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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第三十一章
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緊迫の宴~湖底に眠るモノ~

「フラシ遠征だってきつかった。食糧だって他の物資だって少ない中での始まりだし、異国で冬を越した。夏も越した。スィーパスもきつい遠征を行ったし、戦闘では耐える時間も長かった。敵が間近にいる中で眠る日だって二日や三日、十日どころじゃない。あれほどきつい戦いは、そうは無い。


 だよな、エスピラ!」


 目は開き、瞬きは少ない。腰は上がり気味で体温も上昇しているだろうか。

 そんな様子のマルテレスに対し、エスピラの急所は再び隠れ気味になっている。


 発言までの間も、少し開いた。


「決して、楽な戦いじゃなかったのは事実だね」


 出て来た言葉は肯定。嘘では無い。それぐらい、マシディリも分かっている。



 それでも。それなら。


 いや、少なくともマルテレス主導のカルド島遠征は、あの狼藉は。


 ヴィルフェットの父親は、何故、死んだのか。



 思考は、深みにはまる。


「極限の状況なら、なあ。アスフォスの言うことだって分かるだろ? 生意気なことだってこぼしたくもなる。フラシ遠征だって誇れる成果だ。アスフォスなりにオピーマを考えてもいるんだよ。イフェメラからの地続きでもあるだろ? だから、やっぱりフラシ遠征の成果は大きいと思うんだ。


 頼む。

 エスピラもサジェッツァも、オピーマを大事に思ってくれていることは分かった。


 だからこそ、頼むよ。

 アスフォスなりに思っての行動だ。父上だって、口は悪いが、あれでも父親なんだ。サジェッツァは分かるだろう? どんなんでも父親だ。俺にとってはただ一人の父親なんだ。


 マシディリも分かるだろ? 親は大事だし、子も大事だ。こんな俺でも慕ってくれる者もいる。そいつらも大事だ。大事な仲間だ。アスフォスも大事な仲間だと思っているからこそ、ちょっと言い過ぎてしまったんだ。


 そこは謝る。


 だが、アスフォスの思いも汲んでやってくれ。父上は私が何とかするから。な。アスフォスだってもう一度言って聞かせる。今度こそ言って聞かせる」


「マルテレス」

 エスピラが低く名を呼ぶ。

 しかし、マルテレスの唾は止まらない。


「そりゃ東方遠征は二年近く。対してフラシ遠征は一年だ。その違いは分かっている。でも、ハフモニが近くにあったんだ。爆発しないように気を付けなきゃいけなかったし、遊牧民族との戦いが危険なのはサジェッツァが一番実感しているはずだ。物資が無くてひもじい思いもした。冬も寒かったのに布は少なかったし。いきなり敵地での分散冬営ともなれば、その後の負担も大きいもんだろ。


 対抗意識なんだよ。クーシフォスが活躍した分、焦ったんだ。マシディリ。弟達に聞いてみてくれ。きっと、分かってくれると思うから。いや、エスピラの子だからこそ分かるところもあるだろ? 東方遠征に並ぶ成果で、東方遠征と同じくらいきつかったと言いたいんだ。そう理解して欲しいってのが優秀な兄を持つ弟の心何だよ。


 アスフォスは、ちょっと言い過ぎただけだ。

 だから、な。次のフラシ遠征には関係ない。それで良いじゃないか」


 短く切っているはずの爪が、掌底に食い込んでいた。


 マシディリがそれを自覚できたのは、何とか自分に言い聞かせていたから。マルテレスも守るために言っていて、私利私欲でも無ければ保身でも無いと。


 それでも。



「東方遠征と同じなど、看過できません」



 震えそうな声を抑え込みながら、マシディリは言った。

 マルテレスに向けないようにとどこか冷静な部分で考えていた目が、手前にある机の辺に向けられているのに今気づいたのは、冷静では無いからだろう。


「私は、東方遠征での冬の寒さを忘れることなどできません。戦友たちも同じです。


 異国の地で土を掘り、汗臭さに耐え、臭気と痒みが籠る中で汗をかいて暖を取らねばならず、清潔な布を求めるために手がしびれる寒さの川で洗い物を決行する。


 イパリオンの者と会談するために残してある清潔な布は、戦友との仲を引き裂きかねない物でしたが、無くなればイパリオンとの仲が引き裂かれ、戦友もろとも身が引き裂かれる以上、使用制限を守り抜かねばなりませんでした。


