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決めたら信じるしかできないので

「月が出た」


 兵士が集まると同時に、エスピラは火の近くでそう言った。

 指は天に上っている月を指している。



「私が起きた時には雲に隠れていたが、今は出ている。フォチューナ神の教えに従い、好機を逃さぬようにとすれば月の女神が顔を覗かせたのだ。


 なるほど。そう言えば、私の下には一人の月の女神の敬虔な信徒が加わっている。彼の者はアレッシア人の憧れである赤いオーラを使い、カルド島では比類なき戦果を挙げ、その罪を処女神によって許されているまさに今のアレッシアに必要な人材だ。


 誰か。

 そう、グライオ・ベロルスだ。


 ウェラテヌスとベロルスの遺恨は消え去ってはいない。だが、アレッシアの前では全て些細なことだ。ただひたすらに、勝利のためになら私は彼をも重用しよう。神の彼への愛を信じよう。そして、皆にも神の愛がもたらされると信じよう。


 グライオの出撃を決めた時に月が姿を現したのだ。問題ない。神は、我らを見守ってくださっている。我らの勇姿を見届けて下さっている」



 ここで、エスピラは一拍置いた。

 火の前でゆったりと歩き、再度口を開く。



「そうだ。私は戦うなと言ってきた。それがアレッシアのためになると。その考えは今も変わっていない。今はまだ戦うべきではない。


 だが、今宵は別だ。

 今宵だけは許可しよう。日頃の鬱憤を晴らすことを。叩くことを。憎きハフモニを潰すことを。今宵、この月の女神の加護の下において許可しよう。


 小規模な戦闘であれば問題は一切無いのだ。

 味方の可能性がある小部隊に対しては慎重に。敵の可能性が高い大部隊に対しては大胆に仕掛けていけ。我らは会戦は行わない。ただ、敵の大きな『挑発』部隊を少数の襲撃部隊で叩くだけだ」



 最後は、ゆっくりとかみしめるように。

 そして、いたずらっぽい笑みを浮かべた。


 エスピラの表情は見えにくいし、全員は見えないだろう。


 でも、それで良いのだ。一部の兵が見えれば、後は噂となって広がっていくのだから。


「何も案ずることは無い。我らの目的はなんだ。どうすることだ?

 ハフモニを潰すこと? 否。それはタイリー様の遺言を破ること。私が神に叱られることを意味している。我らの目的はただひたすらに味方を守ること。作戦を破綻させないことだ。

 味方を支え、被害を減らし、マールバラの目にアレッシアの壁を入れさせないことにあるのだ!

 その過程で、少々喧嘩が勃発しても、今宵は闇に隠れて私の目には映らない。

 皆が、満足できる戦いになることを祈っているよ」


 そこで締めると、エスピラはボラッチャと交代した。


 エスピラの代わりに前に出たボラッチャは、一言大きな声で「アレッシアに栄光を!」と叫んだ。兵から「祖国に永遠の繁栄を」と返ってくる。


 ボラッチャが手に持っていた盃を口の中にひっくり返し、次いでアワァリオも背をのけぞらせて液体を全て腹に収めた。それから、割れるのではないかと言うほど威勢よく机に叩きつけ、意気揚々と体を膨らませながら兵の間を割って出ていく。グライオが続き、出撃する騎兵たちが続いて行った。


「良くない演説だった」


 エスピラは、雄叫びを上げる兵から隠れるように呟いた。近くに居るのはパラティゾのみである。


「乗り気では無いのが出てしまったようだ」


 言って、肩をすくめた。

 パラティゾは何と言って良いのか分からなかったのか、小さく頭を下げるだけ。


「父上が黙っていませんよ」

 それから、ちょっとした威嚇の言葉。


 父であるサジェッツァを慕っているからこその発言だろう。


「状況次第、と言う話だ。それに、命令は『ハフモニと会戦に繋がる交戦をするな』『自分たちから仕掛けるな』『徴発部隊を叩く時は一撃離脱を旨とせよ』『陣地を決して明け渡すな』『敵が陣地に攻め寄せれば周りが協力し、これを撃退せよ』だからな。何一つ、命令には反していないよ」


