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動き出す松明

「いつまでこんなことをしなきゃなんねえんだ?」

「ハフモニが飢えるのを待つってエスピラ様がおっしゃっていただろ」

「そりゃあ分かっているよ。じゃあ、それはいつだって話さ」

「まあ、冬が本格化する頃には、だろ」

「既に一か月待って、もう一か月待てって? アイツらは畑を踏み荒らし家を焼き人をなぶって馬も牛も奪って言っているんだぞ」

「挑発が激しくなっているのはそれだけハフモニに余裕が無くなっているからだって言ってただろ?」

「この軍団で額面通りに受け取る者が何人いるんだ? サジェッツァ様とグエッラ様は仲が悪いって専らの噂だぞ」


 と、そこまで聞いて。エスピラは音も無くその場を離れた。


 不味いな、とは思う。


 エスピラの監督している兵の多くはカルド島以来エスピラの下で働いている兵だ。統率のしやすさで言えば軍団でも屈指のモノだろう。

 それでも、兵の限界が近づいてきている。ハフモニ軍の狼藉に正義感を刺激されている。


(攻撃するなら今か?)


 自分がマールバラの立場であったのなら。


 どこまで正確に把握しているのかは分からないが、サジェッツァが大規模な会戦が起きないように配置しているのだ。当初はあった会戦派と非会戦派の温度差が、どんどん無くなっていく様子を把握できていても不思議では無い。


 とは言え、こちらも温度差をつけなければ暴発していた可能性はあるだろう。


 不満であれ何であれ、サジェッツァを意識しないといけないような状態にしたのはサジェッツァの素晴らしい手腕だ。一方で温度差を見せてしまったことで相手にとっても図りやすくなってしまっている。


 引き締めに行くのはいつか。

 引き締めに行けば、確実に露見する。内部分裂寸前の状況だと判断されてしまう。だが、行かねばもう一か月は保たない。


(サジェッツァの不在を狙うか?)


 本陣を、さらに言うならサジェッツァさえ排除できれば次に軍団を率いるのは会戦を主張しているグエッラだ。

 タイリー、ペッレグリーノと打ち破っているマールバラにとっては赤子のようなものだろう。


「エスピラ様」


 呼びかけられ顔を向ければ、かがり火の陰からエスピラ隊の騎兵隊長であるボラッチャが現れた。


「どうした? また、武器が足りないとボストゥウミ様がのたまったか?」


 軍団全体の騎兵隊長ボストゥウミは会戦派の人間だ。

 攻撃準備のために過剰な武器を要求し、エスピラは「作戦無視の証拠をくださるのですか?」と要求を一蹴している。その上、武器が運び込まれないように監視も行っていた。


「いえ。物資は一切滞りなく。素晴らしい差配です」

「どうも」


 ボラッチャの方が二十近く年上だが、立場に大きな違いがあるからかグライオの影響か、エスピラは丁寧な言葉遣いを既に止めている。


「で、どうした?」


 エスピラは足を止め、手袋に包まれていない右手を口元で丸めた。息を吹きかけ、温める。まだ白くはならない息が夜の闇に消えていった。


「ハフモニ軍の陣地についてです」


 やや斜めに頷いて、エスピラは続きを促した。


「僅かに炊事の煙が上がったようにも見えましたが、かがり火の準備などの可能性も捨てきれないとのことです。他の隊での報告も振れ幅があります。食事を準備した報告も、いつも通りでしかないと言う報告もあるようです」


 各隊の思惑、もとい上層部の意思も違うのだ。

 同じものを見て報告が多少異なるのは普段通りだとも言える。


「ただ、火はいつもより少ないと。ほとんどの報告で一致しております」


 寝起きであった意識が一気に覚醒まで持っていかれた気がした。


「ボラッチャ様はご自身で確認されましたか?」


 聞いて、自陣を任せていたのだから無理だったなとエスピラは心の中で謝罪した。


「いえ。ただ、信頼できる者を五人選んで確認に向かわせました。やはり、いつもより明るかったと。おそらく星明りを見ることのできない者も出てきているのではないかと言っている者もおりました」


