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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第三十一章
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恐怖の名、偽りの希望 Ⅲ

「殿下! エキシポンス殿下!」


 寝巻に着替え、同じく寝巻の第二王子と第二王子の部屋で駒遊びに興じていると扉がけ破られるように開かれた。


 無論、老人にその力はほとんど無いだろう。できない訳では無いが、相応の負傷を覚悟しなければならない。

 でも、やりかねない雰囲気も纏っていた。


 荒い息と大きくなった鼻の穴のまま、メンアートルがマシディリを見てくる。


「多忙な友人と遊んでいるだけだ。公の場ではなく私的の場に現れたのはメンアートルの方だぞ」


 エキシポンスが眉間に皺を寄せた。

 マシディリには動かなくて良い、と手と言葉で伝えてきている。


「多忙な。『友人』」


「ああ。私もたまには責務を忘れたい時がある。マシディリはその一人だ。いや、マシディリが居なければ私はアレッシアでも王族の責務を背負い続けなければならなかったな。

 クイリッタは私をメガロバシラスの王族としてしか扱わないんだ。他の兄弟も真似してしまうとは思わないか、メンアートル」


 メンアートルがマシディリに頭を下げた。

 上がった顔の表情の険しさは、まったく変わっていない。


「あのような粛清劇を許しては、メガロバシラスはアレッシアの傘下に入りますと言っているようなモノではありませんか」


 声の音に込められた棘も、変わらない。

 一方で、エキシポンスは「待った」と駒遊びに対しての発言を真っ先にした。「その手は無しだ。戻してくれ」ともマシディリに言ってくる。


「殿下!」

「騒ぐな、メンアートル」


 凛々しい声とは裏腹に、エキシポンスの手は盤上へ。ぐちゃぐちゃにするぞ、と脅しをかけてきている。マシディリは、「結局変わりませんよ?」と言った。「言うな」と返ってくる。その状態で、マシディリは一手だけ前に戻し、「もう一つ貸しですね」と笑った。


「殿下」

 メンアートル、と再びエキシポンスがきつく言う。


「私は玉座に座りに来たのではない。メガロバシラスを守るために戻ってきたのだ」


 待て。待て。待て。

 と、エキシポンスがマシディリに対して手を動かした後、正装かのように立ち上がる。


「あの貴族が、何かをしたか、メンアートル。

 お前も貴族側だ。貴族を守らねばならないのもわかる。だが、奴らは何もしなかった。だから消した。


 分かるか、メンアートル。

 我らは清廉でなければならないのだ。誰よりも法に従い、誰よりも国に献身している様を見せねばならない。


 本当に、戦うつもりならば、な」


 メンアートルの呼吸が整ってきた。

 ぐい、と汗を拭えば、そこからはもう垂れてこない。


「戦うとは。何と? 何と戦うおつもりですか?」

「無論、祖国の独立を脅かす全てとだ」


 メンアートル、と次は親しみを込めて名を呼んでいる。


「アレッシアとの国力差は如何ほどあると思っている。アレッシアには、我らが王都を上回る都市がいくつある。海は誰のモノだ。その上でアレッシアが一番自信を持っているのはどちらの軍団だ。


 メンアートル。口だけで守れると本当に思っているのか? どこかで必ず武力は必要となる。国力差を埋めるためには、アレッシアにはアレッシアの支配領域から多くを搾り取ってもらい、発展が停滞している間にこちらが発展しないといけない。


 それが、可能か?

 カルド島やオルニー島。その上の植民都市群。税は導入されているが、取り過ぎてはいない。カルド島は激戦区であったにも関わらず、既にアレッシアの大事な宝物庫と化している。


 メンアートル。我らが勝つには、一瞬だけ国力差を埋めた状態での短期決戦が必要なんだ。その一瞬を埋めるのは、国民から搾り取る期間。国民からそれを認められるには、我らも清廉でなければならない。我らに疚しいところがあれば、すぐさま突かれ、反乱を起こされる。


 だから粛清はしなければならなかった。

 同時に、国民のためにと持つ者から取り過ぎるとマールバラのような羽目になる。


 先手も打たねばならなかったのだ。

 私に主導権が無いと奪われる側は誰であれ抵抗を見せる。そんなこと、分かり切っているはずだ!


