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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第三十一章
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緊迫の宴~荒波~

「悪い」


 マルテレスの頭が、果実をつけすぎた木の枝のように垂れ下がる。それも、葉が青い時では無い。秋がほぼ過ぎ去った時期のような印象を受ける木だ。


 静寂は、思ったほど静かでは無かったらしい。


 マシディリの耳に、宴会の喧騒が届き始める。奴隷の朗読は続いているし、多くの人の会話も聞こえてくるのだ。無論、近くに居る者達はこちらのやりとりに注目しているようであるが、奥方を楽しませるために用意した演舞もつつがなく行われている。


 宴会が機能していると判断した理由の一つ、左右で違う足音が一人で近づいてきた。奥方は置いてきたらしい。置いてこられるほど、楽しんでくれているらしい。


「アスフォス・オピーマが許されない侮辱を行ったと、我々は何度も申し上げたはず」


 べルティーナの顔が溜息に包まれる。

 顔を動かした愛妻は、近づいてきた兄と夫の間に入るようにマシディリにくっついてきた。背はティツィアーノに向ける形。マシディリの右手は、べルティーナの胸中に埋まってしまった。


「東方遠征に従軍した我々は、とうにアスフォスを許さないと決めました。東方遠征と同じ苦しみをフラシ遠征にもたらしたとして、師匠とアルモニア様を始めとする後方支援に従事した方をもアスフォスが批判したことで支えたいと思う人も減っています。

 あれ以上の支援をしなければ、アスフォスによってなじられるとわかっていて誰が協力したいと思うのか。

 だから、イエロ・テンプルムの惨劇を易々と引き起こせたのではありませんか?」


「ティツィアーノ」

 マルテレスから怒りは向けられない。

 代わりにティツィアーノにきつい声をぶつけたのは、エスピラだ。師匠でもあるエスピラに対してのみ、ティツィアーノが頭を下げている。


「しかしながら、この場を借りて言っておかねば、私は折り合いをつけることができません」


 下げまま、ティツィアーノが言った。

 反論はない。衣擦れの音も無い。


 その間を待つかのような時があって、ティツィアーノの顔が上がる。隻眼がはっきりとマルテレスを睨みつけた。


「私の怒りは三つあります。

 一つはマシディリ様が率いた東方遠征軍を貶めたこと。一つはそのマシディリ様が我らを守るよりもオピーマを守ろうと動いていること。最後の一つは、仮に東方遠征軍の成果と言っているだけで、マシディリ様のとは言っていない。つまり、それが叔父上が率いたものと比べて、と言い逃れるつもりであれば、それこそ何よりの侮辱だとして、最大の怒りをぶつけて差し上げましょう。


 トクティソスが元老院で言ったことは嘘では無い。


 何も無い大地で、ただ広いだけの、寂しい土地で。何もできずに戦友が死んでいった。腕の中で温もりが消えたのならまだ良い。何もできず、いたぶられ、尊厳を破壊されながら肉体も破壊されたのが最初の東方遠征だ。


 それに比べ、エスピラ様もマルテレス様も居て、支援も十分にあって、愚かな男が作戦を破綻させながらも、お二人の力で成功に導かれた。お二人の力だ。だと言うのに自らの功であるかのようにアスフォスが喧伝している。


 これを怒らずして何を怒れと言うのか。


 私はアスフォス・オピーマの処刑を嘆願しに此処に参りました。


 アレッシアのために。軍令違反で即座に処するべきだったとエスピラ様もマルテレス様も非難させていただきます。どうでも良いことは反対する癖に今回は声を挙げなかった父上も糾弾させていただきます」



 マルテレスが開けた口を閉じる。顔は苦渋。アスフォスを守りたいと言う気持ちは伝わってくる表情だ。相反する思いも一緒に。


 対して、エスピラとサジェッツァが浮かべている表情は違うが、二人とも先ほどまでと変わらない顔をしている。


「オピーマに対する忖度が働いている現状は、私やトクティソスが発した救援要請に対して政治的対立で返そうとした元老院と何ら変わりません」


「先に応えるべきはエスピラだ」

 一番厳しく睨んだのはべルティーナ。次いで、ティツィアーノ。


 子供達に嫌悪の眼差しを向けられても、サジェッツァは淡々とした態度を崩さずにエスピラに目を向けている。


「戦功はアスフォス程度とみなされ、裁判の解決は図れない男。その上、周りの者が何を幾ら言っても反抗せずに受け入れる。マルテレスがマシディリをそう評していると取られてもおかしくない。それが現実だ。

