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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第三十一章
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ディティキ会談 Ⅰ

「随分と手際が良いな」


 久方ぶりの磯の香りを感じながら、エスピラは興味なさげに来訪者ノトゴマを見下ろした。

 正中線は向けず、目にも力は入れていない。されど、観察だけはしっかりと行って。


 なるほど。この男は、エリポスで会談を行うことになってもアレッシアに準じた服装を心がけ、エリポス様式を一切取り入れていないように見える。


 ただ、会談場所が此処、ディティキであるならばさほど浮くことも無いだろう。


 アレッシアがエリポスに作った橋頭保。エスピラが活躍した場所。ディティキの王族が滅んで、もう三十年が経過している。


「エスピラ様、に、は、及び、ません」


「いいや、誇ると良い。実に多くの根を張っているよ」


「エスピラ様、は、メガロバシラスとの交渉、では、多くの選択肢を、用意し、自ら、の、思うように動かそうとしている、とか」


「カリヨに水をかけられた君とは違って、かい?」


 くすり、と笑い、エスピラは水の入った瓶を手に取った。


 ほとんど減っていない。朝に会うと言って、もう昼前なのに、ノトゴマは律義さを装って何もせずにずっと待っていたのだ。


 奴隷から、そう報告を受けている。


「これ、は、お恥ずかしい」


「多額の支度金を持たせた留学生の送り込み。その成績を持っての留学制度の整備、工作。

 戦争が相次ぐアレッシアに於いて、財政基盤がぜい弱な者達へのばらまき。

 戦車競技を助けると言う名目での馬のみならず調教師や整備士、果ては騎手までの積極的な流入と競技のフラシ人化。


 スィーパスとの会談は、プノパリアを通じてめっきりと影響力の落ちたルフスに軍資金を渡し、フラシ遠征に引き込むためかな? ティベルディードとも「他の遊牧騎馬民族について知りたい」と言う名目で会う算段を付けているらしいね。それから、リングアの軍団復帰の画策か。各派閥の中のさらに一部を引き離そうとしているようにしか見えないよ。


 会談は終わりだ。私は君と話すことなど何もない」


 ぐび、と。瓶の中の水をガラスのコップに移さず、エスピラは喉をくぐらせた。

 瓶を持ったままノトゴマに背を向け、まだまだ入っている瓶を奴隷に渡す。


「ござい、ます!」


 ノトゴマが、大きな声を挙げた。


 奴隷が瓶を受け取ったまま、エスピラに続こうとはせず両の膝を着ける。故に、エスピラも奴隷を待つためと言う体で立ち止まった。


「エスピラ様、は、私の提案した領土分割案、に、納得された、はず。だと言うのに、長男陣営、に、対して私共、に、領土を渡せと仰せ、に、なりません、でした。これは、明らかに、エスピラ様、の、態度によって、引き起こされたフラシの紛争、です」


 ため息、一つ。

 エスピラは、椅子を引っ張ると乱雑に腰かけた。


「勘違いさせていたのなら悪いが、私は一言も君の提案を呑むとの返事をした覚えは無い」

「なっ」


「確かに、次男陣営の土地はもらう返事はした。だが、長男陣営からの補填は君が一方的に言っていたこと。私は聞いていただけに過ぎない。


 私が、何か、返事でもしたかい?


 していないはずだ。通訳を付けていないのは、そのため。文章もそう。いくら探しても構わないが、私は次男陣営から土地をもらう約束しかしていないよ」


 ノトゴマの膝の上に極大の皺ができた。

 唇はまっすぐに結ばれ、変色している。腕が小さく震えてもいた。


「それ、は。それ、でも、不誠実。あまり、に、不誠実では、ありませんか!」


 思い返しても、エスピラが承諾の言葉をはっきりと告げた瞬間が思い浮かばなかったのだろう。


 ただ、その結果が不誠実とは笑えてくる。

 アレッシア語で会話しようとした結果、選べる言葉が少なかったのかもしれないが、完全なる悪手だ。


「不誠実か。二股外交を展開している君が言えたことかい?」

「弱小国家、が、生き残るため、に、必要なこと。エスピラ様、も、認めていた、はず」


「次男陣営から長男陣営に寝返った者の土地は、次男陣営がアレッシアに割譲するとしていた土地。つまり、長男陣営はアレッシアとの約束を守らず、反故にした。ウェラテヌスとの約束を破った。


