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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第三十一章
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アレッシアの相談役 Ⅲ

「ルフスは、気位だけは高かったな」

 ちらり、とサジェッツァが扉の方を見た。


 なるほど。発散先が無かった、と言うよりは、絶対に話しあうべき用件が無くなったのかもしれない。今は、ただラエテルとの関係改善を望む祖父としての心が大部分を占めているのだろう。


「それでも一昔前であればルフスはオピーマとの婚姻を受け入れなかったと思いますよ」


「その一昔は、マシディリが十にもならない頃か?」


「まあ、そうなりますね。ラエテルと同じくらいの頃には、マルテレス様の存在は誰も無視できなくなりましたから」


 組まれているサジェッツァの指が、かすかな反応を示した。

 やはり、ラエテルに会いたいらしい。


「ルフスも、アレッシアのために歴代最高の当主と言われているグエッラ様を喪っていますから。慎重にもなりますよ。特に、ウェラテヌスに対しては。何せ、グエッラ様が取るべき責任を父上は取らされていますからね」


「恨みが長いな」

「一生消えませんよ」


 少し、意地悪が過ぎたかな、とも思いつつ。

 それでも、ラエテルが負った心の傷に比べれば浅すぎる悪戯だ。


「アスフォスの口は封じておきたいですね」

「問題ない」

 サジェッツァの態度が、元老院の有力者然としたモノに戻る。


「ルカッチャーノはアスフォスを使わない。いや、建国五門であれば誰ももう使わない。手柄を取られるどころか不当に貶められると思っているからな」


 自業自得だ。

 ただ、間違いなくスィーパスは食い下がってくる。


「スィーパスはどうします?」

「使わざるを得んな」

「まあ、暗殺加担の証拠を握っているほどですからね」


 サジェッツァの雰囲気から少々覇気が消えた。

 マシディリが意図した暗殺の証拠は、もちろんメルカトルとヘステイラが企画したモノ。ただし、サジェッツァには違う意味でも聞こえるだろう。


「意地悪して申し訳ありません」

 マシディリは、素直に謝った。


「何がだ」

 サジェッツァはいつもの能面よりもやや眉間を高くしている。


「ただ、親しみやすいじいじと伝えるためであったと思っていただければ幸いです」

「ラエテルと仲良くしたくて来たわけじゃない。ウェラテヌスの方針を聞きたくて来ただけだ」


「母上は、もっと早くに素直になっていればと後悔していました」

「頑固になった覚えは無い」


 頑固だ。

 だが、確かに、愛妻もどこか意固地になることはある。つつき過ぎては逆効果なのだ。


「大前提として、アスピデアウスも第二次フラシ遠征の発議には同意していると考えても?」

「もちろんだ」


「物資の準備等は」

「そこも含め、タルキウスが良いと思っている」

「なるほど」


「負けが許されないのはトーハ族との戦いの方だ。フラシ遠征など挽回が効く。だが、トーハ族との戦いに第二王子を引っ張り出すのなら、必勝を期さねばならない。そうだろう?」

「はい」


「なら、エスピラとマシディリが行くしかない」

「そう言っていただけて嬉しいです」


「エリポスを抑えられるのはエスピラしかいないと、第二次ハフモニ戦争で強硬に主張したのは私だ」

「サジェッツァ様の能力を見る目も、私の欲しいモノです。奪って手に入るなら、今すぐに手を伸ばしたいくらいに」


 サジェッツァが、鼻から息を吐いた。

 呆れたように眉を寄せている。


「アスフォスの推薦を後悔しているのか」

 思わず、目を横に動かしてしまった。

 口はしっかりと閉じて。それでも、視線をサジェッツァに戻すと同時に唇を解く。


「ええ」

 言葉は、短く。


「考えすぎるな。反省は大事だが、過ぎたことは取り返せない。悔いも過ぎれば、大事なモノを取りこぼすぞ」

「肝に銘じておきます」


「ああ」

「ええ」


 三秒の、沈黙。


「ちなみに、お義父様の、大事なモノを取りこぼしそうな後悔とは何ですか?」

「良い性格をしているな。エスピラに似ているぞ」

「失礼いたしました」


 肩を竦め、ほとんど謝っていない空気でマシディリは謝意を口にした。


 ただ、これならばサジェッツァも認めているようなモノだ。エスピラの暗殺未遂。アレッシアのためと思った行為ではあるが、後悔していると。特に、孫関連で、かもしれないが。


