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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第三十一章
1236/1590

虚仮にしたことを放っておくと

 撤退。


 散開。


 突撃。


 出鱈目では無い。エスピラは、相手の伝達を阻害するように笛を吹いた。


 少しして、トーハ族の命令方法を伝え、実行できるまでになったアビィティロ、グロブス、マンティンディも各々音を奏でる。

 材質は同じだ。ただし、製法はアレッシアで解析させたモノ。音色が少しばかり違う可能性もある。アレッシア人には分からないだけの可能性だって否定できない。


 だが、想像してみて欲しい。

 暗闇の中で命の奪い合いをしているような状況を。その中で、逃げて良いと言われた時を。


 全員がそうでは無い。突撃に従う者もいる。あるいは、散開の命令を受けて散開するように見せかけ、霧に乗じて逃げる者もいた。放たれた馬を見て、怯える者も。脱走兵だと思い追いかける者を。その者を脱走だと思う者も。


「カウヴァッロ。ウルティムス」

「はーい」

「はい」

 騎兵を率いる二人が、すぐにやってきた。


「追撃を。多分、油断しているよ。内通者もね」

「かしこまりました」

「はっ!」


 少し抜けた空気のままのカウヴァッロと、覇気のあるウルティムス。

 二人は作戦が成功してもこの陣には戻ってこない。だからこそ、アレッシア軍は急速に近づいてくる集団を敵と認識して行動できる。


「さようなら」

 何の感情も無い呟きと共に、アレッシア騎兵が陣から飛び出した。


 最も戦果が上がるのは追撃戦。しかし、エスピラはほとんど追撃戦を行わない。敵の偽装退却を警戒して、攻撃をしないのである。


 それは、最早多くの部族にとって共通認識であろう。


 故に、痛撃となる。




「やーはー」



 後日談だが、この戦闘には続きがある。

 ボホロスに派遣した兵からメガロバシラスにやってきたのは東方諸部族兵三千だけ。残る兵は、当然ボホロスに残っていた。アレッシア騎兵も、イパリオン騎兵も。


 彼らはボホロス人の道案内を元に、危険だからと棄却したトーハ族の勢力圏をゆっくりと進んでいたのだ。


 全ては、追撃を加えるために。

 アグニッシモ・ウェラテヌス以下アレッシア兵三千。

 イパリオン頭目プリッタタヴ以下、イパリオン騎兵五千。


 逃げられたと思い、数を減らしていたトーハ族が更なる濁流にのみ込まれたのは、トーハ族にとって安全な土地であったはずの場所であった。





「『喧伝できるような成果は無い。私が強すぎるから』だってさ」

 楽しそうに笑いながら、エスピラは羊皮紙を揺らした。紙の材料は馬である。


「そのまま伝えるのですか?」

「アグニッシモが既にメルアの墓に報告の使者を送っちゃったからね」


 マシディリがため息を吐く。

 アスフォスへの挑発だ。後を思うなら止めるべきかもしれないが、アグニッシモの気持ちを想えば止められないと言ったところか。


「殿下は何か言っていたかい?」


 エスピラは、愛息(アグニッシモ)からの手紙をたたみながら愛息(マシディリ)に尋ねた。


「兄王子まで粛清対象にしたかった、と口では言っていました」

「私への報告用の言葉だね」

「粛清には満足しているようです。父上との間で認識に差異のある人物を残さざるを得なかったことも、理解しているからこそ承諾した訳ですから」


「クイリッタは?」

「第一王子の愛人を使って、父上が粛清対象にしたかった貴族を粛正してしまいました。嫌疑は第一王子にかかっているようです。陛下からも。もちろん、エキシポンス殿下からも」


 やりすぎだ、とマシディリの顔が如実に訴えている。

 エスピラは、私としてはありがたいけどね、と愛息(クイリッタ)を庇うことにした。


「グライオを南に置いて、東の海上にはアレッシアの大船団が浮かぶ。兵力のほとんどは北部。しかも、強行を主張した貴族に配慮して予定よりもメガロバシラスから遠い位置。


 そんな状況では、先んじて王の命令で内応者を排除するしか無いだろう?


 例え王が私の謀略を疑おうとも。朋友内部での混乱を鎮めるためにと称されて私の四足の内二本を入れたくは無いだろうさ」


「その恨みを軽減、あるいは第一王子も父上と繋がっていると見せかけるため、ですか」

「流石だね」


 トーハ族など、どうでも良い。

 どうでも良くは無いが、そのためだけに出征はしないのだ。放置することの不利益は大きすぎるが、勝った利益は少ないのである。


 だから、大きくした。

 利益を最大にした。


 反アレッシア派の粛清と、第二王子に敵対的な勢力の疑心暗鬼。および、日和見勢力への見せしめ。


 それを、王の手で行わせた。

 王の手で行えないのなら、王権が弱まり貴族の力が強くなるだけ。


 王族の有利を維持するためにも、王族の権利を削るためにも。両勢力は、アレッシアの力が必要となってくるのだ。どこの誰を味方に着けようとも、アレッシアがつけばひっくり返る。


 それを示すための手紙は、もうエスピラの下に届いていた。


 アフロポリネイオ。

 歴史あるエリポスの三都市。ドーリス、カナロイアと並ぶ名声を誇る国だ。


 トーハ族に内応していた彼らが、いち早く祝辞を送ってきており、祝いの品も約束したのである。トーハ族に送るはずだった品を、そのままアレッシアに。


「舐めているよ」

「今の手出しはおやめください」

「分かっているって」


 マシディリの強めの言葉に、エスピラはゆるく返した。

 疑いの目に対しては肩を竦めて答える。果たして、他の者がいたらどちらに多く着いたのか。微妙なところだろう。


「でも、このかつらはカナロイアに送ってしまおうかな」


 言いながら、エスピラは机の端に置いたかつらを手に取った。

 艶やかな黒髪だ。非常に綺麗である。女性からの人気は高いだろう。アレッシアでも、もちろんエリポスでも人気が出そうだ。


「王妃に嫌われてしまったようだからねえ。ご機嫌取りとして良いだろう? 良質な黒髪ですよって。非常に綺麗で、流れるような様であり今でも光をしっかりと反射する。

 同姓同名の者が現れても、髪で区別名がつきますよって。そう。『艶髪』とかね」


 髪を投げ捨てる。

 恨めしいほどにしなやかに黒髪が広がり、机の端で止まる。


「父上」

「冗談さ。笑えないだろう?」


 ああ、そうだ。

 と、色の落ちた声を発する。


「アフロポリネイオに返礼品として送ろうか。娼館が盛んな貴国では、非常に重宝するでしょうってね。売り文句は、そうだな。『王族すらも魅了してしまうかも』とかでどうだろうか」


「承服しかねます」

「良い売り文句だと思ったんだけどねえ」


 違うと知りながら、とぼける。

 足を机に乗せ、端で髪先を踏み潰した。


「植物と同じように時間と共に廃れると言うのに、植物と違って定期的に採取できる訳では無いのが悲しいよ。

 まあ、でも目的はあらかた達したからね。ティツィアーノも上手くやっているようだし、そろそろアレッシアに戻ってフラシへの渡航に備えておかないと」


 上を見て、息を吐く。


「トーハ族の劫掠の被害者の一人として、共同葬儀を執り行えばそれで十分でしょう。喪主は、陛下が奪い取った形にしてしまうのが最善ではありませんか?」


「悪いね、マシディリ」

 足を下ろし、昏い目を細める。


「虚仮にしたことを許しておくと、酷いことになるからね」

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