 そう言う噂が、流れていてね。

 ああ。一般的には大々的に流布したアスフォスの責任と言われているが、裏に誰がいるのか分からないほど私の被庇護者は無能じゃないよ。


 ならば、次の約束は他の者にするべきとも言われていたかな。オピーマもフラシ遠征にいたから、次はアスピデアウス。そう言えば、諸外国からの印象が良いのは、明確な法によって決まりごとをしっかりと守るサルトゥーラだったね。そのサルトゥーラは、以前ほどの隆盛は誇っていない。


 引っ張り出せれば、よりアレッシアの権力争いは混沌とし、フラシに構う余裕も無くなってくる、と言う訳だ」


「あくま、でも、フラシの者を、納得させる手段、として、サルトゥーラ様、が、必要なだけ、です」


「君はフラシのアイネイエウスと名乗っているそうじゃないか」


 エスピラは、両手を広げて声を張り上げた。

 叫ばず、されど音圧で圧倒するような声だ。


「面白いねえ。あらゆるところと関係を持ち、フラシでは次男陣営の実質的な支配者として多くの財を手に入れ、弱小部族からも貢物をもらう。それを強者に流して、返礼品でさらに潤う。それが君の手法。


 アイネイエウスはね、そうじゃなかった。


 母親が心配するほど物欲が無く、質素な男だった。唯一絵を描くと言う趣味だけが財のかかる行為だが、あの男には権力欲も無く戦利品もこだわりなく兵に配る、誠実で慕われる男だった。


 欲に目のくらんだお前が、アイネイエウスと似ている?


 友を愚弄するな。

 お前程度が、出して良い名前じゃない」



 果たして、アイネイエウス程兄弟間で差を付けられ、祖国からも支援を受けられなかったのなら。エスピラは、いや、他のアレッシア人でもアレッシアに忠を尽くせるのだろうか。その末に命を散らし、ただ散らすだけでは無く、最後の賭けとして敵の大将に決死の突撃を、それも本当に死ぬ前提、しかも相打ち前提の突撃をかませるのだろうか。


「アイネイエウス、とは、アスフォス、が、勝手、に」

「感情の問題だ、ノトゴマ・ムタリカ。君と交渉することは一つも無い」


 ノトゴマが、両手をアレッシアンコンクリートで出来た床にへばりつかせた。


「お許し、を」


 そのまま額をこすりつけ、引きずるようにエスピラの足元にやってくる。


 足蹴にするのは簡単だ。

 だが、するわけにもいかない。



「ウェラテヌスの分断点も、私とカリヨの仲だと思ったようだな。カリヨならばリングアの出世を望んでいると。私が望んでいないのを知っていながら。


 お前は、妹も愚弄したな。


 カリヨが本当にウェラテヌスの不利益となることをするはずが無い。私にとっては長らくただ一人の肉親だった妹だ。幾つになっても、生意気を言っても、可愛い妹であることに変わりは無い。妹を愚弄すれば、何故兄が怒ると思わなかった?


 道は分かたれた。

 好きにすると良い。


 私はフラシ人留学生にアレッシア人以上の厚遇を与えることは絶対に無い。アレッシアの文化である戦車競技に必要以上にフラシが入り込み、乗っ取ることも認めない。フラシの馬が必要ならば、奪い取る」


 私と交渉したいのなら、マヌアを連れて来い。

 そう言おうと思い、留まる。


 これでも、まだノトゴマは使える。有効な交渉窓口だ。


 尤も、額をこすりつけているノトゴマは屈辱を噛みしめ、エスピラに対して復讐の機会を覗ってはいるだろう。


 決別だ。

 完全に、敵となったのである。


「良かったな。ウェラテヌスとの交渉が短時間で終わったことは、アスピデアウスやオピーマと交渉するにあたって役立つぞ?」


 此処まで呼びつけておいての成果なし。

 それは、明らかにノトゴマとの決別を示すモノ。


「待て!」


 フラシの言葉で叫ぶほど、ノトゴマにとっては防がねばならない事態であった。

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