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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第三十一章
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くすむ魅力

「ちち、うえ、が」


 マルテレスとて、噂は耳にしているはずだ。それでも呆然とするのは、どこかで信じていた気持ちがあったのだろう。そして、証拠が無くとも息子の言葉ならば信じるのも、マルテレスらしい情である。


 どかり、とマルテレスが椅子に腰を落とした。

 足に肘をつき、両手で顔を覆っている。


 何度か手を上下させ、ようやく鼻の上で手が止まった。マシディリからも見えているマルテレスの目は、斜め下、床を見つめている。


「隠したい、のか?」

 質問は、子供達へ。


「隠したいのは父上とエスピラ様です」

 クーシフォスの答えは容赦なく、続く。


「隠せば隠すだけ、露見した時の風当たりは厳しくなります。隠すなら隠し通さなければなりませんが、関わった人数が多すぎるので現実的ではありません。


 私の一存で出来るのなら、公表します。公表して、お爺様を切り捨て、オピーマを活かす。お爺様が全ての責を取り、他の被庇護者に類が及ばないようにと心を砕くのが大きくなりすぎたオピーマの務めだと私は思っています」


「大きくなったのはアレッシアのために働いた功績だ」


 マルテレスの手が完全に顔から外れた。

 開いたまま力が入った指は、言葉に合わせて上下に小さく揺れている。


「お爺様が為されたことは何ですか?」

「父上は」

「独裁官であるエスピラ様の殺害を狙い、息子である父上を独裁官にしようとした。そう言われても否定できません。あるいは、ウェラテヌス派とオピーマ派の対立を激化させ、アレッシアに混乱をもたらそうとした利敵行為。


 祖国に永遠の繁栄を、と私が叫んできた言葉が嘘となる度し難い行動です。平民が積み上げてきた権利の全てを奪われかねない蛮行だと思っています」


 再び、マルテレスの顔が埋まる。

 クーシフォスが、そんなマルテレスに対して距離を詰めていった。


「オピーマの価値の大部分は父上の価値。他の者の命の価値など、大したことはありません」

「そんなことは無い」


「では、父上はアスピデアウス派やウェラテヌス派の末端に連なる元老院議員を意識したことがありますか?」

 マルテレスの声を完全に叩き潰すような芯のある声だ。


 正直、やり過ぎな気がしなくもない。

 だが、アレッシアに帰ればクーシフォスが言える機会も無くなるだろう。


「私は、お爺様の遺産の相続の放棄を宣言するつもりです。もちろん、父上や他の者に渡り、そこから私に流れてくる分は受け取りましょう。ですが、直接は頂きません。それは、ソリエンスも同じです」


 義絶、とも取れる言葉だ。

 クーシフォスとマルテレスの距離は、もう飛んだ唾がかかる距離まで近づいている。


「アスピデアウス派によるエスピラ様の暗殺未遂の嫌疑を、厳しく追及した者がオピーマ派の中にも居ります。だと言うのに、自分達の嫌疑は見て見ぬふり。そのような態度で本当に良いのでしょうか。アレッシアを引っ張る者が、そのような行いをしても許されるモノでしょうか!」


 場合によっては、する。した方が良い。


 朝と夕で状況が変化することなど、往々にしてあるのだ。状況への柔軟な対応も、国の舵取りに求められること。ならば、言っていることが変わることもまた必要なことだ。


 それがマシディリの本音である。

 もちろん、この場では黙っているが。


「エスピラ様は、リングア様を徹底的に政権から排除しております。推薦してきた者を冷遇する勢いです。義兄弟もアレッシアにとって害が大きいと思えば失脚させてきました。父上は、その覚悟も無くアレッシアを揺るがす立場に着いたのですか?」


(不幸だ)

 と、マシディリは思う。


 誰がと言えば、マルテレスが、だ。マルテレスとて、アレッシアの行く末を決めたくて今の地位にいる訳では無いだろう。名声がついた結果であり。名声を得たのはアレッシアを、祖国を守りたかったから。


