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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第三十一章
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アレッシアの相談役

「ありがとう、ございます」

 サジェッツァが差し出した肉を挟んだパンを、ラエテルが慎重に受け取った。丁寧な所作だが、重心は後ろにある。


 その後に二言交わし、まだ勉強が残っておりますので、とラエテルが辞して行ってしまった。よちよち歩きで来ていたリクレスも辞していく兄の後ろに続き、良く分からない奇声をあげながら去っていった。


 マシディリに抱きかかえられているソルディアンナだけが、孫としてサジェッツァの前に残っている。


「好みが変わったか」


 サジェッツァが淡々と言った。

 良く見れば瞼が僅かにさがっているような気がするのも、声に力が無い気がするのも、マシディリの思い違いかもしれない。


「喜んでいるはずですよ」

「母上に言えば戻ってくるよ」


 ソルディアンナが元気に言う。

 礼がなっていないって、母上は良く言うから、とマシディリの腕の中で揺れ出した。


「並ばれたのではありませんか?」


 ラエテルが昔好きだったあのパンは、香辛料の類がほとんど使われていない。故に、取れたての肉しか使えないのだ。数も限られるし、日によっては売っていない。手に入れるのは難しいとは言わないが、思い立って簡単に確実に手に入れられる物でも無いのである。


「苦労の内には入らない」


 それでも、喜ぶ孫の顔は見たかっただろう。


 そうでなければ、わざわざラエテルが喜んでいた物を買ってくる必要は無い。ソルディアンナには無難な贈り物をしているにも関わらず、と言うことは、やはりサジェッツァの脳内では口元を汚しながら小さな口を一生懸命に動かし、満面の笑みで食べ続けるラエテルがいるはずだ。


「べルティーナが挨拶に来るときに、もう一度来るように伝えておきます」


 言って、マシディリはラエテルの乳母に目を向けた。乳母が頭を下げ、場を辞する。


「挨拶にも来ないか」

「べルティーナは人気者ですから」


 しばしば茶会が行われているのだ。最近増えたのは、若い夫を持つ若い妻との茶会。未婚であるが、フィチリタも混ざっている。


 そのフィチリタが言うには、「べルティーナちゃんは知識に乏しいけど経験豊富だから」とのことだ。べルティーナに愛人がいるとマシディリが疑ったと思われたのは心外であるが、夫婦の夜が他人に話されているのもあまり面白くはない。


 それでも、フィチリタが「皆、べルティーナちゃんが線引きを良く分かっていないのは知っているから、べルティーナちゃんが暴露し過ぎないように気を付けてはいるよ」と言うので、文句は飲み込んでいる。


 時折、夫との関係が改善したとか以前より仲良くなったとかいう理由で若妻たちから感謝されるのは、ソルディアンナから「ふりんだ!」「母上に言いつけるよ」と騒がれるのでやめて欲しいと文句を言わせてもらったが。


「責めている訳では無い」


 唐突にサジェッツァが言った。

 自分が急に予定を入れたからであり、べルティーナがすぐに挨拶に来られないのは仕方が無い、と言うことだろう。


「べルティーナも、どこかで分かっていますよ」


 同様に、べルティーナが罪悪感を持っているのも父親は知っているとマシディリは信じている。


「ソルディアンナ様」


 乳母が、ソルディアンナにそろそろマシディリから降りるようにと告げる。

 愛娘は、明らかに唇を尖らせた。居ても良いでしょ、と左右に体を揺らす。大事な話だ、と堅い意思で遮断するサジェッツァは、流石と言うべきだろう。


「また後でね」


 マシディリが下ろそうとすれば、ぷるるる、とソルディアンナが唇を揺らした。


 小さな両足で地面に降り立つと、「またね」とサジェッツァに手を振り、ぐすん、と涙をぬぐうそぶりをマシディリに見せてから、たたた、と乳母に抱き着きに行っている。


「今から将来が末恐ろしいとは思いませんか」


 マシディリはソルディアンナに手を振りながら言った。


 返事はすぐにはやってこない。少しの静寂だ。下の子供二人が寝ているのもあって、ウェラテヌス邸は本当に静かなのである。もちろん、庭に行けば姦しい話があるが、それはそれ。広いウェラテヌス邸では玄関まで届かない。


