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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第三十一章
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姻戚の廊下

「ま、流石に父上が居る以上はアレッシアに表立ってどうこうなんてできないケドね。

 ディラドグマ殲滅戦にアカンティオン同盟の惨状。特にレステンシア殲滅戦の衝撃はまだ残っているみたいよ。アレッシア人奴隷を解放して回ったアカンティオン同盟も、逆らえば歴史が終わるってね」


 だから、父上。

 ユリアンナの顔が、真っ直ぐに向けられた。


「長生きしてね」


 それは、ユリアンナの不安定な立場の表れか。

 それとも、アレッシアの繁栄を願うからこその言葉か。


 そのどちらともかもしれないが、何時になく真剣で、何時になく懇願に近い表情にエスピラも自然と背筋が伸びてしまった。


「もちろんだ」


 カナロイアで、もっと言うのなら差別ばかりのエリポスで戦うユリアンナのために。

 殲滅戦に反対したことが一部に知られているマシディリの行動を、失敗だと言われないために。


 もちろん、他の子供達のためにも。


「あと五十年くらい」

「倍生きろって?」


 けらけらけら、とユリアンナが笑いだした。

 エスピラも肩の力を抜き、苦笑に近い笑みをこぼす。


「その時は私は七十八かあ。母上に父上はもう少し遅れるって伝えておくね。きっと、「そう」としか言わないよ」

「言いそうだな」

「顔はすぐに背けられるケド」

「かわいいだろう?」

「まーた惚気てる」


 くすり、と笑いながらも、話題は思い出話へ。


 メルアの話、アレッシアの話、べルティーナの話、クイリッタへの愚痴。

 アグニッシモとスペランツァが、リングアと仲良かった時の話。


(懸念は多いか)


 思いながらも、日は暮れていく。

 流石に娘の部屋に泊まる訳にはいかないので、エスピラは外に出た。


「そうだ」

 まだ人気のないところで、もう一つ会話を重ねる。


「高級娼婦希望の奴隷はいるかい?」

 今度は、シニストラとフィロラードがエスピラ・ユリアンナ親子の後ろにいる。


「父上は?」

「手があるに越したことは無いけどね。でも、私の手元に居ては彼女達の希望をかなえられないよ。クイリッタが娼婦に期待する役割と似た役割のできる者を量産できてしまうからね」


「ホント、女の敵よね、兄さんって」

 うべー、とユリアンナが舌を出した。

 貞淑な王太子妃とはどこに行ったのか。


(こっちの方がユリアンナらしいが)


 カナロイア、ドーリスと婚姻交渉をまとめた敏腕外交官と言う側面もあるため、エスピラが思うよりも影響は少ないのかもしれない。


「ま、もらっておくわ。味方が多いに越したことは無いしね」

「他に欲しいモノはあるかい?」


「いっぱい」

「いっぱいか。全て用意するよ」


「じゃあ、手始めにトーハ族との戦いが終わったらまた寄ってくれる?」

「ああ、もちろんだが、そんなので良いのか?」


「その時に次を言うね」

「なるほど。楽しみにしているよ」


 ソルプレーサやクイリッタが居れば苦言が飛んできたであろうが、此処にいるのはシニストラ。フィロラードからの視線が動いたのは感じたが、父親が何も言わないのであれば言わないのだろう。