 そのために父親を切り捨てることになるのが、不幸なのだ。


 尤も、地位を得なければ父親を守ると言う選択肢は存在せず、そもそも父親が暴走することも無かったかもしれない。



「引退が、先だ」


 マルテレスが、声を絞り出す。

 両手が鼻を挟んで合わせられるような形になり、再び目が見えた。ただし、今回は瞼を閉じている。


「父上に引退してもらう」

 一音一音で、呼吸をするような。


「いったん、そこで、様子を見る。追及が続くなら、罪の精査をして、もしも、発覚したのなら。謝る。それしか無い」


「父上!」

 歯肉をむき出しにして叫んだクーシフォスに対し、マシディリは咳ばらいを入れた。


 つま先に重心が移っていたクーシフォスが、足全体に体重を戻す。マルテレスの目も開き、弱弱しくマシディリを見て来た。


「アスフォスの行動が正しかったのか、軍令違反として処罰の対象となり得るのか。それを議題として元老院に提出します。もちろん、軍事命令権保有者であるマルテレス様の命令には逆らっていませんので、処罰が加えられることは無いでしょう。しかし、攻撃は攻撃。

 それで、メルカトルへの追及を弱めることは出来ますが、どうします?」


 マルテレスの視線が、またもや下がっていった。

 腰も落ちている。立ち上がる気力もなさそうに見えた。


「悪い」

 発せられる声も、マシディリに届かずに落ちるような。

 それでも、マシディリは承諾とみなした。


「次に私の家族を狙えば、容赦はしません。それだけは覚えておいてください。べルティーナに対する性的な発言も、最早許容できませんので。統率の徹底を願います」


「ははっ。流石は、エスピラの息子だな」

 弱弱しい軽口。


 それでも受け入れると、マシディリは軽く腰を曲げ、オピーマ父子だけにするべく神殿の外に出た。


 光が、眩しい。

 獲物の解体と大鍋や直火焼きでの調理だって間に合うだろう。


「ノトゴマ・ムタリカ」

 ひょい、とレグラーレが現れた。手にはパピルス紙。

 恐らく、ノトゴマからの手紙だ。


 マシディリは、その手紙を受け取ると中身をさっと読んだ。


 どうやら、会談を求めているらしい。それも、三派全てと会うつもりらしく、マシディリに橋渡しを頼んできている。


 なるほど。良くアレッシアの内情を調べている男だ。

 こちらにとっても嬉しい動きをしてくる。


(嬉しい動き)


 ただ、喜びで言えばソリエンスの言葉と、ソリエンスの母の言葉の方が大きかった。


 じっくりとした、されどしっかりとした出世街道。

 エスピラとマシディリが用意した場を、そう解釈してくれたのである。


 無駄に引き上げることは無い、立場を分からされるようなモノ。されど、機会はある。


 カルド島での属州政府の一兵としての初陣は、予想通りだったらしい。

 その初陣では一度も一番槍を手に入れることは出来なかったが、そこでの先陣争いの数々を功としたのは属州政府の方針だ。ウェラテヌスの意思は関係ない。


 関係あるとすれば、ソリエンスが提出した賊の出現を減らすための港づくりに関して「目を通して意見をくれ」との口添えをしたこと。採用しろとも言わず、「己の財を切り崩してまでやる価値があるかどうかで判断しろ」と言ったことで、しっかりと属州政府高官が読むようになったこと。


 そして、今回の狩りでソリエンスの案をきっかけに属州政府の要人がソリエンスとも会話を重ねたこと。


 機会はあるが自身の力で切り開かなければならない状況は、正しい縁故採用だと言ってくれたのだ。

 単純な出世なら、マルテレスに引き上げてもらった方が早い。ただし、それはアスフォスと同じ道。見え方が悪い。


 その付け加えは、クイリッタやスペランツァなどの否定的な見方をしているウェラテヌスに伝える際にも役立つ言葉。


(ノトゴマ・ムタリカ)


 父が不要だと思い始めている今、さほど、魅力を感じなくなってきたのは、隠しようが無い事実であった。

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