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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第三十一章
1235/1590

もう左手には

 スコルピオの射出音が鳴る。

 人と馬の悲鳴が近くで聞こえた。

 投石兵の一部による投擲時の奇声も届く。


「思ったより、戦線は長いか?」

 片目を開けながら、エスピラは呟いた。


 自身がトーハ族の指揮官だったらどうするか。


 そもそも、烏合の衆では戦いたくない。戦うとしても主力以外は捨て石だ。今回のように襲撃を受けたのなら、前方めがけた適当に信用できない味方を散らす。その上で少数精鋭による一点突破。アレッシアが動かないことを信じて本陣を貫く一撃を放つ。


 が、敵はそうしなかったようである。

 信用できる味方が多いからか、それとも数を頼みに霧の中でも常通りの戦術を取ろうとしたのか。


(いや)

 数を動員するために常通りの戦術を選択した線もある。


「徹底防戦。幾ら敵が居ようとも、一人が四人倒せば戦いは終わる。まあ、私が前に出ない限りは私の分の四人も誰かに頼むことになるけどね」


 けらりと笑い、エスピラは戻ってきた伝令部隊を再度飛ばした。

 伝えるのは言葉だけでは無い。感情も、雰囲気も、意図も伝えなければならないのだ。戦いの前にエスピラ自ら一人一人に声掛けしたかったが、奇襲かつ霧の中では仕方が無い。


「伯父上」

 この呼び方は、難題に対して甘えを含めて肯定の返事を求める時のモノ。


「私も、前線指揮に加えてください」

 ヴィルフェットが、ずいと前に来た。


「駄目だ」

「お願いします」

「この場ではヴィルフェットにしかできない策がある。手は、残しておくべきだろう?」


 音が広がってくる。

 包囲するように。否。密集し、待機する敵を囲い、全方向から弓を射るために。


 尤も、トーハ族は弓もあるが投げ槍のことも多い。むしろ投げ槍の方が多いかもしれない。


 イパリオン騎兵との間にある装備の違いは、戦ってきた歩兵との違い。

 重装歩兵を主に相手取ってきたトーハ族は、その重装備の隊列を相手にした時に軽装騎兵でもある程度対抗できないといけなかったのだ。


 そして、前回は徹底的に防ぐことができた攻撃も、霧の中から出てくると話が違う。


 発射箇所が見えず、同時に人影に比べて圧倒的に見えづらい攻撃だ。

 熟練のアレッシア兵から漏れる苦悶の声は、以前より多く聞こえてくる。


「状況が、分かりませんね」

「以前よりは押されているよ」


 何でもないかのように返せば、ヴィルフェットが目を大きくして視線を向けて来た。


 前回はスコルピオの攻撃が奇襲となり、同時に苦しむ重装騎兵がトーハ族に精神的な軋みを生ませていた。

 しかし、今回はある程度想定済みではあるはずだ。その上、突破できない味方が見えないことが逆に勇気を灯し続ける結果に結びついている。


「音と光、か」


 戦術的に最も優秀で精神的に未熟なままだった弟子と、自身の成果が実を結ぶまでを焦り続けた弟子が評した、マシディリの得意な戦法。


(馬鹿な奴等だ)


 ぐ、と拳を握りしめる。

 トーハ族に対してこそ、イフェメラとジュラメントが最適解だったと言うのに。


「大事な時にこそいなくてどうする、愚か者」


 思わずつぶやいた声は、霧に阻まれトーハ族の喊声にかき消される。


 それで良い。

 それが良い。


 ヴィンド。ネーレ。スピリッテ。イフェメラ。ジュラメント。

 これ以上は左手に隠れない。


「ヴィルフェット!」

「はい」

「馬に乗って陣中でできるだけ遠くに行き、ドライナと叫びながらこっちにやって来い」


 ドライナ、はトーハ族で良く使われる愛称だ。

 主に部族内で良く先陣を切る者に対して用いられる。


「そしたら、私が呼ぶなと返す。ヴィルフェットは、今が好機です、とトーハ族の言葉で返してくれ。設定は、今の内にトーハ族が蓄えている物資の略奪を狙うトーハ族だ。トーハ族を前線に引き付けている内に、霧に紛れて後ろに回る。物資に関しては連合軍に奪われました、で白を切る。


 だから、シニストラとフィロラードは機を見て馬を解放するように。足音で誤魔化す。

 レンタラス、スニエダ、クルットゥも各地に配置し、ドライナと何度か叫ばせよう」


 レンタラス、スニエダ、クルットゥは皆エリポス遠征軍に居た、第一軍団所属の熟練兵である。同時に、エリポス出立前の仮装大会でかなりの好成績を収めた者達だ。階級は、全員平。


「それから、フィルムに伝令。エリポス語でご挨拶を。『兎。と、プリオム・カラブリア様にお伝えしてくれ』とトーハ族の何名かに伝えるように」


 右手を軽く振る。

 エスピラが見える者は、すぐに動き出した。彼らの動きがあってから他の者も動き出す。


「兎、とは何ですか?」

 尋ねてきたのはフィロラード。


「メガロバシラスの内応貴族とシャハーサンとの取り決めだよ。逃げろ、と伝える合言葉さ」


「シャハーサン?」

「エリポス語での交渉名は『プリオム・カラブリア』。尤も、カラブリア姓の使用は許されていないから、この後は排除されるだろうけどね」


 トーハ族の言葉の一つと、エリポス語。同じような意味を示す言葉を使っているあたり、昔から交流はある。交流のために張った根も確認した。


「利用するなら幹から切る。使い続けるなら枝を切る。枯らすなら、根から引き抜く。ってね」


 ヴィルフェットが動き出す。

 指示通り。そして、指示以上。


 至る所を回るようにして叫び、エスピラの近くまで来てくれたのだ。エスピラもいつもより低い声を出しながら張り上げ、短い応答と怒りを表現する。


 幾度かのやり取りの後、馬を逃げ出させた。


 機を見計らい、逃げた方向のアレッシア兵に喊声を挙げさせる。まるで、敵が退いて行ったぞと言っているかのように。押し時だと伝えているかのように。


 後は、まばらに鹵獲品の馬を逃がす。

 元々連れ帰る気は無い。そのための準備など無いし、馬は人よりも大食いだ。物資を考えれば、あまり連れ歩きたくもないのである。


 そして、逃げたところの近くの兵には声を張り上げさせた。


「アイネイエウスは」


 エスピラが口を開いたところで、トーハ族から笛の音がした。

 命令内容は突撃。撤退を拒絶するモノ。


「アレッシアの伝達方法を解析し、マルテレスに勝った。私が来た後もまずは解析に当たっていたしね」


 言いながら、エスピラは笛を取り出した。

 トーハ族からもらった物だ。信頼を勝ち取れ、と内応を訴えてきた者に対して初めて行った要求の結果である。


「アレッシアには五色のオーラも有れば、打ち上げ方も色々あるからねえ。音に比べて解析には時間がかかったと思うよ。尤も、乱戦では音の方が有効だろうけどね。兵士一人一人に理解させると言う意味でも」


 もちろん、霧の中でも。

 そう言いながら、エスピラは笛に口を付けた。

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