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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第三十一章
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霧の大地

「退こうか」


「何故退く。攻め込めば良いでは無いか!」


 威勢の良い言葉は、想定内。

 エスピラはゆるりとつま先の向きを変え、件の発言をしたメガロバシラスの貴族に体を向けた。軍議の場に呼ばれた東方諸部族に対しては、通訳が言葉を囁いている。


「我らは勝ったのだ。勢いを消さないことこそ最も肝要」

 我ら、と言うが、彼らに軍功は無い。

 軍功が無いからこそ焦っているとも言える。何もせずには帰れないのだ。


「この勢いに乗じ、盗人どもを壊滅させるべきだ!」


 幸いにして軍議が開かれている場所は広く布を張っただけの天井の無い場所。

 貴族の声は反響することなく、抜けていった。


「此処は敵地です」

「アレッシアにとってはメガロバシラスも敵地だったでは無いか」


「重装騎兵の討伐に役立った対人兵器の数々は、野戦向きではありません。追撃した場所では使えませんよ?」

「普通はあのような女々しい兵器は使わないモノだ」


 アレッシア人の幾人かの眉に力がこもった。

 通訳が追いついた東方諸部族の代表の数人も、唇を引き締めたり眼球だけを動かしたりしている。


 先ほどまでは威勢の良い男に同調していたメガロバシラス人の多くも、エスピラの顔を見て、それから曖昧な笑みで視線を下げ始めた。手は真横や正面に持ってこられている。背筋は伸び、肩は丸まっているような形だ。


「先の勝利では、結局騎馬民族に舐められ続けることになるとは思いませんか?」


 別の貴族がやや勢い弱く口にした。

 エスピラとしては、別に彼らが突っ込んで敗死する分には構わない。むしろ、負けたことで再度トーハ族を勢いづかせてくれるのならば万々歳だ。


 問題は、彼らが中途半端に勝つこと。

 それは、本当に美味しくない。アスフォスと同じだ。


 ならば、処断するべきか。


 否。不可能だ。第一次フラシ遠征時よりも、エスピラから問題発言者に対する軍権が弱い。



「地理を把握していれば待ち伏せも容易です。負けたからこそ、相手が勢いに乗って攻め込んでくることも想定しているでしょう。そう考えれば攻め込む危険性は上がったとも言えます。


 加えて、騎馬と徒と言うだけでも行軍速度に差があると言うのに、こちらは多くの物資を抱え、あちらは馬に分散できている。今から撤退し、次の地点で防備を固めない限りは追いつかれると思いますが」


「そうやって消極的に過ぎるからフラシでは勝機を失ったのでは無いか?」

「あ?」


 口をはさんでしまったのはヴィエレ。

 隣にいるファリチェが足を踏み、即座に黙らせている。


 しかし、貴族が顔を向ければ今にも剣に手を掛けそうなアレッシアの面々が見えただろう。


 黙っているのは、命令が無いから。不利益だと知っているから。それだけ。

 エスピラの許可が下りれば、此処に亡き者にもできる。しかも、敵地だ。もしも排除されたとしても、トーハ族の所為にできてしまう。


「言葉が、過ぎてしまいましたが。勢いが大事だと。そう申したいのです。これを止めるのは、勝機を捨てるに等しいこと。攻撃を、した方が良いと。そう、思います」


 最後まで威勢の良かった貴族の語勢が落ちる。

 アレッシア軍が居なければ勝てない。その程度は理解しているようだ。


(良かった)


 とりあえず暴走の危険は薄い、とエスピラは胸を撫で下ろした。

 同時に、ちらりとエキシポンスを見る。第二王子もやるべきことを察してくれたのか、端正な顔を真っ直ぐに発言した貴族に向けた。


「勢いはもちろん大事にすべきだ。何も間違ってはいない。しかし、私の命令もまた撤退だ」


 第二王子が顔の横に右手を挙げた。まずは、親指が折れ曲がる。


「まず、私はこの地を良く知らない。その中での行軍は非常に危険だ。相手が罠を張っていても気づかない可能性がある。敵は三万。こちらは一万三千。その上、メガロバシラス人は五千に過ぎない。少しでも有利なところで戦うべきだ。


