魔女と剣 Ⅲ
「じゃあ、どうにかできないか」
「アスピデアウスとの違いを理解なさったら?」
前に出たマルテレスに対し、何が楽しいのか、ころころと鈴を転がすようにズィミナソフィアが告げる。当然、マルテレスの顔に不快感が混ざった。
「ソフィア」
「アスピデアウスに対しては明確な殴り合いを行ったのでしょう? オピーマに対しては、ウェラテヌスは拳を振るっていませんでしたのに」
危険な札を切っても、ズィミナソフィアは止まらない。
「それに、アスピデアウスはあくまでもアレッシア内部に収める対立。対してオピーマは、東西の対立を煽るような発言をしているようにしか見えませんわ。アレッシアが東方とまとめる地域の者達は怒り心頭でしてよ。宥めているのはユリアンナ様。手が足りないからこそ、お父様はクイリッタ様をビュザノンテンに送り込んだのです」
ディミテラとサテレスと共に過ごして欲しい、と言う想いもあるが。
もちろん、言う必要は無い。伝えるべきでは無いし、ズィミナソフィアも分かっているのだ。
「対立はアレッシアにもウェラテヌスに益など無い行為。
此処でオピーマを庇えばイパリオンは離れていき、再びマシディリ様が治めた地域が暴れ出す。一方でフラシは潜在的な敵。言うほどオピーマに味方する益がありますでしょうか?
オピーマと敵対する道を選ぶのがアレッシアの益となる道。
メルカトル裁判中にマシディリ様と会談しておきながら、不発に終わったと良く分かる行動をしてしまうのも含め、私は何故お父様が未だにオピーマに肩入れするのかが不思議でなりません。男の友情、と言うモノなのでしょうが。
ふふ。
マルテレス様は、何が狙いなのですか?
お父様が折角マシディリ様とクイリッタ様の兄弟喧嘩で収めようとしたのに、それも潰して。それでいてウェラテヌスをまだ頼ろうとする」
くすくす、とズィミナソフィアが妖しく笑った。
なるほど。目が吸い込まれると言えるような笑い方だ。相手を金縛りに陥れ、自分に取り込む。そう思える笑い方。美貌を使っているのはそうだが、また違うやり方だ。獲物を動けなくして、しっかりと食らいつくす。自らのモノとするやり方。
色仕掛けと言うモノはエスピラも良く見て来たし、仕掛けられたことだってあった。しかし、このような喰らいつくす使い方をした者は知らない。
「滞在費ぐらい出されては?
お父様が軍事顧問として働く日は私が支払っていますし、ヴィルフェットの滞在費も支払っています。しかし、チアーラ、フィチリタ、レピナ。伴侶達であるモニコースやフィロラードはもちろんですが、オプティアスの書の管理員として来ているセアデラとラエテルもウェラテヌスの私費で来ています。
公費はリベラリスとバゲータだけ。
アビィティロ、グロブス、マンティンディ、ウルティムス、アピスは私費で来たことになっていますが、マシディリ様が庇護者として援助しているのは自明の理。
全て、オピーマの所為による出費でしてよ。
お父様は半島でゆっくりと出来ると思ったからセアデラとラエテルをオプティアスの書の管理委員にねじ込みましたのに」
遠くから、ズィミナソフィアが短刀をちらつかせた。
そう表現できる言葉の数々である。マルテレスには、反論する様子が無い。
「少し、下がっていてくれないか?」
エスピラは静かに、そしてある程度の怒りを滲ませて言った。
ズィミナソフィアの口角が弧を描く。口を隠す手は、しかしながら両端を外に出したまま。
「では、最後に一つだけ。アスフォスの言っていることは、マルテレス様の本音では無くて?」
「そんなわけあるか!」
マルテレスが吼えた。
エスピラはすぐに図書館の奥に顔を向ける。ラエテルとセアデラの視線がやってきていた。
二人に対し、手を振り、微笑みで気にするなと伝える。ゆるゆると、こちらに心を残しながら二人が書物に戻っていった。アグニッシモに反応は無い。聞き耳を立てているのは、ヴィルフェットか。
「少し歩こう」
エスピラが先導する形で進む。
誰からも文句は無かった。
さがってくれないか、と言う言葉が実質的に取り下げられたことでズィミナソフィアも堂々とついてきている。
「此処まで明確に拒絶したのに、アスフォスを野放しにしているだなんて。戦場での果断な決断とは似ても似つかぬ様子。今の動きだけで、オピーマがアレッシアの主流派になれば付き合い方を考えさせていただきます、と宣言できてしまいましてよ?」
ズィミナソフィアがそよ風のように言い切った。
事実、マフソレイオはアスピデアウスが主流派になった時にアレッシアから距離を取っている。離れすぎず、うまいことかわすように。
何より、マフソレイオと南方諸部族の間に結びつきができ、ハフモニ付近に駐屯するアレッシアを挟撃できる形が整った現状ではマフソレイオを敵に回すことはよろしくない。
「それはマフソレイオの権利だ。もちろん、私は関係改善に尽くさせてもらうけどね」
「その場合、お父様には軍事顧問としてマフソレイオの軍団を率いてもらうことも考えていましてよ。もちろん、お父様が素直に諸外国の勢力を借りて返り咲こうだなんて思っていないことは承知しております」
嫌な牽制だ。
「エスピラやサジェッツァと比べて、俺がアレッシアの頭に向いていないのは知っているよ」
「責任を取らないのがアレッシアの平民。責任を果たすのがアレッシアの貴族」
マルテレスの自省の声にも、容赦なく塩を塗りたくるような。
明らかな怒りが見て取れる行動である。
「喧嘩がしたいのなら後で場を用意する」
ただ、怒りを覚えているのはエスピラとて同じこと。
足を止め、ズィミナソフィアにはっきりと拒絶を示した。
ズィミナソフィアが目を閉じ、足を止める。口も止まった。
マルテレスの足も止まる。
「アスフォスに関しては、ちゃんと、アスフォスを利用している者が分かったら責任を取らせるつもりだ。それまでは引っ張り出さないといけない。これは、神にだって誓うさ」
マルテレスなりの一線を越さない反論だろう。
笑わず、左目だけを開けてマルテレスを見るのもズィミナソフィアなりの反省。
「まだ分かっていなかったのなら、とんだ笑い者ね」
「陛下」
駄目だ。
止まらない。
そう確信に似た気持ちはあるが、ズィミナソフィアとの間には距離がある。間にいるのは女性の奴隷。女性であるが、エスピラでは振り解いてズィミナソフィアを物理的に止めるのは無理がある。
「はっきりと言いましょう」
「ソフィア!」
父親としての面を押し出して吼えた。
マルテレスの正中線はズィミナソフィアに。知りたいことが知れるのなら、当然かも知れないが、その先は。
「スィーパス・オピーマ」
マルテレスの目が、黒くなった。
背筋が僅かに後ろに行く。重心がつま先から踵へ。
「ありえない」
「アスフォス・オピーマを利用した男の名前です」
うそだ。
釣り上げられた魚があえぐように、マルテレスが口にした。




