら、エスピラは包装を解き蓋を開けた。

 入っているのは指。人差し指と中指。二つを紐で結び、組み合わせが混ざらないようにしてある。


「君を裏切った者がアレッシアでも処断されたと取っても良いし、君のどうでも良く愛しい親族達がアレッシアに殺められたその仇討ちだと宣っても良い。好きにしてくれ」


 再度回り込み、ノトゴマの肩に手を置く。当然、周りから手のひらは見えないように気を付ける。室内の光量も十分に明るい。万が一にも露見することは無いだろう。

 エスピラは、ゆっくりとした動作を心がけ、ノトゴマの顔の横に顔を並べた。


「アレッシアの神々の加護があらんことを」


 離れてから、「ね」と溶けた蝋のような笑みをノトゴマに向ける。

 ノトゴマが歯を食いしばるような笑みを返してきた。


「少しでも多くの加護を受けられるよう、有力者の子弟は輸送船のように詰めるのでは無く、余裕をもった船旅を送れるように願います」


 低い声で。最後までフラシの言葉で。


「君の頼みならそうしよう」


 エスピラはそう笑い、離れた。

 振り向きもせずに小屋を後にする。




「エスピラ・ウェラテヌスによる呪殺を調べろ」


 ノトゴマがそのような命令を下したのは、それから少しして。同時に停戦交渉の使者もアレッシアに送られてくる。


 しかし、その使者がアレッシアからフラシに戻るころには、送り出した男は既に息を引き取っていた。

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