 軍団としても汚れは酷く、たまの風呂では水に油が浮く。食事も口に合わずに痩せた者も多く居ました。ですが、種類は少なく、量もしっかりと計算しなければなりません。出す順番も、保存食だからだけでは無く春に向けてどう兵を万全の状態に整えるかも考えなければなりませんでした。


 分散冬営。敵前での就寝。

 それぐらい、こちらも経験しております。


 そして、こちらには本国との連絡手段などありませんでした。あるのは、物資支援までしてくれていた味方と思っていた諸部族の裏切り。味方は先日まで槍を交えていた者だけ。またいつ裏切るか分からない。先は裏切られた。前日まで戦っていた者はどうなのか。


 兵の間に疑心は蔓延しておりました。

 払しょくに努める高官の疲弊も、日に日に増していたのは火を見るよりも明らかです。


 その労苦を共に乗り越えた戦友たちの前で、私は、フラシ遠征が東方遠征と同じであったなどとは口が裂けても言えません!」


 つい、熱がこもる。


 イパリオンに勝った。バーキリキに勝った。マールバラを討ちとった。


 輝かしさばかりが語られるのは、苦労があったからこそ。輝かしさばかり語るのは、思い出したくも無い苦しみがあったから。みんなで笑っていられるのは、生きて帰ってくることができた安堵から。



「昨日、笑って食糧を持ってきた者が次の日には剣を構えてやってくる。


 親に土産ができたと笑っていた友が、裏切り者によって穂先に吊るされる。土産を守ろうとして、母の名を、父の名を叫んで八つ裂きにされた友もいた。


 冬の苦労を分かち合い、肩を叩き、励まし合った友を。冬を越えて裏切りを乗り越えた親友を、戦場の雨の中では混乱の種として見捨てねば生きて帰ってこられなかった。友を殺せと心を裂かれながら命令を下せば、友を殺さねばと血反吐を吐きながら泣いて従ってくれた友が居た。だからこそ私が此処にいる。


 この苦しみを、自らのために戦って兵を無駄死にさせてきた者が、それを許した者が持っているのですか。


 自軍の疲弊を把握せず、何度も死地に飛び込んで自らの功をたてたがるような者が持っているのですか。他者を貶して自分を良く見せたい嘘つきが持っているのですか! 軍団兵を守るための計略を潰そうとした者が、どのような支えがあって自らの功があるのかを考えたことがあるとでも言うのですか!


 死ねと命じるその口で、誇りを持ってアレッシアに栄光をと叫べるのですか! 祖国に永遠の繁栄をと、心の底から返せるようにできたのですか!」



 込め過ぎ力によってか、言葉の最中に握っていた衣服の胸元から手が外れた。

 否。血だ。最初に強く握りすぎたことによって、肉が裂けていたらしい。赤く塗れた胸元から、きっと、滑って抜けたのだと理解できた。



「一緒にしないでください」


 声が、ようやく小さくなる。

 何時の間にやら晩餐会の会場が静まり返っていたのも、今、理解した。


「師匠は誰よりも友を失う哀しみを知っているはずでは無かったのですか。


 アレッシアのために、マールバラと戦って散った友を。師匠は彼らを数字として見ていたのですか? 数値だと。能力不足の数、栄光を得るために必要な犠牲だと。


 マルテレス様はそんな考えを持っていなかったはずです。


 死者の数を比べ、東方遠征は失敗でフラシ遠征は成功だと口が裂けても言えないのではありませんか。同格だなんて言わないはずだ。そんなことを言っている者を、今の今まで放置していたなど言って欲しくはありません。今さらアスフォスをどうにかするなど、口にしないでください」


「マシディリ。アスフォスは、アスフォスが言いたいのは、そうじゃないんだ」

 言葉が止まり、マルテレスの目が動く。

 理由を察するより先に、マシディリの右手側に存在を感じた


「もう、おやめになった方がよろしいかと思います」


 べルティーナだ。

 何時の間にか来ていた愛妻が、痛ましい顔でマシディリの裂けた右手を見つめ、手を伸ばしている。やがて、その手が温もりに包まれた。血を厭うこと無く。しっかりと。


「マシディリさんは対立を避けたかったのでしょう?」


 愛妻の顔は、悲哀に満ちていた。


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