友と命令か、部下と現場判断か
(攻める、となると)
サジェッツァが籠る本陣が一番守りが硬いだろう。
ならばおびき出すのが上策。そのために近場の山を攻めたか。
いや、そもそも本当に攻撃を仕掛けているのか?
マールバラが未だに攻城兵器を入手できていないのはこれまでの行動、および証言からほぼ確定だとエスピラは思っている。残念ながら言葉の訛りまで完全に再現することは難しいためハフモニ軍内部に人を送り込めては居ないが、かなり精度の高い情報のはずだ。
その状態で陣地に仕掛けるのか。
大軍を擁していてハフモニの本陣に一番近いのはフィガロット・ナレティクスらのナレティクス一門の隊だ。攻撃のための動きは鈍くても陣地を堅守するべきだと言う認識は強く持っている。
そして、次に近いのはグエッラの隊。副官なだけあって四千の重装歩兵を持っているのだ。騎兵隊長のボストゥウミが半分以上に当たる三千もの騎兵を率いており、騎兵の機動力ならば近くと言える距離に居る。
グエッラもボストゥウミも積極会戦派である以上、山を攻める行為は背後を突かれる可能性は高いとみるのが普通だ。
(陽動、か)
山への攻撃は見せかけ。
本隊は反転してグエッラ・ボストゥウミの軍を迎え撃つ。夜半であれば続々と集まる形をとっているアレッシア軍の方が同士討ちの可能性が高い。
会戦を主張している派閥の筆頭が二人も居なくなればどうなるか。
纏まると言う簡単な話では無い。排除したと見られるのが普通だ。
アレッシア本国が割れるだろう。ほぼ、間違いなく。
「仕掛けが簡単すぎるか」
グエッラもボストゥウミも、アレッシアを割って敗戦に導きたいわけでは無いはずだ。
自分たちの命がどういう意味を持っているのか、理解しているはずである。
ただ、どちらにせよ山への攻撃は陽動。本気の攻撃では無い。
サジェッツァかグエッラか。あるいは陣地を動かして平野から離脱する穴を見つけるためなのか。
そこは絞り切れないが、反応しないことこそが最善だとエスピラは判断した。
「随分と、数が多そうですね」
騎兵を任せているボラッチャが言った。
「陽動だろう。反応する必要は無い」
「しかし、こちらの陣も動いているのではないでしょうか」
夜の闇の中、光っている松明だけを見てどちらの軍かなどは到底把握できない。
だから、ぼやけている光がそう見えるだけの話である。
「ならばこちらもかがり火を増やそう。そして、決して動かすな。不動を示せ」
は、と言う返事と共にテキパキと兵や奴隷が動きだす。
(多少は狙われるかもしれないが)
留守だと思って攻められる分には問題ない。
ハフモニの策略だと暴ける上に何時まで守らねばならないかがはっきりとしている戦いなのだ。
士気を保つのも容易い。
「お言葉ですがエスピラ様。兵の声に今少し耳を傾けてはもらえないでしょうか」
ボラッチャが声量を落としながら近づいてきた。
「最大限配慮しているつもりだ。その上で、こちらの意図も理解してもらうべく情報が漏れる覚悟で教えている」
エスピラも唇をほとんど動かさないようにして返す。
「それは、その気遣いは恐らくほとんどの兵が感じているでしょう。ですから、他の陣に比べて不満も少なくエスピラ様の下でまとまっております。
しかしながら、この隊はカルド島の英雄たちが中核を担っている隊です。栄光を浴し、勝利を味わった者たちが臆病者の誹りを受けた時にどうなるでしょうか。今夜の戦闘が戦闘に満たない小さなモノだったとして、過大に報告しないと誰が保証できるでしょうか。
エスピラ様。今の我らは瓶に満杯の水なのです。カルド島に行った軍団への嫉妬。ハフモニ軍の狼藉に対する怒り。留め置かれることへの鬱屈とした感情。それらは、僅かなことで吹き出します。その矛先がこちらに向かってきた時、果たして我らは一丸でいられるのでしょうか」
エスピラは、慌ててかけてきたような足音を耳にして目を僅かに動かした。
足音の主はジュラメントだ。音で想像した通りの見た目で、義弟がアワァリオの後ろに控えている。
(一丸で)
なるほど。否だ。
ここ最近の、あるいは一か月以上前の義弟に対する自身の行動からも良く分かる。
確かに、マシディリの出生を疑うような言葉は絶対に許せない。疑問を浮かべることすら許さない。エスピラには言ってはならない言葉だ。