「動く、か」


 誰も居ないことは先に把握していたのに、エスピラは再度目を動かし、肌を研ぎ澄ませ耳を欹ててしまった。


 ボラッチャも慎重に頷いてくる。


「私もそう思いましたが、エスピラ様がいつもおっしゃっている通り相手はタイリー様を討ち取った相手です。人をあちこちに放ってこちらがどう動くのか、誰が動くのかを見ている可能性もあると思います」


 温度差を把握するために。


 是が非でも会戦を。自らの手でマールバラを倒し、救国の英雄になりたいと夢見る男ならばこの機会に動く可能性は高いだろう。あるいは、マールバラの挑発にのり攻撃しかねないだろう。いや、夜の戦いだから普通は動かないか。普通は動かないからこそ動いてしまう愚か者を見つけられるのか。


 思い浮かぶ可能性はそれこそ星の数ほどある。


「サジェッツァは?」

「は? はい。動くなと命ずると思います」


 そうでは無い。

 否定しかけたが、質問の仕方が悪かったなとエスピラは言葉にはしなかった。


「陣地に居るか?」


 ボラッチャの目に疑問色が浮かんだ。


「出た、と言う報告は聞いておりません」


 伝令を呼ぼうかとエスピラは目を動かしたが、またしてもやめた。


 過信は禁物だ。確認はし過ぎるぐらいが丁度良い。

 だが、この場でサジェッツァの居るところに伝令を飛ばすのは愚策だろう。捕まった場合も考えると、良い手ではない。


 何より、サジェッツァが動くわけが無いのだ。

 エスピラには、慎重な友が失態を犯すとは思えないのである。


(神よ)


 友に、アレッシアに加護を。


「軽率な行動を取らないように徹底しておいてくれ。それから、もうすぐ主力の起きる時間になるが夜番の兵にも今日は気を抜くなと周知しろ。朝食ができるまでが仕事だと思え、とな」


 動きすぎか、とも思ったが「かしこまりました」と慇懃に頭を下げるボラッチャに対してエスピラは鷹揚に頷いた。


 とりあえずは、いつも通りに。

 エスピラは運動がてら伝令を任せている奴隷から寝ている間に何が起こったかを聞き、それから夜番の兵のために振る舞われている酒を分け与えた。


 奴隷は火の傍で休ませ、自身は天幕へ戻る。


「おはようございます」


 天幕の前では、きっちりと鎧に身を包んだグライオが立っていた。


「ああ。おはよう」


 返して、グライオと共に天幕に入る。


「良い夢でも見たか?」


 グライオの表情に変わったところは無かったが、エスピラは夜のうちにまとめられた各隊の物資の消費報告を目にしながら聞いた。


「いえ。一門の者を止められなかった夢を見ました。月の陰る夜に出ていく者を後ろから見ているだけの夢です」


 エスピラは手を止めた。

 グライオの信奉している神は月の女神だ。

 その彼女が隠れている時に出ていく者。それは。


「エスピラ様!」


 天幕が跳ねた。


 グライオがゆるりとエスピラと入口の間に立つ。


 入ってきたのはアワァリオ。エスピラの受け持つ騎兵の副隊長的な役割を持つ、三十代後半の男だ。


「松明が! 大量の松明が移動をしております!」

「慌てるな」


 エスピラは言いながら、いつもより少しだけゆっくりと酒を杯に注いだ。

 グライオに渡し、アワァリオに渡すようにと目で指示する。


「私もすぐに外壁に上がる。それから、百人隊長以上は全て起こしてくれ。後の者はまだ寝たままで構わない」


 もちろん、百人隊長が起きて行けば周りの者も起きるだろう。

 それは承知していたが、全員を無理矢理起こすのは疲労が溜まるのだ。エスピラも、打って出るつもりは今のところない。エスピラ隊の役目はこの街の守護なのだから。


「さて」

 と、壁に登る。


 星明りは煌煌と輝いているが、月は丁度雲に隠れて存在だけが分かる状態だ。

 その中でも。いや、だからこそ。

 多量の火が平野からの出入り口の一つ。サジェッツァの陣の向かいにある山に突撃して行っているのが良く見えた。


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