(簡単に切り捨てられる人でなくて良かった)


 父祖を大切にし、歴史を重んじ、国に忠を捧げる人。

 ソリエンスに言わせれば、それがアレッシア人だそうだ。


 思うに、目の前の義父はその全てが当てはまる。誰もがそう断言できる。アスピデアウスの誇りを持ち、子にしっかりと伝えられている、模範となるようなアレッシア人だ。


「エスピラと同じ未来を見ているのか?」


 マシディリは、一度、瞬きをした。

 背筋が曲がることはあり得ない。視線が強くならないようにだけ気を付ける。


 別に、焦りなどは無い。この話の流れで勘違いされて困るのは、目の前の義父なのだから。


「私は、母上のためにアレッシアをどうこうしようと思ったことはありませんよ」


 多分、サジェッツァにとってはこの言葉で十分だ。

 だが、マシディリはあえて言葉を続ける。


「べルティーナのためにアレッシアを変えることもありません。ラエテルやソルディアンナが人生を謳歌するためにと願い、道を作ることはあるかもしれませんが、アレッシアが第一ですよ」


「エスピラの暗殺未遂を起こした時、べルティーナと離縁する選択肢はあったか?」


 アレッシアの有力者、建国五門が一つアスピデアウスの当主としてが八割以上。ごくわずかに、父親として。


 マシディリには、そんな色の混ざった質問に思えた。


「あり得ませんよ。結婚当初ならともかく、三年も経てば私がべルティーナと離れる訳がありません。父上も気に入っております。母上も、気に入っておりました。実の母娘のように、ある時は親友のように、あるいは同好の士のように語り合っている姿も良く目にしたものです。べルティーナがウェテリを返却することなど、処女神の神殿の火が消えようともあり得ません」


「べルティーナはウェテリ殿を尊敬していたからな。聡明だと万人から言われることは無いが、タイリー様の血をしっかりと継ぐ賢い方だ。間違い無くウェラテヌスを再興させた功績は亡きウェテリ殿にもある。

 だが、マシディリ。べルティーナを帰さないと言う決断は、アスピデアウスに不利益をもたらすモノだと知っての話か?」


「関係ありません。尤も、意味も無いと思います。

 サジェッツァ様が凶行に及んだ時に無理矢理離縁させられたとして、私はべルティーナを愛人として口説き続けたでしょう。父上も母上も、私が正妻を持たずにべルティーナを口説くことを許したはずです。ラエテルもいますしね」


 まあ、とマシディリは苦笑しながらコップを持ち上げた。


「べルティーナは、別の誰かと婚姻するとなった時は使命を果たそうとするでしょうし、私の誘いにはなかなか乗ってくれないと思いますけどね」


 楽し気に口角を持ち上げながら、お茶を喉に通す。

 サジェッツァの姿勢は変わらない。視線もずっとマシディリに注がれたまま。


「御心配なく。

 父上やクイリッタが取るような手段は使いません。尤も、それでもべルティーナの再婚相手の家門が崩壊する、いえ、発狂することになったと思います」


 心の通じ合った、自分よりも功績もあり能力もあり家格も良い男。

 想像するのも業腹だが、仮に、マシディリと離縁したべルティーナが新しい夫との間に子を設けたとして、その子はどのような人生を歩むことになるのか。


 間違いなく、不幸な結末が待ち受ける。


 マシディリは何もしなくとも。そう、なる。


「離縁させるつもりだったのですか?」

「父上大好きと言ってくれるのは幼い時だけだ」


 サジェッツァが視線を切り、自分のコップを手に取った。ぐい、と一気に傾け、ドライフルーツごとお茶を流し込んでいる。


(あの時に限って言えば、違うと思いますよ)


 言いたくても言えない言葉を持ったまま、マシディリは上下するサジェッツァの喉仏を見送った。

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