だが一方で、ジュラメントの言葉は苦言を呈しただけにも過ぎないのである。
やり方としては最悪だ。虎の尾を踏みつけながら説教をするようなモノなのだから。しかし、若くいっぱいいっぱいなジュラメントのことを考慮すれば、エスピラの行動もまた非難されるべきモノでもあり得る。
少なくともエスピラは、そう考えている。
「エスピラ様。私の考えすぎかもしれませんが、もしも相手が動いていた場合、最悪なことになりかねないと私は思っております。エスピラ様。貴方様に実力があるからこそ、不満を溜めた兵の頼る先がエスピラ様になると私は確信しているのです」
エスピラは冷たい空気を吸って、三倍以上の時間をかけて吐き出した。
ボラッチャが重ねた言葉は正しい。
そして、その先にあるのは合理的な決断のし辛い環境だ。
今だって合理的な決断は動かないことだろう。ここを堅守することだろう。
ハフモニの挑発に乗らないため損害を被ることは無く、同士討ちをすることも無い。命令に従っていると言う形にもなっている。
だが、そうも言ってられない。
エスピラが気分を害するポイントにマシディリの出生が挙げられるが、人の怒りのポイントはそれぞれで、此処にいるだけでも二千もの禁止すべき話題がある。それがもっと増えれば。わざと踏まれれば。
取りなすのは至難の業だ。時間もかかる。軍事行動どころでは無くなってしまうのだ。
「エスピラ様。お叱りなら私が受けます。命令違反で罰せられるとしても私が一番にサジェッツァ様にことを話しましょう。ですから、エスピラ様。どうか、合理的ではない判断を下してください」
「そこまでしなくて良い。ボラッチャ」
エスピラは、ゆっくりと、しかし行動が完遂する前に地面に膝を着けようとしたボラッチャを止めた。
ペリースの下で左手を硬く握り、今も動いている火へ目を向ける。
動くのであれば、疾く。ひたすら疾く。
「グライオ。騎兵三百を預ける。ここからハフモニ本陣側へと向かい、手すきの自陣があれば守りを固めさせよ。交戦はするな。しても一瞬だけだ。まずは自陣の徹底を図れ」
「かしこまりました」
エスピラの護衛が慇懃に述べる。
「アワァリオ様はグライオにつき騎兵に指示を。今は夜。細かな動き、軍隊としての行動は全ていつもの訓練通りの指示系統を用いてくれ」
「仰せの通りに」
騎兵の副官が頭を下げた。
「レコリウス」
「は」
百人隊長の一人、レコリウス・リュコギュが前に出てきた。
「レコリウスはタイリー様の下で実際にマールバラと戦っていたな。その経験を今の一瞬の活かしきるのは難しいかも知れないが、判断は任せる。一個大隊をすぐに出陣できる準備をし、グライオの先遣隊が守り切れないと判断した陣に急行してくれ」
「必ずやご期待に応えてみせます」
俊足の男の頭が下がる。
「ジュラメントはグライオの傍につけ。伝令は細かく送り、こちらに様子を伝えて欲しいがお前は最後までグライオと行動を共にしろ。必ずや、良い経験になる」
「かしこまりました」
やや不服そうにジュラメントが言った。
命令が、と言うよりもグライオと行動するのが、に近いだろうとはジュラメントの視線が物語っている。
「ボラッチャ様と騎兵百は私と共にこの街の守りに使う。相手は最大で四万を超えてくるが、此処を抜かれればアレッシアに刃が届く。それだけは絶対に避けねばならん。だからレコリウスに任せた大隊が居なくなれば残りの外に出せる兵は二百までだ。それ以上は許さない。
それから兵を起こせ。演説に移る。私はそこで兵を焚きつけるが、此処にいる皆は私に、何があっても野戦ではハフモニと組み合わないと約束しろ。許可できるのは、一撃離脱のみだ」
了解の返事と共に、駆けつけていた百人隊長以上の者の頭が下がった。
エスピラは全体に示すように指示をしなかった一人一人に持ち場を決め、役割を伝えてから背中を叩いて送り出していく。
「グライオ・ベロルスは正式な軍団の者ではありません」
全員を送り出した後、パラティゾが顔を顰めながらエスピラに聞いてきた。
「グライオは指示系統には絡んでいない。それに、彼がするのは交渉だ。それも能力が優先される戦場で、ね。何の問題も無いさ」
「しかし」
「後方に居るように見えるが此処も最前線だ。死にたくなかったら、死なせたくなかったら誰をどこに使うかを間違ってはいけない。特に命令厳守を求められるアレッシアの方式ではな」




