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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第三十一章
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恐怖の名、偽りの希望 Ⅰ

 ひそひそと、また声がする。


 入ってきたのはメンアートルだ。裏切り者と誰かが囁けば、誰かが同意し、別の者が聞こえるように擦り付けに必死だなと言う。


 玉座に座るのは王一人。

 右側に並ぶのは第一王子と第三王子。左側の一番手が第二王子。入ってきて以来、第三王子は完全に口を閉ざしている。第二王子に至っては目も閉じていた。第一王子だけが参加者の一部を睨みつけている。


 マシディリは、その第二王子の隣に立っていた。

 中央。王の降り口、玉座に最も近いのはソルプレーサとグライオの二人のアレッシア人。


 メガロバシラスの宰相に復位したメンアートルは、右側の一番手に着いた。


「国を売って地位を盤石にしたか」

「王族がアレッシアに媚を売ったと言うのなら、兄上の態度を如何に取る」


 誰かの大きな声に、目を閉じたままの第二王子が反応した。


「失礼いたしました」

 ひそひそとした声は終わったわけでは無い。


 粛清された貴族に対しての内応の証拠の数々。貴族の私有地で見つかったトーハ族からの贈り物。実際にトーハ族の陣中から見つかった手紙。

 誰も、直接的に名前を出して否定はしない。されど、アレッシア人に対しても乗っ取る気かと平気で噂する。聞こえるように口にする。


(親アレッシア派)


 そのはずの貴族をマシディリが見やると、すぐに目を逸らした。ただし、下げた指先だけで謝罪の意を示してくる者が多い。


 生き残るためには、アレッシアに賭けきれない。

 反アレッシア派にも媚を売る必要がある。有力者が居なくなった今なら、地位につきやすい。


 そんな算段もあるのだろう。


(二股か)

