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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第三十一章
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大人のおねだり

 白い漆喰の塗られた傷一つ無い扉を前に、エスピラは立ち止まる。何も言わず、シニストラを見た。シニストラが首から頭を下げる。すまないね、と言って、エスピラはユリアンナに続く形で部屋の中に入った。アルグレヒト親子は、外にいるまま。


 中は、一見『静か』と表現できるような状態に整っている。


 部屋の隅に置かれた、来客者用と思われる丸机。

 窓の近くながら壁に向けて設置された事務机。

 壁の傍、二方を壁に付けて設置された寝台。


 白すぎる壁をごまかすように、カナロイアの伝統的な青を飾りつつ、紫の布も所々にさし色として敷かれたり掛けられたりしている。女性らしい荷物も一角にまとめられていた。


 逆に言えば、誰かが隠れられるような空間は存在しない。


「しばらくは子作りができなくなっちゃったね」

 ユリアンナが笑い、エスピラと一緒に丸机を部屋の中央へと運び出した。


「マフソレイオを敵に回そうって?」

 エスピラも軽く言いながら、自身が座る椅子を端から持ってくる。ユリアンナは事務机の椅子を持ってきた。


「カナロイアにその文化は無いもの。何でも良いの。蛮族から嫁いできた王太子妃を蔑めるのならね」


「踏み潰そうか?」

「父上。私、黒くない王太子妃なの」


 何を言っているのやら。

 胸を張り、得意げに鼻を鳴らした娘に対してエスピラは沈黙を選択した。


 静かな空間に、扉が叩かれる。ユリアンナが入室を許可すれば、奴隷が入ってきた。

 手に持っている二つのコップをエスピラ、ユリアンナの順で置き、ガラスの容器を中央に置く。中に入っているのは茶だ。果物を浮かべている。アレッシアと違い、ドライフルーツでは無く生の果実だ。焼き菓子もそれぞれの前に置かれた。


「ご苦労様です」

 ユリアンナがやわらかい声で労う。

 奴隷が頭を下げ、無言で出て行った。


 扉が閉められる。

 入ってくるのは、窓からのやわらかな風のみ。二階に位置するこの部屋からは、外に声は落ちていきにくいだろう。


「彼女、口がきけないの」

「慈悲深い王太子妃、ね」

「普通に優秀だから使っているだけよ」

「そうしておこう」

「人払いも彼女がやってくれているわ」

「それは優秀だ」

「でしょ?」


 言って、ユリアンナが寝台の傍に置かれた箱を寝台の上に置いた。子供のおもちゃがついている。絵柄と形を揃える物だ。それをユリアンナが手早くそろえれば、箱が開く。入っているのは積み木。角の丸い物体を避けながら、ユリアンナがパピルス紙を抜き出した。


「最新版です」

「何が増えた?」


「アフロポリネイオが軍資金を増やして、誓紙も出したわ」

「誓紙」


「事が為された際に重装歩兵を提供する約束よ。それに応じて、各国で娼館の解放を告げてもいるの。乱暴されたらたまらないし、少々の損耗はアフロポリネイオから補えるってね」


「言葉が通じない者にどこまで通用するか」

「エリポス人にとって、他の人種は黙って言うことを聞けば良いだけの人種。世界の中心、常識は自分達。否定する人が居てもそうなのだから、傲慢此処に極まれり、よね」


 ユリアンナが人差し指でコップを軽く弾いた。

 中身が揺れている内に持ち上げ、唇を湿らせている。


「辛かったら戻ってきて良いのは、本音だぞ?」


「問題ないのだケド。エリポスの王族たちだってたかが知れているのよ。思ったよりも露骨に出してくるんですもの。馬鹿ね。ああ、ドーリス王家を筆頭に優しい人もいるから安心して」


「本当に大丈夫か?」

「ええ」


「カナロイアは遠いからな。すぐ傍にいれば、私もすぐに応対できるのだが。里帰りだってもっとして良いんだぞ。必要なら資金は全部出す。カナロイアに戻る時は私やフィチリタがついてくことだってできるし、それに、アレッシアではべルティーナも待っているからな」