 アレッシアに勝つには、我らは法に厳格でなければならない。施行する側が誰よりも厳格に法に支配されなければならない。そうでなければ、国力差は埋められない。


 最も、エスピラ様が居る限りアレッシアには勝てませんが。これは、世辞じゃない。マシディリが居なくても同じことを言う。あの男がいる限り、我らは勝てない。


 エスピラ様の弱点はその甘さだ。甘さが出るのはサジェッツァ・アスピデアウスとマルテレス・オピーマに対して。政変が起こったのならば、戦う可能性もある。その時のために今から備えなければならないのだ。


 私はメガロバシラスを守る。

 貴殿は、何を守る?」


 メンアートルが、眉間をそのままに膝をゆるく曲げた。


「言わずもがな」


「私も、多くの者に権限が渡るのは良くないと思っている。頭が決めたことをしっかりと守る組織。いざと言う時に一本化される組織。それが必要だ。例え、メンアートルにとっては疎ましい形であっても。私は強き王族を目指す。大王の時のような。遠征中に片腕とも言えば友人を、増長してくる危険な派閥として裁断出来たような心と体を」


 マシディリは、椅子を少し倒した。

 ぎい、と品の良い椅子でもそこらの椅子と同じような音を立てる。


「メンアートル様は、父上が守ろうとすると思いますけどね」


 笑った音はエキシポンスから。

 悔し気に口を閉めたのは、メンアートル。


「うん。しゃべりすぎて、喉が渇いたな。水を持って来させよう」

 第二王子が、どかり、と机を挟んでマシディリの前に座った。


「ところでだが、マシディリ。興が削がれたから仕切り直さないか?」

「私の勝ちで良いのなら、乗りますよ?」

「やってみないと分からないだろ?」

「では、続けましょうか」

「そうじゃない」

「待ったの前に戻しますか?」


 エキシポンスが溜息を吐く。


「わかったわかった。私の負けだ。だから、もう一局やろう」

「初めから素直に言ってくだされば良いのに」

「あのなあ。少しは年長者を敬うとか」

「だから待ったを認めているのではありませんか」


 マシディリが肩を揺らせば、エキシポンスが深いため息を吐いた。

 ひどいだろう、とエキシポンスがメンアートルに愚痴をこぼす。メンアートルは、困惑を浮かべながら曖昧な笑みを浮かべた。


「エスピラ様と帰らなくてよろしいのですか?」

「ええ。それなら」


 言葉を止める。

 メンアートルが怪訝そうな顔をしたが、すぐに顔が引き締まった。次に、理解したかのように少し表情をやわらげ、扉の前から避ける。


 直後に、走り回る音と金属音が部屋に飛び込んで来た。


「兄上! 父上は!」


 アグニッシモだ。

 遅れて、血なまぐさい匂いと汗の匂いが部屋に入ってくる。


「殿下の私室だよ」

「あ、お邪魔してます。で、父上は?」

「アグニッシモ」

「良いよ。これが、アグニッシモの魅力だ」

「だよね! で、父上は!」


 この弟は、と思いつつも、マシディリもこれがアグニッシモの魅力だと分かっている。例え、メンアートルの渋面に対して頭痛を覚えようとも。いきなり叱ることはしたくない。


「カナロイアに行ったよ」

「べ」

 と言うのが正しいか、何と言うのが正しいか。

 良く分からない音を立て、弟が崩れ落ちる。


「ぞんばあ」

「多分、もうアレッシアに戻ってるとも思うけど」

「うぞばあ」


 褒めて貰いたかったのだな、と、あまり面識のないメンアートルでさえ分かっただろう。


(でも)

 どうするかなあ、とマシディリは迷う。

 アグニッシモにその意識は無くとも、アグニッシモの来訪はアレッシア軍団としての新たな圧力となる。アグニッシモの無邪気さが要因であっても、周りはそう捉えないのだ。


(さて)

 どう、するか。


「がんばったのに……」


 頭でも撫でようかと思い、マシディリは席を立った。

 時を同じくしてアグニッシモもすっくと立ち上がる。


「じゃあ、カナロイアに行ってくる!」

「アグニッシモ」

「あ、別に兄上に褒められたくない訳じゃないよ」


「風呂に入った後でならしっかりと褒めるよ。流石に、殿下の部屋に今の状態で長く居座らせるわけにはいかないからね。

 それに、メガロバシラスの騎兵は大王以来の伝統的な騎兵だから。彼らとも遊んでから行けば、父上ももっと褒めてくれると思うよ」


「ほんと?」

「ああ。もちろん」

「じゃ、明日と明後日でちょっと遊んでからカナロイアに行くね。姉上もいるし」


 兄上、また後で!

 と叫び、嵐風は去っていく。


「マシディリ様も、これからご苦労されるようで」


 メンアートルの同情に、マシディリは「可愛い家族ですから」と返す。

 その家族によって、また苦労が増えたのは一週間後。何だかんだ言いながらアグニッシモをとどめていた時。


「第三次フラシ遠征のための準備に入るように、とエスピラ様から、失礼、元老院から通達がございました」


 骨折り損だと分かっている行動だが、やらねばならないだろう。

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