 マルテレス。お前はマシディリを過小評価している。その事実に一番憤りを覚えているのは、エスピラだ」


 断定かい、とエスピラが苦笑した。

 揺れた肩にマルテレスの目が動く。いつもより黒々と。いつもより丸く。いつもより大きく。首から上以外はアレッシアンコンクリートで固められたかのように。


「困ったねえ」

 そんな親友を見ずに、エスピラが穏やかな苦笑を浮かべた。


「お義父様の腰が軽すぎてマシディリさんが困っているのですから。これぐらいは責任を取っていただきませんと」

 べルティーナが言う。


「こりゃ手厳しい」

 マシディリが一言告げるよりも早くエスピラがおどけたように肩を竦めた。


 間違ったことは言っていないんだから、妻の味方であれよ、マシディリ。と、マシディリを窘める余裕すら見せている。


「ただ、ティツィアーノの理論で行くのなら、私は共に従軍したアスフォスに手を貸す義理がある。だからアスフォスは助ける。インテケルンにも糸を垂らす。メルカトルは助けない。


 明確だろう?

 線引きはしっかりとしているのさ。それに、一応は不満を抑えることもしているつもりだよ」


 そう言ってエスピラが懐から取り出したのは一通の羊皮紙。

 ひらりと揺らし、全員の注目をまずは集めている。


「クイリッタからの手紙でね。アスフォスやメルカトルだけでは無く、上官でありながら止められなかったスィーパス、命令違反を重ねてプリティン、軍団の和を乱したマヒエリの処刑も求めてきているよ。


 共に裸になって川遊びに興じ、虫を探しての山を駆け巡ったころからの知り合いだから四人のことは良く知っている。アレッシアのために殺すべきだってね」


 それから、もう一枚。


「こっちはクイリッタがスペランツァに送った手紙さ。内容はほとんど同じだけど、決定的な違いがある。


 マルテレス。お前に対してだ。

 無事に裁判が為り、判決が下った後はマルテレス・オピーマを排除すると書かれている。そのための準備を進めて置くように、とね。


 尤も、どちらも止めさせてもらったよ」


「私も、弟を始めとする多くのアスピデアウスの者を貶されたと認識している。彼ら英霊に報いるためにも、甘い裁定で済ませる気は無い」


 容赦のない一言が、付け加えられた。

 そのまま立ち上がり、マシディリに向かって来たサジェッツァに対してべルティーナが迎え撃つように前に出る。


「治療するだけだ」

「私の夫に何かしたら、ただじゃおかないから」


 短い言葉は短剣のやり取り。


 ただし、親への信頼はしっかりとあるのか、べルティーナがすぐにマシディリの横に戻ってきた。サジェッツァが裂けているマシディリの右手を取る。治療の光は、きっと晩餐会出席者全員からだって見えたはずだ。


 見えたからこそ、アルビタとレグラーレが近づいてきたのだろう。グロブスとマンティンディも各々詩と裸踊りに興じつつもこちらを伺っている。


「俺は、割りたいわけじゃない」

 態度も項垂れていれば、マルテレスの声も項垂れていた。


「私と同じだ。気持ちは私の方が良く分かる」

 慰めに掛けられたとは思えないほど真っすぐすぎる声は、サジェッツァの物。


「私腹を肥やしたアスピデアウスの者達を放置し、父上の追放に至ったことによって今なお続く対立を生みだしたことを言っているのです」


 マシディリは安堵した。


 べルティーナとティツィアーノがサジェッツァに対して何か言いそうだと思ったのだ。親子関係としてはこれがこの親子のやり取りなのかもしれないが、マルテレスには悪影響である。


 だから、先に言葉を告げられたことに安堵した。

 安堵したから、一拍遅れた。



「後悔しているのであれば、次のフラシ遠征は私に軍事命令権をください」


 これで落ち着けば。

 そう思っても、誰かが荒波を立て続けてくる。


 ティツィアーノ・アスピデアウス。

 サジェッツァを父に持ち、エスピラを師匠と慕う男が、マルテレスに対して嘆願を出した。


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