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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第三十一章
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家族の不安

「トーハ族には既にエリポス侵攻で得られる物品が伝えられているよ。品々を得られる確証めいたモノとして、麗手のトロピナも既に晒されている頃だろうしね」


「王妃様が顔を強張らせていたよー」

「二人のトロピナの末路は妃殿下の責任さ」


「王様が怒ったんじゃない?」

「妃殿下に?」

「父上に」

「失礼な。トロピナを連れ去ったのは賊で、行き先はトーハ族だぞ? しかも、麗手のトロピナは丁重に扱われているらしいしね」


「丁重」

 ユリアンナが肩を揺らす。


「上が可愛がり、下々には見せつけるだけ。分断が進むね」

 上品な笑みとは違って、下世話な話。

 それでも、普通のことだ。


「はてさて。それでは、エリポスに攻め入れば貰える物が配られないのは、どうしてか。もしかして上層部が独占しているのでは無いかってね」


「グライオやソルプレーサまで持ち出して父上が阻んでいるのにね。可哀想に。海賊だったら、船長は海に投げ捨てられているんじゃない?」


「指導力の無い上に私腹を肥やす上だと思われれば」

 とん、とエスピラは揃えた人差し指と中指の側面で自身の首を叩いた。


「まあ、攻撃せざるを得なくさせるのは良いケド。トーハ族は強力よ。本当に強い。攻め込ませたからと言って、勝てる確率が上がるだけ。本当に大丈夫?」


 一転して、ユリアンナから楽し気な雰囲気が消えた。


 二人のトロピナ。

 王妃が子のいない王太子に近づけようとした女性。


 その偶然とも言うべき時での失踪及び子を為せたとしても疑われる状況。この事件に黒幕が居るとすれば、一定以上の能力がある者が容疑者となる。エリポスに敵意を持たれた状態でのエリポスでの軍事行動は、果たして。


「メガロバシラスから足を出した状態での戦いになれば、一気に厳しくなるだろうね」

「父上」

「勝てると踏んだから殴らせた。それだけだよ」


「お爺様も勝てると踏んだからこそ殴らせた。その結果が、泣く子も黙るマールバラだと思うのだケド」

「私とマシディリは別々の陣所に居るようにはするよ」


「兄上は、先にメガロバシラスに入っているんだっけ。最近は軍功ばかり語られるけど、兄上は後方支援も一流だもんね。父上は旗としていくだけだったりして」


「メガロバシラス軍の部隊長級にはマシディリが一番気に入られているからね。それを隠すためさ」


 メガロバシラス悲運の名将、忠義の将アリオバルザネス。

 彼は、今の、享楽に耽るような振る舞いをしている王を持ち上げるためにもつかわれている叩き上げの優将だ。慕う者は多い。メガロバシラスがどうなろうと、彼が守ろうとした国を守るために戦っているのが、今の人数制限を課せられたメガロバシラス軍なのである。


 それほどまでに慕われているアリオバルザネスが、生前「最も将来が楽しみな弟子」として名前を挙げたのがマシディリ。メガロバシラスもエリポスの国家である以上、精強な個として憧れを持たれているドーリスから緋色のペリースを送られたのもマシディリ。


 貴族高官には警戒しか抱かれていなくとも、実働部隊からは好感を抱かれているのである。


「どう?」

「アリオバルザネスの弟子たちが中心だからね。十分に強いよ」


「数が足りてないんじゃない?」

「本当にそう思うかい?」


「トーハ族は三万から四万でしょ?」

「マシディリが言うには、実際には二万。一度戦線が不利になれば、必死の覚悟で戦うのは一万。もう一度不利になれば、八百かそこら。一方でメガロバシラスは兵力制限の結果五千がそのまま残るってさ」


「誰のおかげで?」

 片目を閉じ、ユリアンナが背筋を伸ばした。顎も少しだけ上がっている。


「ユリアンナがエリポス諸国家をトーハ族の諸部族に近づけたからだね。本当に助かっているよ」


「でしょ。感謝を示してもっとカナロイアに来ても良いのよ」


「次はフィチリタとレピナとセアデラを連れてくるよ。ああ、もちろんべルティーナとマシディリにも声をかけるさ」


 もちろん、最初の二万との戦いが楽に進むとは思っていない。

 敵兵力が減るのは、あくまでもアレッシア・メガロバシラス連合軍が優位に戦闘を勧めることができれば、の話。


 現実は、何が起こるか分からない。

 だから、あらゆる手を打ち、あらゆる想定をしておくのである。


「グライオ様とソルプレーサ、アルモニア様まで引っ張り出しておきながら後方に置いておくのは、私は納得しかねるケド」


 ユリアンナが唇を尖らせた。


「武力による備えも必要だろう?」

「私の力を疑っている、とかじゃなくて。過保護過ぎじゃないって話」

「そこまで私物化はしないさ」

「まあ、兄上が許さなさそうだよね」


 父上の母上への支出にも文句を付けられるほどだものね、とユリアンナがお茶に口を付けた。


(今も言われているよ)

