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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第三十一章
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フラシのために死ぬと良い

 普段は温かいフラシも、冬が近く成れば寒風が吹きすさぶ。

 あるいは、心持ちか。


 考えても仕方が無いと思いつつ、エスピラは出迎えるアレッシア軍団に対して鷹揚に手を挙げた。


 ティツィアーノらは丁寧に礼を返してくれる。プノパリアも同じだ。僅かに遅れるかと思ったスィーパスも変わらない。対して、前回は高官で今回は高官に任命されなかったオピーマ派の者の一部は、少しだけ礼が遅れていた。


(私に言わないでくれ)


 そうは思いつつも、元老院の編成にもティツィアーノが提案した編成にも納得している。

 そこを考えれば、まあ、エスピラが考えたと恨まれるのも仕方が無い。


(尤も)

 エスピラを一番恨んでいるのは、エスピラの交渉相手ノトゴマ・ムタリカだろうが。


 エスピラは、後ろに着いてきたスペランツァが『贈り物』を持っているのを確認してから、交渉用に作られた木の小屋に入った。地面から多少浮いている部屋だ。下側はしっかりと周りから確認できるようになっている。小屋に連なる建物も無い。部屋も一つ。部屋の中にあるのは机が一つと椅子が二つだけ。


「久しぶりだね、ノトゴマ」

「定刻前、に、来られる、と、は、思っておりませんでした」


 表情は普通。声音にも棘は無い。

 それでも、怒りが無ければ選ばない言葉だ。


「知っているかい? 私はね、メルアとの約束には遅れたことが無いんだ」

「それは、父上は母上を連れ出すからでは?」

「子供の時の話だよ、スペランツァ」

「大人になってからは無効」

「マシディリやユリアンナとの約束にも贈れたことは無いよ」

「かわいそうな兄貴」

「本当にね」

「父上の所為では?」

「ははっ」


 軽く笑いながら、エスピラは椅子を引いて椅子に深く腰掛けた。

 机からは離してあるが、咄嗟の行動はとりにくい姿勢だ。


「どうした?」

 両手を広げ。


「ああ。握手が先だったかい?」

 そして、手を差しだす。


 数舜の迷いがあり、ノトゴマも手を伸ばしてきた。

 しっかりと、握手を交わす。

 エスピラは、触れあっている手のひらから緑のオーラを流し込んだ。


「武人の手だ」

「当然、です」

「最前線に出ることもあったんだって?」

「ええ」


 ぐい、と手を乱雑に引っ張る。

 ノトゴマは、一歩だけ前に出ただけで踏みとどまった。


「私程度に引っ張られて大丈夫だったのかい? 君が死んでしまったら、交渉が大変だろう? いや、交渉どころでは無いか。殿下は、未だに初陣らしい初陣を飾っていないのだからねえ。過保護過ぎ、と言うべきかい?」


「御心配、なく。然るべき、時、然るべき、場所。それが、あります、から」

「そうだね。フラシの風習に任せるよ」


 ノトゴマが手を引こうとする。

 エスピラは、その手すら掴み続けた。ノトゴマの眉が僅かに寄り、目が険しくなる。


「ちなみに、アレッシアでは初陣を果たしてからが成人だ。その点で言えば、なんてね」

「フラシの風習、に、任せる、と」

「私が警告したにも関わらず留学生工作を続けているのだから、考慮した方が良いと言ったまでさ。彼らも本分を発揮できないよ」


 ノトゴマの目がスペランツァに、より正確に言うのならばスペランツァの持つ贈り物へと向かった。エスピラは何も言わないまま、握手した手を再度動かして放す。ノトゴマはすぐには手を引けていなかった。


「座り給え。それとも、有利な体勢から私に斬りかかるつもりかい?」

「これ、は、異な、ことを!」


「そうかい? 今、私と君は敵同士となったと思うのだが」

「私、は、勝利の、ために!」


「だろうね。君の勝利のために動いていた。そうだろう? 見事な引き抜きだったと聞いているよ。処断した者もアレッシアに渡すはずの土地を持っていた者を中心に。長男陣営の有力者も殺しつつ、降格で生き延びた者もいる。無論、そう言った交渉を行ってね」