「エスピラに、似たな」

 ようやっとの返事は、応接室へと歩き出した時であった。


「ソルディアンナがですか?」

「マシディリだ」


 違うと分かっていて聞けば、当然ながら違うと返ってくる。


「何を今さら」

「ノトゴマの訴えをどうするつもりだ?」


 エスピラと似ているマシディリは、エスピラと同じような結論、ウェラテヌスとして一本化した方針を取るのか、と言う話の流れだろう。


 マシディリは、ひとまず応接室の扉を奴隷に開けてもらった。


 先に入りつつ、上座をサジェッツァに譲る。すぐに茶とドライフルーツが運ばれてきた。茶請けの菓子は、チーズと蜂蜜だ。


「ひとまずは、長男陣営に補填の土地を次男陣営に与えるようにと通達するつもりです。統一されたフラシとして、その代表的な存在であるマヌア殿下にと言う体裁を取ります」


 統一されたフラシの代表が長男であるマヌアであることに、次男陣営は不満を覚えるだろう。一方で長男陣営も、あくまでも「殿下」として扱われることに不満を覚える。


 満点の策とは言えないが、悪くは無い。


「エスピラは一顧だにしなかったそうだな」

「父上のことですから、本当に言質を取られるような真似はしていないのでしょう。ですが、それは不誠実ではありませんか」


「ノトゴマの不誠実さに比べれば、まだまだ誠実だ」

「相手が不誠実だからと言って、こちらも不誠実に対応して良い訳ではありません」


 尤も、必要とあればマシディリも不誠実な態度は取るし、取ってきたつもりだ。


「ウェラテヌスとしてはどうする」

「足並み揃わぬ状況での通達になるでしょうね」

「火に油を注ぐだけ、か」


 サジェッツァがドライフルーツの皿をマシディリの方へ押してきた。

 自身の茶には入れていない。マシディリに先を譲ってくれている。


「アレッシア内での権力争いが大事なのは、上に立っている者だけ。軍団を構成することになる多くの者にとってはどうでも良いことです。


 誰が上に立とうと。自らの生活を守り、アレッシアを発展させてくれるのなら。上に立つ者がウェラテヌスでもアスピデアウスでもオピーマでも構いません。ただ、アスピデアウスが着服を行い、オピーマも行う恐れがあると思っているのならウェラテヌスと思ってくれているだけ。


 無駄に争い続けるだけなら、全員が愛想をつかされるでしょうね」


 首謀者のいない反乱は、厄介だ。


 思うに、フラシ遠征は外に目を向ける絶好機。同時にアレッシアを舐められたことによる怒り、憎きハフモニにも鉄槌を下せるかもしれないとの意識がアレッシア人の多くにあるのなら、マシディリとてフラシ遠征を止める気は無いのである。


 例え、それがノトゴマの思い通りだとしても。


「エスピラとマルテレスにも説けるか?」

「説くまでも無く、かと」


 ドライフルーツを入れ終わると、マシディリは皿をサジェッツァの前へと動かした。


 サジェッツァの目は皿に下りて行かない。マシディリにしっかりと来ている。


 行きたいか? と。

 尋ねてきているようであった。


「スィーパス・オピーマ、マヒエリ・オピーマ、アスフォス・オピーマ、プノパリア・オピーマの推薦は、全てオピーマを守るため。イエネーオス様の起用は、ルカンダニエとの不用意な軋轢を無くすため。旧伝令部隊の起用は再びすり合わせるため。


 その意思は今も変わりません。

 私がフラシに行っては全てが無駄になります。


 だから、私が行くのは第一次フラシ遠征での役割と同じく、東方。トーハ族。


 東方諸部族にもごく少数の兵数負担か物資負担を求めることになっています。彼らとの調整と交渉。それから、メガロバシラスの軍団を率いることになるエキシポンス殿下とのやり取りに助言。


 それが、私の役割です」


「メガロバシラス第二王子は、ウェラテヌスの教育を受けていたな」

「はい。知らない仲では無いどころか、アレッシア人の中では一番仲が良いと自負しています」


 最初は負けず嫌いが過ぎた第二王子が、今では素直に助言を求めに来ることもあるくらいには。

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