 言えば、きっと、目の前の愛娘も愛息に同調するだろうが。


「アグニッシモの復帰は早くない?」


「早くはないさ。それに、適任だろう? 全ての東方諸部族と直接会話ができて、戦闘能力も高い。馬の扱いにも長けている。何より、イパリオンを素直に従わせられるからね」


「うーん」


 アグニッシモの能力に対する疑いでは無い。

 エスピラの判断に対する疑いだ。


 そう誰もが分かる唸り声である。


「父上、チアーラともあまり話してないでしょ?」


 そんなわけは無いと思う。

 が、他の子供達に比べて少ないのもまた事実だ。


「強く否定はできないが、頻繁に行っても迷惑だろう?」


 言い方は悪いが、子供達の中で一番懐かれていない自信があるのだ。対抗はリングア。


 上三人はエスピラにとってもすっかり頼れる存在で、双子も無邪気さを残したまま成長してくれている。下三人はウェラテヌス邸から出て行かなくなりそうな不安はあるが、それだけ懐いてくれているとも言えよう。


「うーん。迷惑かなあ。どちらかと言うと、チアーラは不安なんだと思うケド」


「不安?」


「うん。チアーラが一番リングアと仲良いから。


 何かさ、ちょっとわかれてるじゃん。私と兄さんは兄上を支える気満々だし、兄上も他の兄弟に比べて私達に頼ってくれることが多いと思うのよね。で、アグニッシモとスペランツァは私達三人を尊敬してくれているし、フィチリタを一番かわいがっている。初めての妹だしね。そのフィチリタは、レピナとセアデラの良き姉として二人に慕われているでしょ。で、父上に何かあったら私達三人に相談してくれる。


 そうなるとさ、どうしてもリングアが異質じゃん。本人の意思と関係なく担ぎ上げられるとしたらリングアでしょ?


 和平を望んでいたと思わしき者が、後世に広く伝わる話では好戦派になっている例なんて枚挙に暇がないもの。


 チアーラにはその恐怖があると思うの。

 コウルスはウェラテヌスだけじゃなくて、ドーリスの主としても担がれる可能性がある訳でしょ? 


 その点、兄上が持っていった婚約は見事だったと思うケドね」


 眉間を険しくし、エスピラは右人差し指の側面を唇に当てた。

 ぬるい風が、机の上を滑っていく。


「気を付けるよ」

 エスピラは、手を外して茶を手にした。


「リングアもね」

「リングアに関してはあまり会わない方が良いとも思っているけどね。あまり乗り気では無かったけど、ルーチェとの結婚も結果的には良かったかな」


 (カリヨ)がリングアの傍にいてくれるのだ。


「叔母上、ね」

「クイリッタにもあまり好かれていないのは悲しいよ」

「兄さんと一緒にしないで」


 ユリアンナが目を吊り上げた。

 言うほど嫌いじゃないのだろう? と思いつつ、エスピラは肩を竦める。


「アグニッシモとスペランツァがリングアを嫌っているのは仕方ないにしても、見下しているのはどうにかしたいと思っているよ」


 露骨な話の転換だが、ユリアンナの眉が下がった。

 心配なのはユリアンナも同じ。双子は、初陣以降戦陣に立てていないリングアを本気で軽蔑しているのだ。


「血の繋がった兄弟だから、とは思うケド。見下しちゃう気持ちもわかるから。止めるられるのはリングアだけじゃない? 厳しいことを言うケド、リングアがどうにかすべき問題よ」


「……それもそうか」

「アレッシアだって、エリポスから見下されたままだし」

「今やアレッシアの方が強大なのにな」


 支配領域も、戦力も、物資の集積も。

 それでもエリポスを崇めるアレッシア人が多いのだから考え物だ。

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