「しかし」


「空いてしまった陣地に味方を呼び戻すのと同時に、空の陣が奪われないように動いているだけ。むしろサジェッツァの作戦を支持していると言えるとは思わないか?」


 パラティゾが目を下に背け、次は強い光を宿してエスピラに向けて来た。


「先ほどまではエスピラ様も出撃に反対だったではありませんか」

「戦場は生き物だ。良いと思ったら取り入れる。状況が変わったら考え方も変える。柔軟性が大事だと、タイリー様も良くおっしゃっていた」


 またもやパラティゾの視線が逸れる。


 反論を探しているようなパラティゾに、エスピラは優しくと心掛けて口を開いた。


「反対するのであればもっと早く言わないと意味が無い。決まったことに後から反対するのは自分の責任を逃れたいだけの行動に映ってしまう。サジェッツァと同じような上の立場を目指す者がするべき行動ではないと覚えておいて損は無いさ」


「…………失礼、しました」


 エスピラは、パラティゾの肩に革手袋に包まれている左手を置いた。


「いくらでも失礼を働くと良い。その代わり、君が学んだことをマシディリのために活かす機会があれば惜しみなく伝えて欲しいとは思うが、ね」


 二度、優しく肩を叩き、それからエスピラも外壁の上へと進む。


「子とは、それほどまでに大事な存在なのですか?」


 サジェッツァも法を捻じ曲げてまで長男であるパラティゾを連れてきているのだ。

 それほどまでに大事かと聞かれれば、友人も応と答えるだろう。


「そうだな。マシディリは私にとって大事な息子だ。栄光あるアレッシア。その中でも誇り高きウェラテヌスの家門を引き継がせたいと、守っていって欲しいと願っているよ」


 例えそのためにエスピラ自身がどんな手段を使おうとも。

 マシディリは父祖に恥じない立派な当主に。ウェラテヌスの誇りに。


「ただ、この思いは兵も同じだろうな。父祖に恥じない栄光を。家門を輝かせる栄誉を。そして残してきた家族の安寧を。それを想って戦い、それを胸に誓っているからこそアレッシア人は引かない。最後まで踏ん張る。人質は容認しない上に斬り捨てるが、それとこれとは話が少し違うと、私は思っているよ」


「では、マシディリ様がもしも人質となった際は」

「相手の要求には一切応じないとも。ウェラテヌスの誇りにかけて」


 エスピラは夜の寒風に身を晒すと、目を僅かに細めた。


 雑多な足音に、出陣前の整然とした足音。慌ただしくなった人々の動きが風に乗ってエスピラの耳に届く。


 頬が冷え切ったのを感じて、エスピラは口を動かした。


「私の父祖も皆そうする。ウェラテヌスにとって最重要事項はアレッシアの栄光と繁栄だ。ならばアレッシア人の模範となるべき毅然とした態度も時にはとろう」


 パラティゾからの返事は無い。

 ただ、無視をしたというわけでは無く、考えているような空気は感じ取れる。


 その間を埋めるように。

「出撃の準備が整いました」

 と、伝令が僅かな金属音と共にそう告げた。


「門を開け」


 は、と言う返事と共に男たちが動き出す。重苦しい音が鳴る。


 そして、夜の闇を迎え入れるように門が開いた。


「必ずや勝利を。アレッシアに栄光を」


 言って、エスピラは横に広げた右手を挙げた。


 近くに居た者の紅いオーラが下に向かう。それを合図に、地上付近で少し光が発生した。


 直後に、馬の蹄が大地を揺らす。


 目視でも見えた一団は、ややもすると僅かに漏れる灯りしか見えなくなった。

 闇に呑まれていくような。口を開けている龍の腹へ直進するような。


(弱気の虫か)


 エスピラは目を強く瞑り、鋭い眼光を宿しながら目を開けた。


「見送るのはなれませんね」


 パラティゾが呟く。


 横目で様子を窺えば、エスピラへの意識はほとんど無く、闇の中に消えていった一団を眺めながらであると言うのが見て取れた。


「なれるモノじゃないさ」

「そうですか?」

「上の者は自分の取った決断への絶対的な自信と、不測の事態や見落としが起きる不安。両方とも抱えていた方が良い。まあ、あくまで私の持論だがね」


 それに、と声を重くしてエスピラは続けた。


「今回ばかりは覚悟しておいた方が良い。グエッラ様と軍団の騎兵が失われてもおかしくは無いからな」


 パラティゾが唾を飲み込む音が聞こえた。


「……戦って、おりますか?」

「マールバラがその気なら、そうなるだろうな」

「勝てますか?」


 パラティゾが質問を重ねてくる。


「勝てると言い切れるならこんな我慢を強いて不安と不満を積み重ねる戦略を取るわけが無い」


 エスピラは少しだけ軽く言うと、そのまま闇の向こうを睨みつけた。


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