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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第三十一章
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父上の道、私の道

「アンデーレにも、まずはソリエンスに会いに行ってこい、と言われたよ」


 ソリエンスの口元が少しだけ緩くなったのを、マシディリは見逃さなかった。


 マルテレスの呼び方は、言い慣れているように聞こえたのだ。会うに会えないが、それでも父が母を想っているのは嬉しいことなのだろう。


「おや。おやおやおやおや。マシディリ様に会いたいと言っている人が居ると聞いていたのですが?」


「それは。うん。マシディリに予定があるのは本当だけど、ソリエンスに会いたいのも本当だよ」


「男なら男らしくずばっとせんかい!」

 ソリエンスが持ち上げた右腕を勢いよく振り下ろした。


 マシディリは、クーシフォスの視線を感じ、横を見る。こんな感じなの? と聞いてきているようであったため、マシディリはソリエンスはこんな感じだよ、と頷いた。


「悪い。ただ、エスピラがいつ帰ってくるのかが知りたくて」


 口下手だ、とマシディリは思った。


 もちろん、サジェッツァのように普段から困る訳では無い。ただ、父ならば「会いたいのはソリエンスだよ。尤も、用事があったのはマシディリだけどね」などと言ったであろう。


 交渉とは、そう言うことだ。

 小さな積み重ねも大事である。


「交渉次第がまとまり次第でしょう」

「それは、メガロバシラスとの交渉か」

「はい」


 ごく、とマルテレスの喉仏が上下した。

 眉はやや険しくなり、小さく盛り上がる。顎は引かれ、握りこぶしも出来上がった。


 息を吸うように、マルテレスの肩が僅かに動く。


「俺が、インテケルンを助けるために動いたから、行かざるを得なくなったのか?」

 室内の薄暗さに、負けぬ声。


「マルテレス様の行動の結果だと言う事実は否定できません。ですが、父上ならばこう言うと思いますよ。『気にするな、マルテレス。トーハ族が動いたからにすぎないよ』、と」


 言いそうだ、と言うマルテレスの小さな声は、自嘲気味な笑みに消されていく。


「いつ頃終わる?」


「それは何とも。陛下が乗り気になりましたので、エキシポンス殿下の帰還は決まりましたが、どのように帰還するかが問題ですから。


 メガロバシラスを強く打ち出すのか、アレッシアとの繋がりを強調するのか。

 凱旋として規模を大きくするのか、留学からの帰りとしてほどほどで扱うのか。

 即座に行動に入ってもらうのか、しばらくは疲れを取る名目で休ませるのか。


 各王子は全部後者を望んでいます。メンアートル様は全て前者。他にも、貴族たちの立場によって思惑は入り乱れています。ある者はメガロバシラスを打ち出させつつ休ませたいと願ったり、アレッシアとの繋がりを強調しつつ凱旋として盛大に祝おうとしたり。


 陛下は既に父上の掌中にありますが、王子達は違います。特に第一王子は、自身の王位継承に邪魔な人物として第二王子の失脚を願っていますからね。父上にとって強力な剣であるメンアートル様も、父上と思惑を一致させている訳ではありません。


 しばらくかかるとみるべきでしょう」


 協力にも条件がある。

 そして、条件の中にはアレッシアの国益を考えれば呑めないモノだってあるのだ。


「俺が行っても大丈夫か?」

「問題ありませんが、自重していただきたいと、次期ウェラテヌス当主として言わせてもらいます」


「邪魔か?」

「はい。邪魔です」

「はっきりと言うな」


 マルテレスが所在なさげに後頭部をかいた。

 マシディリは背筋を伸ばしたまま、獅子の毛皮を外すようにと仕草で伝える。


「イーシグニスが証人としてインテケルン様の無実を訴えたのは、先の軍団で父上が副官であったから。戦友として軍団兵を守るためにイーシグニスを派遣し、次いでサジリッオ様とスーペル様を弁護人として差し向けたのです。


 特に、スーペル様はわざわざタルキウスを口説き落としてまでの出馬。現当主の父親と言うのがどれほどの影響力を持つことになるのか。その試金石となる方です。取り扱いには慎重にならないといけません。だと言うのに、マルテレス様は御破算にしかけました。