 素晴らしい才だ。マシディリが欲しがる理由もわかるよ。

 エスピラは、そう言って手を叩いた。


「アレッシアに帰れば、君をフラシの宰相として認めるべきだとの論調が、と言えば少し大げさか。でも、交渉相手として当然の如く君しか出てこなかったし、フラシの特権についてもやはり君に与えられるような論調があってねえ。


 アレッシアの戦車競技をフラシ人化させようとし、アレッシアの寛容性を良いことにフラシ人留学生でフラシ文化を強制的に地域に植え付け、あまつさえアレッシアの分断を煽った君になんて、私が許す訳無いだろう?」


「誤解、です」

 と、ノトゴマが正面に座る。

 両手を広げ、机の上に上半身が来るように乗り出し、口を大きく開けた。


「エスピラ様、が、力を入れている、戦車競技、の、発展に寄与する、ため。奉仕の心、で、フラシ人騎手とフラシの馬、を提供したのです。

 留学生、も、アレッシアを学ぶため。アレッシア、に、負担をかけないため、に、まとめた、だけ。

 分断は以ての外、です」


「戦車競技も奴隷が栄誉を得る手段だ。だが、与えるのはあくまでもアレッシア人。そこにやりたいからと言って国家の力で入ってくれば話は違ってくるだろう? 個人の意思で掴むべきであり、だからこそアレッシア人も応援するのだ。


 留学生は、まあ、受け容れようか。有力者の子弟二百人を新たに用意してくれ。若い方が良い。


 分断については、今回も良く分からない功績があったな。やけにスィーパスやプノパリアが活躍していたり。いや、スィーパスは実力の線がある。ただ、プノパリアの戦功は、疑念が残るよ」


「結果、を、見れば、分かるはず」

「対戦相手の組み合わせが、の話さ。結果だけ見ればその通りだ。論功行賞を捻じ曲げるつもりは無いよ」


 その結果、ルフスが盛り返す。

 盛り返せば当然ルフスとオピーマの関係は深まるのだ。同時にサジェッツァにとっても目論見が当たる可能性が高まる。マルテレスも喜ぶはずだ。


 それは、相対的なエスピラの権威の低下を意味する。

 戦車競技のフラシ人化も、庇護者であるエスピラの影響力を下げる行為。


 現在の元老院がエスピラの意思でどうとでもなると思われていることもある以上、均衡を取りに来ていると思えても仕方が無いことだ。


 それも、ノトゴマ主導で。

 サジェッツァやマルテレスがそんなことをするとは、エスピラには思えないのだから。


「遠征の準備、を、されている、とか」

「そうだね」

「何のため、に?」

「君を討つために」


 一瞬の間があり、ノトゴマの眉間に皺が寄った。

 迷ったようだ。寄せるべきか、それとも能面を貫くべきか。


「落ち着け」


 深みのある笑みを作りながら、エスピラはノトゴマの肩を叩いた。

 最後に手を乗せたままにすると、そのままゆっくりと押して浮いた腰を椅子に着かせる。


「一番同胞に嫌われているフラシ人は誰だい?」


 ノトゴマの肩から手を離し、ゆっくりと立ち上がる。

 ゆったりとした歩みで、身分を表す短剣以外の武器を所持していないことを見せつけながら、ノトゴマの方へ。


「私、だと?」

 ノトゴマが前を見たまま言う。


「その通りだ」

 ノトゴマの後ろを取ったエスピラは、両肩に両手を置いた。


「君が土地を与え、もらった者が長男陣営に寝返った。君の策の内だけれども、次男陣営の中には良く思わない者も多いだろう?


 そして、君が土地を与え、裏切った者の中には処罰された者も多い。この時点で君の目を疑う者も出てきた。優秀な者は、と言うが、アレッシアに割譲すると言っていた土地をもらった者を排除したことは、彼らの目にどう映っただろうな。


 何より、君は多くのアレッシア人と交流している。今回の遠征でも私的な場ではティツィアーノとはほとんど会えなかったようだが、スィーパスやインテケルンとはたくさんあったそうじゃないか。


 君の主も初陣を果たせていないしね。最終戦とか、絶好機だと思ったのだが。演説一つで良かったのに、それも無かった。


 何のため?

 乗っ取るため。


 そう思われているのなら、不利益だろう?

 だから、私が君に好機を持ってきた」


 肩に手を置いたまま、ぐい、と顔を前に出しノトゴマの横に並べる。


「フラシのために死ぬと良い」

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