「父上」


「ユリアンナは優秀だからこそ抱え込み過ぎないかが不安なんだ。何でも任せてきてしまったからね。アグニッシモもスペランツァも慕っているし、リングアとチアーラだってユリアンナに面倒を見てもらっていた。マシディリの東方遠征だってユリアンナの支援があってこそ。お前は本当に自慢の娘だよ。でも、かわいい私の娘なんだ」


「父上」

 愛娘の呆れたような声に、エスピラは口を閉じた。

 それから、にまり、とユリアンナの口角が持ち上げる。


「そこまで言うなら、母上が使っていた化粧品を全種類ちょーだいっ。ね、いいでしょ?」


 両手のひらを正面で合わせ、おねだりと共に右側に愛娘の手が倒れた。体はもちろん前のめり。危険な上目遣いは、変な男に使っていないか不安になってもくる。


「すぐに用意しよう」


 変な男がたかってきたら、絶対に叩き潰そう。

 エスピラは、そう決意しながら即座に返答した。


「やったっ!」


 ユリアンナの両手が上がる。

 何時まで経っても可愛い愛娘だ。


「あ。あとね、髪の手入れ品はもっと欲しいかな。カナロイアは海に近いでしょ? だからか、なんか髪が痛みやすいらしいの」


「分かった。有用そうな物を厚めに揃えるよ」

「本当?」


「もちろんだ。ディファ・マルティーマだって港町だぞ? それに、メルアも旅行中は滞在場所によって使い分けていたからね。全て覚えているよ。髪の具合も、手に残っている。私だってある程度は推測できるさ」


「あはは。今思うと異常だよね。普通、夫婦でも毎日のように妻の髪に触れたりしないよ」


「そうか?」

「うんうん。私、一度もフォマルハウトと一緒に風呂に入ってないもん」


 カナロイアの王子として子作りに臨まない姿勢はどうかとも思うが、ユリアンナの意思を尊重してくれているところは好感を持てる。


 あのカクラティスの息子と言う点が懸念点だが、まあ、及第点は与えてやろう、とエスピラは心中で再びはんこを押した。


「そうだ。欲しがっていた純度の高い乳香だが、これで良いかい?」


 エスピラは、懐から乳香の入った小さな壺を取り出した。

 精巧な銀細工を施してあるが、内側にあるのはガラス。その小さな蓋を開き、ユリアンナの前に置いた。


 ユリアンナが壺を手に取り、検分する。


「うん。ありがと」

「欲しい量は揃えて持ってきているから、後で確認してくれ。それから、衣服も髪飾りもね」


「父上大好き!」

「どうも」


 乳香は、マフソレイオがほぼ独占している品だ。

 絶対量が少ない訳では無いが、即座に手に入る訳では無い。もちろん、エスピラでなければ、だが。


 他にもユリアンナが強請ってきた品は各地に散らばっているのだ。プラントゥム、フラシ、ハフモニ。そこから奥もある。もちろん、ユリアンナがカナロイアに対して要望した物が主軸だ。当然カナロイアからはほとんど断られている。


 それを、素早く取り揃えてエスピラが持ってきたのだ。


 本当にユリアンナが欲しがっているかどうかは、別問題。

 ユリアンナの策略だからこそ、エスピラは乗っているのである。無論、最大の理由は愛故に、だが。


「兵だけで八百人も入ってきているって話だけど、そんなにたくさんあるの?」

「ユリアンナの喜んでいる姿を見たくてね。何て、言いきれれば良いのだけど。クイリッタから「父上は世界で一番命を狙われている存在なのですから」と元老院で言われちゃってねえ。連れてこざるを得ないんだよ」


「本音は?」

 にやにや、と両肘を着き、ユリアンナが揺れる。


「脅すために持ってきた」

「だよね!」


 誰を?

 無論、カナロイアを。カナロイアに居る、ユリアンナを悪しく言う奴らを。


「そうそう。海上輸送で冬に備えた物資を持ってくるつもりだから、カナロイアの王族として応対を頼むよ」


「冬まで戦うつもりも無いくせに」

 楽しそうにユリアンナが言う。


「分かるか」

「だって、ソルディアンナが生まれたばかりだからって兄上の東方遠征を渋った父上よ。今度も二人も小さな子が居るのに、兄上を連れまわす訳無いと思うのだケド」


「もちろんすぐに終わるよ。ユリアンナのおかげでね」

 そう言って、エスピラはユリアンナから貰ったパピルス紙を揺らした。


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