 粛清対象をもう少し広げるべきだったのでは無いか、とマシディリは悔やんだ。

 恨みを残しすぎてはいけないのだ、と冷静な部分がマシディリに訴えてくる。


「どうせ、あの男の手引きだろうさ」

「あの男が来てから全てが変わったよ」


 メガロバシラスに留学に来たくせに。

 恩を仇で返しやがった。


 ひそひそ声は、当然、父エスピラ・ウェラテヌスに対してのモノ。


「私は覚えているぞ。タイリー・セルクラウスが頼み込んで来たから父が、きょか、して」


 男の声が途切れ途切れとなり、小さくなっていく。


 扉が開いたのだ。

 当然、男も新たな参入者に聞こえるように言おうとしたのである。そして、言ってしまったのである。


 にこりと笑う、エスピラ・ウェラテヌスに。


「おや、酒臭い」

 流麗なエリポス語で言いながら、父が左手を鼻の下に当てた。


「不適切な発言の数々はメガロバシラスにとって不利益にしかなりません。少し、休まれては如何です?」

「は、ははっ。よろこんで、いえ、失礼、いたしました。お言葉にあまえ、少しばかり、頭をひやしてまいります」


 貴族ともあろうものが勢いよく頭を下げる。

 頭蓋の位置は、腰骨より下だ。


「少しと言わず、一日休んで良いですよ」

「はっ」


 男の動きは手の震えだけ。

 顔は、まだ上がらない。


「ああ」


 その一言で、今度は肩が跳ねた。


「折角休むのなら、ウェラテヌスの美酒も差し上げましょう。随分と怖がらせてしまっているようですから。友好の証ですよ。是非、ご感想をお聞かせください」


 男の口が開くのが見えた。


 何度も上下し、その間にもこめかみから汗が垂れて来た。

 ぽたり、と地面に落ちる。広がる。


「よ、よろこんで」


 そうして、半ば引きずられるように男が出て行く。


 その間は非常に静かであった。男の足音が聞こえるが、誰かが水滴を落としてもわかるくらいの静けさである。いっそ、身を薄く裂かれるかのような静かさでもあった。


「謝罪を有耶無耶にして差し上げようと思ったのですがね」

 困ったものです、と父が肩を竦めた。


 誰も、反応できない。

 第一王子も頭は下げていないが目は下を向いている。


「おや」

 歩きながら、父が続ける。


「意見交換の場だと聞いていたのですが、随分と静かですね」

 数名の目が動いた。顔が父の動きにつられている。


「先ほどまでは賑やかでしたのに」

 そして、ほとんどの顔がまた硬くなる。


「お前が、いるからな」


 低くやや挑戦的な声を出せたのはメガロバシラス国王。

 無論、エスピラには全く響いた様子が無い。


「それは私の意見に従ってくれると言うことですか? メガロバシラスともあろう国家が?」


 両手を広げ、ペリースがエスピラの目の前から退けられる。

 腹部のやわらかい部分も胸部も首も。全てさらけ出した形だ。


「お前のっ! 暴力にっ!」

 叫んだのは第一王子。

 しかし、その目はどこへ向いていると言うのか。まるで望みの物を買ってもらえなかった子供のようである。


「決断を下しのは私でなければ、私は何も言っておりませんよ。私の意思が反映されるなら、この一覧に残る方々の命か地位を奪っておりますから」


 エスピラのつま先が先ほどまでと別の方へと向く。

 そのまま進んだ先は、もちろん第一王子。懐から取り出したパピルス紙をほぼ適当に第一王子の前に出している。


「私の暴力だと言うのなら、殿下が判断すれば良い。メガロバシラスを売り、王領を削り、王権の弱体化を訴えて自身の権益を強めようとした奴等です。他国に祖国を売り渡した可能性のある者達ですよ。しっかりと、お調べください」


 第一王子の手は伸びない。


「ほら」


 ぐい、とエスピラが押し付ける。


「トーハ族が脅威で、その脅威を訴えながらアレッシアはメガロバシラスの要求を認めずに負けて帰ってきた。かくなる上はメガロバシラスが条約を破ってまで軍備を強化するしかない。おや。此処に丁度良い集団が。


 そんな意図ですかね。

 軍権は、そのまま彼らに渡りますから。暴力を手に入れられる訳ですよ。っと。失礼。これ以上は言わない方が良いでしょうか」


 父が何やらパピルス紙を開き、一部を指さした。

 第一王子の目が見開かれる。そのまま勢いよく紙を奪い去った。

 エスピラは、朗らかに微笑んだまま。


「処断は殿下にお任せします」

「エスピラ様」

「おっと。殿下の素質を疑うおつもりですか? 任せられない、と?」


 振り向きもせず、左手のひらだけで反論を行おうとした第二王子が抑え込まれた。

 ゆるゆると父の手がペリースの下に戻っていく。第一王子の頭は、上がらない。


「さて。陛下」

 くるり、とペリースが舞う。


「メガロバシラスに軍備の増強は必要ありません。勇敢なる第二王子と精兵たるメガロバシラス軍。そして、あなた方の頼れる朋友、アレッシアがついているのですから」


 これは、もう、外交交渉では無い。


「そうでしょう?」


 エスピラ・ウェラテヌスと言う恐怖に、誰も対抗できないのだ。

 目力を強くしている王も、玉座で両の拳を握りしめるだけ。


 クイリッタは人間の種類を三つに定義した。ウェラテヌス。ウェラテヌスに味方する者。それ以外。


 今ならば、マシディリは二つに分類するだろう。

 エスピラ・ウェラテヌスに意見を言える者と、言えない者に。


(なるほど)

 確かに、勝機を見出そうとすればそれはアレッシア内部からしかあり得ない。父は、対外国に於いては強すぎる。だからこそ内部干渉を図る者に対しての恨みは強くなるのか。いや、それはあくまで側面の一つ。


(ノトゴマ・ムタリカ)

 欲しかったが、無理だとマシディリは諦めた。

 元より、飼いならせる自信は無かったのだ。その上、アレッシアの、父の弱点を的確に突こうとする男なら、残念ながら。


「それでもメガロバシラスの軍事力の増強は喫緊の課題です」


 第二王子が、覇、と声を張り上げた。

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