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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第三十一章
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アレッシアの相談役 Ⅳ

 人柄を表すかのように丁寧で、音の均整が取れていながらも背筋の伸びる調子で扉が叩かれた。


 マシディリもサジェッツァも返事はしない。それでも、扉は開かれた。


 真っ先に目に付くのはべルティーナ。腕の中には二歳になる次男(リクレス)が抱かれていた。足元にいるソルディアンナは母の服を掴み、見上げていたようである。扉が開くなり、顔を輝かせ、少しだけ前のめりになった。それでも、前には出ない。


 ラエテルも、最近は率先してサジェッツァとの間に入ろうとはしておらず、それは今日も同じであった。


「お久しぶりです、父上。遅くなった非礼をお詫び申し上げます」

 過ぎるほどに慇懃なべルティーナの声に合わせ、礼が並ぶ。


 一番深かったのはソルディアンナだ。勢いも良い。ただ、ラエテルも最近はサジェッツァから目を切るようになっている。最初は妹の手を握り、挨拶の時も目を切らず、下げねばならない時もつま先の確認だけは怠っていなかったのだ。


 そう考えると、大分軟化してきたと言えるだろう。


「立ち入りを再び許されてすぐに訪れるとは露ほども思っておらず、準備が遅れてしまいました。次は、もう少し早めの連絡をもらえれば幸いです」


 前に出かけたソルディアンナが立ち止まった。

 上を見たことで、口がぱかりと開かれている。


「早いくらいだ」


 思い出したかのように、「茶会があったのだろう」とサジェッツァが付け加える。

 ラエテルの顎が引かれた。左手が僅かにソルディアンナの方へと動く。


「御心配なく。私が父上の出迎えに行かない方が非礼だと理解してくださる方々ですから」


 ただし、ラエテルの動きも霧散していった。ソルディアンナが、そんな兄に顔を向ける。ラエテルはソルディアンナの動きを否定しなかった。


「ちーうぇ」


 代わりに動いたのはべルティーナの腕の中のリクレス。


 最近は妹に母を奪われることも多く、べルティーナに抱かれた時はご機嫌なのだが、今の母は駄目らしい。逃げ出したいと言わんばかりに両手両足を伸ばしてマシディリに訴えかけてきている。


「ちーうぇ!」


 もうっ。大人しくしなさい。

 小声で怒りつつも、べルティーナがリクレスに落としていた視線をマシディリへと動かした。リクレスの頬はさらに赤くなっている。目にも涙の幕が張り始めた。


 サジェッツァの口が開く。

 しかし、何も言わず、ゆっくりと閉じていった。


 幸か不幸か。べルティーナがそんなサジェッツァに気づいた様子も無く、リクレスを落とさぬように気を付けながらマシディリへと近づいてきた。マシディリが手を伸ばせば、リクレスが少しだけ落ち着く。そのまま受け取り、よいしょ、と声を出しながらマシディリはリクレスを膝の上に置いた。


 ぬくい。


 愛息は、ちちうえ、ちちうえ、と鳴きながら小さな手でマシディリの衣服の胸元を叩き、掴み、引っ張り、また離している。


 その隙に、ソルディアンナが駆けだした。


 ソルディアンナ、と注意するラエテルの声は小さい。ただし、兄の声が聞こえた妹は速度を落としてサジェッツァに近づいた。


「じいじ! 頭下げて!」


 元気な声。

 物騒な要求。


 それでもサジェッツァが表情を強張らせることが無かったのは、ソルディアンナがそんな意図で言うことは無いと分かっていてか。それとも、手の中にある花冠を見たからか。


 理由は分からないが、いつも通りの能面ながらも祖父としての顔を見せながら、サジェッツァが首から頭を下に動かした。


 ソルディアンナが背伸びをする。

 両手も一生懸命伸ばし、サジェッツァの頭に花冠を乗せた。


「あげる!」

「ありがとう」


 くしゃ、とサジェッツァの手がソルディアンナの髪を撫でた。

 ラエテルの反応は一瞬だけ。足は動いていない。


「似合うか?」

「うん! 父上の次に似合うよ! あ、待って。じいじもいるから……」


 ソルディアンナが口に手を当てながら、うんうんとうなりだした。


(私はそもそも何番目なのでしょうか)


 横に座ったべルティーナを見る。

 多分、愛妻が一番似合うのだろう。ソルディアンナ自身も入るだろうか。もしかしたら、良く遊んでくれるラエテルがその次? 遊ぶ頻度で言えば、フィチリタとかも、叔母であるが入っているかも知れない。


(花冠の似合う男とは)