 今日のカルド島での狩りも、その挽回の策の一つ。スーペル様をもてなす意味も込めてのモノ。


 父上は、ジャンドゥールにグライオ様とアビィティロ、ヴィルフェットを派遣いたしました。メガロバシラスではリベラリス様とフィロラード、ユンバを前回の遠征で見出した者として交渉に関わらせています。


 マルテレス様が向かわれると言うことは、彼らに能力が無いから。そう見られる恐れもある行為であるため、強く自重を促させていただきます」


 背筋を伸ばしてはっきりと。

 この場での主導権は、明らかにマシディリにあると分かる声を発した。


「カナロイアとの交渉はユリアンナが。ドーリスとはモニコースを通じて。他のエリポス諸国家とはクイリッタが。


 マルテレス様と父上のフラシ遠征中、東方を担当していた私が外れたのは、スィーパスらを推薦した責任を取らされた形です。ヴィルフェットやリベラリス様を性急に交渉担当まで上げたのは、軍団で能力を認められた者を使うと言うことを改めて示すため。


 全て、マルテレス様のために父上が変更され、制限を受けた結果。私にマルテレス様の行動を制限する権限などありませんが、もしも父上に何かあった場合、私はマルテレス様と一戦交える覚悟を持っております」


 閉じられた神殿だ。故に、クーシフォスとソリエンスが反応した音が良く響く。マシディリの鋭敏な耳では、良く捉えられる。


 目を丸くしたソリエンスなど、いつ以来だろうか。

 クーシフォスからの再度の衣擦れの音は、きっと、体勢を戻した証拠なのだろう。


 マルテレスが首を横に振った時の揺れる髪音も、はっきりと聞こえる。


「やめとけ、マシディリ。サジェッツァも言っていただろう。俺は、マシディリ相手に殺さないように手加減する余裕は無い」


「傲慢な発言はお控えください、父上」

 クーシフォスがはっきりと言った。


 これに目を大きくしたのはマルテレスだ。ソリエンスの目とそっくりの動きであり、驚いた時の瞳はまさに父子である。


「先ほどの発言からは、父上にはイフェメラ様やマールバラを軽く圧倒するだけの軍才があると言っているようにも聞こえます。そして、軍才があれば必ず勝てると。


 ですが、父上は、此処で、カルド島でアイネイエウスに敗れ、完璧に抑えられております。


 一度の敗戦をこするつもりはありません。

 ですが、マシディリ様の下にはアイネイエウスにとってのフィフィット、トランテ、グノートがたくさんおります。従う兵の数もアイネイエウスよりも多く、アイネイエウスと違い遊牧騎馬民族との強固な絆もあり、兄弟関係も良好。元老院にも協力者が多くおります。


 殺さないように手加減する余裕は無い、とは、マシディリ様の言葉ではありませんか」


 フィフィット、トランテ、グノートは、アイネイエウスに忠実なハフモニの将官である。この内、フィフィットとトランテはアレッシアとの戦いの中で散っていった。最後まで抵抗を続けていたグノートは、アイネイエウスの家族を今でも守り続けている。その上でアイネイエウスと言う男の生きざまを残すべく、執筆活動にも精を出していた。


 彼の、ともすればアレッシア批判とも受け取られかねない文書が、全て彼の意のままに発行できているのは、偏にエスピラが防波堤になっているからである。


「そう言うつもりで言ったんじゃない」

「では、お気を付けください」


 既に今日何度も行われているようなマルテレスの歯切れ悪い否定の後、ずん、とクーシフォスが前に出た。

 マシディリの斜め前に姿が現れたことで、硬く、真っ直ぐに伸びている腕が目に入る。


「私達兄弟には、誰も父上のような武勇はありません。


 父上が歩んで来た道は、父上の武名で拡張整備された道。持たざる者である私が歩む道は獣道なのです。父上にとっての少しの寄り道は、私にとっては足裏を裂くような道なき道。


 父上がいつまでも生きられる訳では無く、何時までも戦場で槍を振るえるわけでは無いのですから、不要な恨みを買うような真似はお控えください」


 その言葉を発する勇気は、どれほどだろうか。


 衣服に隠れているが今にも震えだしそうな足を幻視しながら、マシディリは爪が食い込むほど握られているクーシフォスの右手に焦点を合わせた。

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