 少しだけ影の長くなった廊下を、エスピラとユリアンナは誰にも遮られること無く話すのみ。


 遮られるとすれば、それは、カナロイアの王族によって。


「お久しぶりです、お義父様」

 今回の場合は、王太子フォマルハウトによってであった。


「久しいね、フォマルハウト」

「お元気そうで何よりです」


 フォマルハウトの後ろ、カクラティスの表情は明るい。もちろん、フォマルハウトも笑顔だ。その分だけ、王妃の表情の硬さが浮き彫りになってくる。


「父上とお義父様は親友と聞いておりますし、久方ぶりの親子の再会であればと思い、挨拶が遅れてしまいましたが、本当は私も真っ先にご挨拶したかったです」


 ともすれば発するべきでは無い言葉だ。

 同時に、様々なところへの牽制でもある。


「君の行動は王太子としては正しいよ。それに、私としても私が外戚に加わることを本格的に望まれていることが知れて良かったしね」


 郎、とした声で。

 エスピラは、朗らかに微笑んだ。フォマルハウトも「頑張ります」と握りこぶしを作り、若者らしい快活な笑みを浮かべている。


 表情をより暗くしたのは、もちろん王妃だ。カクラティスは笑みのまま色が無い。


 カクラティスは家族間の均衡を取るためにだろうが、他の者も考えていれば家族単位での完璧な対応だ。ユリアンナからの報告では、フォマルハウトはその可能性がある。


「そう言えば、殿下。私が結婚式で言った言葉は覚えておりますでしょうか?」


 慇懃に言う。

 フォマルハウトも柔和な笑みを消し、真剣な顔で頷いた。


 エスピラは、目を細める。


「そう警戒しないでくれ。ユリアンナがうれし涙だと言ったから今回は何もしないよ。愛娘の言うことだからね。信じるに決まっているだろう?」


「私がへたれな所為でユリアンナにご迷惑をかけたことをお詫び申し上げます。さりながら、艶髪のトロピナについては、こちらにご一任してもらえませんか? それとも、カナロイアは信用ならない存在でしょうか」


 目をカクラティスの方へ動かそうとしたのは、演技か。

 エスピラが演技だと思っていることを把握していると思うのは、過剰か。


「一任も何も、私は何も関わっていないよ。麗手のトロピナについては、同情するけどね。ただ、精一杯救出は試みるとも。妃殿下も、さぞかし喜ばれることでしょうから」


 にっこり、とエスピラは笑みを深めた。

 王妃が慌てて笑みを作り直し、硬い表情のまま返してくる。

 カクラティスの口が「ほらみろ」とだけ形で動いた。視線は王妃へ。


「お義父様。ウェラテヌスの船団、楽しみにしております!

 船乗りに大事な要素はたくさんありますが、風を読むこともまた大事な要素ですから。アレッシアの船乗りがどれほどのモノか、知りたくて、直接話してもよろしいですか?」


 傲慢さと無邪気さ。そして、その裏に潜む両親と義父への牽制。


 だからこそ、エスピラは少なくともフォマルハウトはユリアンナの味方であると判断で来た。情によってだとは言い切れないが、少なくとも利と理によってフォマルハウトはユリアンナを手放すことができないのである。


 無論、それを可能にしているのはドーリスがユリアンナに優しくしているから、と言う理由もあるはずだ。


「カクラティスから、いや、妃殿下から許可が下りれば、かな」

「父上」


 ユリアンナに言われ、エスピラは軽く肩を竦め、それから謝意を込めた笑みを王妃に向けた。王妃の笑みは曖昧なまま。


「好きにすると良い。アレッシアとの同盟関係はカナロイアの外交の一丁目一番地だ。その筆頭は、もちろん王太子であるフォマルハウトだからな」


 カクラティスが代わりに返事をする。


「今もフラシとトーハと二つの遊牧民族と事を構えようとしていますもんね。そんな国、これまでありませんでしたよ。遊牧民族は強力ですから。

 でも、お義父様が主力を引き連れてこっちに来て、大丈夫なんですか?」


「心配痛み入るよ。でも、問題はないさ。


 フラシ遠征軍の副官はインテケルン。軍団長補佐筆頭はテラノイズにフィルノルド。

 オピーマ派における副官の最適任者とアスピデアウス派の武の筆頭格二人が居るからね。


 騎兵隊長はオピーマ派の有望株であるイエネーオスで、副隊長に遊牧民族の血を引くティベルディード。軍団長補佐にはボダート、スキエンティ、スペンレセ、ヒブリット、コパガと伝令部隊出身者を厚く配置して、残りもビユーディ、スィーパス、プノパリアで三派を配置していてね。遊軍としてミラブルム、ケーラン、アナストの三人のタルキウスも持って行っているよ。


 軍団長だけは完全に贔屓採用だが、三派を合同させた良い軍団構成じゃないかな。

 その点、私は偏りが激しすぎる採用だけどね」


「お義父様が育て上げた方には優秀な方が多いですからね。仕方がありませんよ」


 もっと教えてください。


 もっと。


 もっと。


 と言った風に、フォマルハウトがエスピラの横に並ぶ。


 ユリアンナにあまり構わない様子は、なるほど、良くは無いのかもしれない。

 しかし、エスピラ偏重にするその姿勢は、政治家としての確かな強かさを感じ取れる動きであった。

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