 うむ、と考え始めると同時に、リクレスの重心が大きく動いた。

 今度は、母親のところに戻りたいらしい。


 右手を緩めれば、そのままべルティーナの下へと去って行ってしまった。


「父上のところに行きたがったのは貴方でしょう?」


 受け容れつつもべルティーナが強めに尋ねる。

 リクレスの頭が垂れた。それでも、強引にべルティーナの下へとおさまりに行っている。


「小さい子は母親が好きなものだ」


 言うサジェッツァも四人を育て上げた親。

 実感の伴った言葉である。


「私は父上も好きだよ!」

 ソルディアンナが両手を広げる。


「同じ湖から汲んだ水なのに、どっちの方が好きなんて無いよ」

 でしょ、とソルディアンナがラエテルに振った。


「座り心地の問題じゃない?」


(座り心地)

 マシディリは、思わずべルティーナの形の良い胸に目をやってしまった。


「マシディリさん?」


 右目を閉じ、左目で見られながら窘められる。

 もう、と言った声色は、すっかり許しの色に満ちていた。


「んんっ」


 サジェッツァが、咳ばらいをする。

 ソルディアンナがぴょん、と跳ねてマシディリの隣に座り、はしたない、とべルティーナに叱られた。


「怒ってばかりでは子供に嫌われるぞ」

「立派な人間に育ってくれることも大事だと思っております」


 サジェッツァに対してべルティーナがすぐに返す。


(素直じゃないですね)


 どちらが?

 無論、どちらも。


 ただ、べルティーナの態度によってラエテルの態度が軟化してきているのも事実だ。

 そう悪いことばかりでは無いのかもしれないとも、マシディリは思う。


「ちちうぇー」


 小さな声と共に、リクレスがまたマシディリに両手を伸ばしてきた。べルティーナからずり落ちるようにしてマシディリの下へ来ようとしている。


「父を振って母上を取ったのはリクレスじゃないか」


 やさしく、リクレスの細い前髪をかき上げるように撫でる。

 愛息は小さな口を丸く変えながら、目でマシディリの手を追い、ゆるゆるとべルティーナへと戻っていった。


「じゃあ父上もらうね」

 ソルディアンナが左側から抱き着いてきた。


 だばば、と良く分からない声をこぼしてリクレスが反応したが、マシディリを見上げてよぼよぼとべルティーナの胸へ顔を埋め、べルティーナの服を握りしめている。


「二人とも、お客さんの」

 ラエテルの言葉が途切れた。

「じいじの前だよ」


 そして、言い直される。

 顔を誰からも逸らしながら。


「じいじなら許してくれるもーん」


 ソルディアンナは、兄の葛藤など知らないとでも言うようによりマシディリに甘えてきた。


 ラエテルの渋い顔が見えるようになる。リクレスが反応を示し、抱き着いたままべルティーナを見上げた。ソルディアンナは、マシディリの上に登り、足を揺らしている。


「分別を弁えてくれるのなら、元気な姿を見られることが一番だ」

「ふんべつ」


 サジェッツァの言葉によって、今度はソルディアンナが顔を上にやり、椅子としている親の顔を見る。


「花冠の渡し方も、引き際も良かったから大丈夫だよ」

「えへへ」

 ソルディアンナの顔に、満開の華が咲いた。


 ラエテルが困り眉のまま、サジェッツァに小さく頭を下げる。数舜の後、サジェッツァがぎこちなく右手をあげた。


 これで終わっても良いが、今日はもう少しだけ二人に会話をしてもらいたい。


 マシディリはそう思い、口を開こうとしたが、膝の上に座るソルディアンナから「しー」と言う密命を受けた。

 こちらに気づいた様子のないラエテルが、細かな上下を繰り返しながら口を開く。


「何の話を、していたのでしょうか」

 祖父と孫の会話では無い。


 それでも、サジェッツァも政治の話だと切り捨てることは無く。むしろ、べルティーナを子供達から奪うことはあり得ないと言う確認だと言う発言はサジェッツァなりの寄り添いで。


『なんでもっと早く言わなかったのか』と言う詰問にも、『エスピラなら言わずとも分かる』。『言わなきゃ分からない』と言うこぼしには『親友だ』とだけ。


 流石に、言葉が足りなくなってきたので、マシディリは「アスピデアウスのじいじも自分の行動で嫌な噂を払しょくさせたかったんだよ」と助け船を出した。


「きちんと、言葉にしてください」

「善処する」


 そして、唇を尖らせたままラエテルが押し黙ってしまった。

 サジェッツァも能面のまま。既に空になったコップを持ち上げ、茶を飲もうと手を動かした。


 もちろん、飲むことは無く机に陶器が戻ってくる。


「パンは、美味しかったか?」


 他の子供達の前で言うことじゃない。

 べルティーナの険しい顔を、マシディリはそう解釈した。


「はい。美味しかったです。ありがとうございました」

「そうか」


 一度、途切れ。


「今の、好みを、知りたい。今度、出かけないか?」


 能面ながら、再びコップを持ち上げ、中身を見るようにしたまま告げたサジェッツァに対してのラエテルの返事は、是、であった。


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