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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第三十一章
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こどもの庭園

「父上!」


 白い壁を基調に、海を思わせる青い絨毯と木々を模した彫り絵。その建物から、ユリアンナが満面の笑みで現れた。衣服に余計な皺も染みも無い。高級品だ。王太子妃に相応しい出で立ちと言える。


 らしく無いのは、中庭に居るエスピラに駆けだしてくる様。

 太腿の前の布を掴んで少々持ち上げ、駆け足で段差を降り、草地に足を着けてからは両手を広げて突進してきた。


 太陽のような笑顔だ。


 エスピラも、想定外だと言う気持ちはあるものの愛娘の抱擁を両手を広げて受け止めた。


「会いたかった!」


 ぎゅ、と抱き着いたユリアンナから見えない位置で何事かを囁き合うのはカナロイアの女中。悪しく言っているのは、表情から丸わかりである。


「私も会いたかったよ、ユリアンナ」

「でも、メガロバシラスへ遠征に行くついででしょ?」

「まさか。かわいいかわいい愛娘に会うこと以上に大事な用事な訳ないじゃないか」

「えへ」


 ぐず、とユリアンナが鼻を鳴らした。


「あれ。おかしいな」


 愛娘が目を濡らし、目元を拭う。

 抱擁は解けたが、近い距離。そこで、顔を下げて。


「泣くつもりなんて無かったんだけどなあ」


 それは、まさに気丈にふるまっている少女の本音とも言うべき涙であった。


 無論、ユリアンナに少女と使うのは難しい。それでも、エスピラにとってはいつまでも可愛い娘だ。

 そして、心を打つのは他の者に対しても同じようである。先ほどの女中とは距離のある場所で、別の奴隷が女中に批判的な目を向けながら仲間に何か言うように頷いていた。


(なるほど)

 非常に、分かりやすい。


 その心を隠し、エスピラは心配を前面に押し出して結われているユリアンナの頭を、崩さないようにやさしく撫でた。


「辛いならいつでも戻って来い。私は、いつでもユリアンナの味方だ。お前を泣かせる者は、何者であれ私が排除しよう」


 ううん、とユリアンナが顔を横に振った。

 涙は流れ続けている。だが、しっかりと笑みを作っていた。


「此処は、大丈夫。カナロイアはやさしいよ。だからね、これは、父上に会えたのが嬉しくて泣いているだけだから。心配しないで。父上は、ほんと、過保護なんだから」


 エスピラに似て、良く通る声だ。

 当然のことながら、周りで見ている者達にもしっかりと聞こえただろう。ユリアンナの涙が止まらない様子も、後ろからわかるはず。


「ユリアンナ」


 エスピラは、滴る心配と周囲への確かな怒りを一言に込めた。

 ユリアンナが痛々しい笑みを作る。完璧すぎて、濡れている瞳がはっきりと異質になっている、硬すぎる笑いだ。


「ね。折角だから、此処を見て行ってよ。カナロイアが私のために作ってくれたんだよ」


 もう一度、「ね」と繰り返し、ユリアンナがエスピラの服を引っ張った。

 エスピラも、やや足を残すようにして着いていく。


 あまり高さの無い木。滑らかに削ってある滑り台。尖った物、鋭い物は排してある。段差も少なく、歩きやすい。


 その庭にある一つ一つ、工夫の数々をユリアンナは幾度もエスピラに振り返りながら話してくれた。


 愛娘の声は、いつもより半音高い。音量もエスピラとの位置関係に対してはやや大きめ。そして、必ずと言って良いほど口を開く時は無理の出てくる笑顔である。


 ほとんどの人が、気丈に振舞っていると評するだろう。


 涙ぐましい努力だ。


 庭の手入れが行き届いているのが歪か。いや、良く見れば動かせる物で明らかに小さな物、大人に用意するべきでない物。誤魔化さずに言えば、そう言った子供用の物は端や影に寄せられている。