 加えて、指揮官である私は経験不足。遠征につきものの病に対して効果的な手を打てる保証もない。霧が立ち込めれば、それこそ勢いの全てを失う。霧の中で有利な場所を探さざるを得なくなるくらいなら、私は立ち止まる方が良い力量しか今は持ち合わせていない。


 最後に、我らの大王の価値を良く知っているからだ」


 最後である五本目の指をたたむとともに、エキシポンスが言葉に力を込めた。


「大王の偉大なる戦果の一つに、騎馬民族に野戦で勝利を収めたことが挙げられる。それほどまでに立派な戦果だ。


 現に、アレッシアだってイパリオンに手痛い敗北を喫している。第一次フラシ遠征も主軸となっていったのは攻城戦だ。先の戦いも、敵に野戦と誤認させた状態で陣地攻撃を行わせたことにある。


 翻って、今の我らに大王と同じ戦力があるか?


 もしもあると言うのなら、何故貴様らは父上に対して反抗的な態度を取ることができた。


 いや、追及はよそう。

 私は未熟であり、経験も圧倒的に足りない。


 君達が君達の意見に同調する者を集められたのなら、メガロバシラス兵の半分が望むのなら、あるいは意思表明をした者のうち半分以上が追撃を望むのなら、追撃を行おう」


 エキシポンスが、堂々と言い切った。


 風は一つも起きない。静かで、警戒と手入れに時間を割いている軍団の喧騒もほとんど無かった。天幕の中からもほとんど無いと分かるほどでもあった。ただ、鹵獲したことによって大幅に増えた馬の嘶きが時たま聞こえるくらいである。


「相手が退いたうちに動く。各自、撤退準備を」


 エキシポンスが決めると、早々に天幕を出て行った。


「推すか推さないかはさておき、同調する者は探した方が良いでしょうな」


 鼻薬をかがせてある貴族がそう言って、エキシポンスに続いて天幕を出て行く。メガロバシラス人もまちまちに出て行った。



「こちらは気にしないで動こうか」


 アレッシア人と東方諸部族だけになってから、エスピラはさっさと指示を飛ばしていく。


 撤退以外ありえないのだ。


 まず、同調する者など集めることは不可能である。数人出てきたとしても、翻意させるだけの数は出てこない。メガロバシラスの軍団の中央部、指揮官級と一兵卒の間の者達はマシディリの影響下だ。今回の作戦に於いて、わざわざ危険を承知で突っ込む必要は無い。


 次いで、鹵獲品の数々が挙げられる。


 東方諸部族を餌とするためにエスピラは乱捕りを許可した。結果、遅れじとメガロバシラス兵も戦後にこぞって戦利品を探し始めたのである。確かに満足に行く数では無いだろうが、メガロバシラスの兵数は制限されている。制限された兵数に残った者達には、メガロバシラスのために、と命を懸ける行動に誇りを持っている者達も居るのだ。彼らは、多くは望まない。結果、漁りに来た者達にしっかりと行き渡ることができたのだ。


 それは、積極策を口にしたい貴族の半分以上も同じ。

 むしろ失う可能性をちらつかせれば、言を撤回させるだろう。


(此処までは想定通り)


 戦場に待ち構えるのは、あくまでもアレッシア軍。

 重装歩兵による隊列を維持して軽装騎兵に備え、対人兵器で重装騎兵を貫く。


 いわば、相手の手を制限した上で先読みし、相手の行動を見てから有利な対面を後だししてぶつけていける状況だ。


 例え騎馬でも、人間の視力にはかなわない。障害物が立ち並ぶ森などでは、騎兵の強みが活かし切れない。少しでも安心して戦うには、トーハ族も平野を選ぶ必要がある。


 そして、平野なら余程のことが無い限り、発見の方が早く、兵数も少ない方が指示が行き渡りやすい。訓練も重ね、すぐさま対人兵器の展開も隊列の形成もできるのだ。


 そう。

 普段なら。


「相手だって、これを待つよな」


 霧。

 第二次メガロバシラス戦争でマシディリの名を大きく上げるきっかけになった要因の一つ。


 トーハ族の支配地から引き切る前に、アレッシア・メガロバシラス連合軍の前に、三十メートル先も見えないような霧が立ち込めたのだった。

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