 いわば、これがるつぼとしてのカナロイアの意思だ。


 王族で見れば、似たようなモノ。王であるカクラティスや王太子であるフォマルハウトだけを切り取れば、この庭はまた違った物になっただろう。


「子供物が多いな」


 エスピラは、零れ落ちたとも思えるように呟いた。

 ユリアンナの足が止まる。笑顔も、より固まった。


「いや、悪い」

 慌てた風に謝り、ユリアンナにすぐに近づく。


「良く見ればそうでも無いかもしれないな」

 少しだけ早口で。


 エスピラは、指をさすように手を池の方へ伸ばした。


「アレッシアにもあれくらいの池はあるが、リクレスが座り込んだ時にマシディリが慌てて引き上げていたからね。安心して見ていられないのなら、子供用では無いよ」


「リクレスは大丈夫だった?」

「マシディリに持ち上げられた時に「とれたて」と言っていたよ」


「何それ」

 と、ユリアンナが笑う。

 リクレスの収穫らしい、とエスピラは返した。


 両手両足をぶらりと下げ、真顔でいうモノだからマシディリも反応に困っていたのだ。可愛い収穫ね、と奴隷から布を受け取って近づいたのはべルティーナである。

 尤も、リクレスは母親に拭かれる前に父親の服を濡らしにかかったのだが。


「べルティーナちゃんももう四人の母だもんね」

「べルティーナはあと七人産むつもりらしくてね。マシディリを何度かせっついているのを見たよ」


「兄上ならせっつかれなくてもじゃない?」

「まあ、そのあたりは私とメルアの所為だなと思わなくも無いよ」


 節操がなさ過ぎた自覚はある。

 後悔はしていない。


「出産は一回一回が母体に大きな負荷をかける危険なことだからね。あまり無理はしないようにと言ったことはあるけど」

「父上が言っても説得力なんてないものね」

「だろ?」


 十人の子供を産んだ母親、なんてのは、そういない。


「母上が私の歳の頃には、もう七人の母親かあ」


 ユリアンナの目が遠くなる。

 顔も、少し上。何かを見ている訳では無い。


「比べるモノじゃないさ。授かりものだからね」

「兄さんはちょっとあれとして、リングアもチアーラもスペランツァももう子供がいるのよね」

「比べるモノじゃない」


 ユリアンナの笑みが、また寂しいモノへ。

 それから、まずは口角が無理矢理上がり、目を見えにくくするように再び笑みを作った。


「そうだね。でも、母上に危険な思いをさせたと思っているのなら、父上は償わないと」

「どうやって?」

 エスピラは、心配の色を残しながらも楽し気な笑みを作った。


「母上がいなくても、あと十年は生きる、とか。母上は一人当たり一年間も身籠っていた訳でしょ?」

「アグニッシモとスペランツァは双子だぞ?」


「あ、そんなこと言う? じゃあ、父上はエリポス遠征一回に三年かかったから、あと三十年でどう? 妥当だと思うケド。母上のことが好きなら、そうでしょ?」

「善処するよ」


「善処じゃダメです。確約しないと」

「健康には気を遣っているよ」


「よろしい」

 腕を組むようにユリアンナが頷いた。


「あと三十年ってことは、八十を超えているな」

「ならいっそ、エクラートンの長寿王ぐらい行くのはどう? 父上は直接お会いしたんでしょ?」


「寿命が縮んだ、と言って笑いを取ろうとする人だぞ?」

「ぴったりじゃん。父上の冗談も笑えないし」


 エスピラは、困り眉で固まってしまった。

 あながち自覚が無い訳でも無いので、何も言い返せない。


「そんな父上でも愛しているよ」

「私も愛しているよ」


「あ、世界で一番と言う訳にはいかないけど……。何番目だろう?」

 ユリアンナが声を落とし、深刻そうな顔で口元に手を当てた。

 エスピラは再度笑い飛ばし、ユリアンナの下がった頭を撫でる。


「私は、世界で同率二番目に愛しているとも」

「あ」

 ユリアンナの頭が上がったことで手が弾かれる。


「ずるい! それはずるい! 私もそうする!」

「それは父親冥利に尽きるね」

「ちなみに、父上の一番は母上?」

「もちろん」

「やっぱり」

「メルア以上が居るものか」

「それ、子供の前で言っちゃう?」

「言わなくても同じだろ」

「そうだけど。そうじゃない」


 もー、と言いながら、ユリアンナが膝を伸ばすようにして足を適当に動かす。

 遠巻きに見ている女中は、少しだけ入れ替えが起こっていた。


 ユリアンナの目がエスピラの目を追う。それから庭にある工夫を見て、目を落とした。

 雰囲気は、最初の頃のモノへ。


「中に入ろうか」


 エスピラは、通る声ながら声量を僅かに落とし、労わるように言った。

 ユリアンナが無言でうなずく。

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