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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第三十一章
1197/1595

形成

 次に耳が捉えたかすかな音は、これまで一切の動きを見せなかった弟分の重心が変わった音。極々わずかな衣擦れと、口を開いたような気配。


「建国五門と同格であると言うことを否定せず、家門として張り合おうとするのなら。いえ。アレッシアのために諸外国と張り合える自信があるのなら、先の質問で全ての答えが出るものだと理解しなくてはいけませんでした」


「ヴィルフェット」

 マシディリは、フラシ遠征で元老院議員やサジェッツァ周りからも一気に評価を高めた弟分に形だけの注意を飛ばす。

 ヴィルフェットから聞こえる衣擦れの音は、形ばかりの謝意を表したのだろうか。


「しかし、先ほど兄上ははっきりと言わないと伝わらないこともあると仰せでした。であるのなら、アスフォス・オピーマに強い影響を及ぼせる上に後ろ盾となれるオピーマの者は、もうメルカトル様しか残されておりませんとはっきりと言うべきかと思います」


 マシディリは振り返らず、闘技場を見下ろす。


 元々筋骨隆々の大男だったスッコレトは、剣闘士奴隷に与えられる大麦の影響でより体を大きくしていた。脂肪である。悪い意味では無く、鎧として剣闘士を守る意味もあるのだ。


 一方で、アレッシア人は小麦の方を主食としている。


「兄上は、伯父上の次にオピーマとかかわりが深い方ですので、言いにくいかと愚考いたしました」


(愚考いたしました)

 父親の口癖を息子に教えた叔母(カリヨ)は、どのような心境だったのか。


「此処にいる皆さんは、できうる限りお守りいたします。ウェラテヌスの支持者を抑え、叔母上や弟達をなだめ、庇いましょう。


 ですが、メルカトル様とアスフォス様は羊となってもらいます。いえ。爪と牙を剥いている以上、彼らはもう羊ではありません。

 もちろん、皆さんも。アレッシアのために戦い続けられる狼です。そして、狼ならば守られ続ける存在では無いはず。


 言葉に責任を。上に立つ者の責務を。自身の影響力への理解を」


 言葉を区切り、決着が尽きそうな闘技場を見下ろす。


 マシディリの見立て通りに、二人の剣闘士が盛大な声を挙げて突撃していった。


 勝ったのは、スッコレト。

 剣と言うよりも柄による殴打で投網士を打ち据えた。ただし、その後に網に絡まり無様な転倒を晒している。幸運だったのは、投網士の手には既に鉤爪が握られていないこと。


 勝者の座は、揺るがない。

 歓声を上回る罵声も、変わらない。


「生意気なことを言って申し訳ありませんでした、師匠。

 クーシフォス様、スィーパス様、マヒエリ様も今日の剣闘士大会をお楽しみください。

 ヴィルフェット。応対を頼みます。


 私は、これにて」


 失礼いたします、とマシディリは腰を低くしてマルテレスに告げ、貴賓室に別れを告げる。


 緋色のペリースを歩速で揺らし、左手に付けた革手袋もペリースの下から出して見えるようにして。背筋を伸ばし、同じ歩幅で堂々と。


 貴賓室を出て、扉が閉まるとずっと隠れていたレグラーレが影から現れるようにマシディリの前に現れた。


「ルカンダニエ様がお見えです」

「すぐに向かいます」


 レグラーレを先頭に、マシディリが続く。殿はアルビタ。

 ピラストロはヴィルフェット共にオピーマ四人の歓待だ。


「お時間を頂き、ありがとうございます」


 別の貴賓室、少し小ぶりな部屋でルカンダニエが頭を下げた。

 此処も窓は広い。松明や焚火の類は一切無いが、それでも晴天であれば光量は十分に確保できる部屋である。


「いえ。こちらこそ、結局何もせずに第三軍団を解体させてしまい、申し訳ありません」

 もちろん、招集すればすぐにでも集まるようには整えている。


「エスピラ様が軍団兵の支持を最も集めてしまった以上、マシディリ様に忠実な第三軍団をアレッシアの近くで保持していくこともディファ・マルティーマに留め置くことも警戒しか生まないと。皆が理解しております」


「嬉しい言葉をありがとうございます」


 第三軍団。

 その軍団は、第一軍団と異なり指し示す高官までほぼ決定的である。


 即ち、軍団長補佐筆頭にしてナンバーツーであるアルビタ。

 軍団長補佐に伝令部隊出身者のグロブス、マンティンディ。アスピデアウス派にしてサンヌス出身のアピス。マルテレス門下生のルカンダニエ。


 定まり切っていないのは騎兵隊長だけ。その騎兵も、ウルティムス、アグニッシモ、カウヴァッロの僅か三名が候補に挙がるのみだ。


「マシディリ様」

 ルカンダニエの声量が落ちた。声の向きは変わっていない。しっかりとマシディリに届いている。


「メルカトル様及びアスフォス、プリティン両ヘステイラの落とし子の排除の許可を願いに参りました」


 果敢なルカンダニエらしい提案だ、とマシディリは思った。

 それ以外は利害の計算である。


「なりません」

「マシディリ様。畏れながら、恩を恩と思わず自らの力量を過信し、あまつさえアレッシアの分断に積極的な者はすぐさま排除するべきであると進言いたします」


「マルテレス様は軍団を操らせ、軍閥を作らせることに於いては比類ない才能がありますが、巨大な家門を制御することは誰よりも不得手な方。その方法を知っている親類も居なければ、そのための繋がりもウェラテヌスを中心としたモノ。そのウェラテヌスに噛みついた者を放置してしまっているのが現状です。


 己の手で身内を切れるか。泥を被り、それでもなおアレッシアのために突き進めるのか。


 それを為せてこそ、オピーマと言う家門が巨大なまま残り、やがては名家へと発展していくのだと私は信じています」


「あなたが仰るのであれば」


 ルカンダニエが頭を下げる。

 マシディリは、父からの手紙を思い浮かべた。


 伝えるべきか、否か。


 ルカンダニエは、マシディリに非常に近い位置にいる。しかし、オピーマ派だ。本人もマルテレス門下生であることを意識しているし、裏切り者と罵る者もいる一方で親しく交わる門下生も多い。


 何よりも、本人の思考は果敢なモノ。

 マシディリは、ゆるりと貴賓室の机に腰かけた。


「スィーパス様はクーシフォス様に対して偏執に似た兄弟愛を持っています。言葉が真実なら、最終的な目的はクーシフォス様の才を広く知らしめること。そのために単独の機会、恐らくは自身が支える形でのクーシフォス様の遠征を狙っているでしょう。


 その考えに於いて邪魔なのがメルカトル・オピーマと、もしかしたら父であるマルテレス様の動きを封じることも考えているかも知れません。


 念のため、そう伝えておきます。


 くれぐれも慎重に。私は、ルカンダニエ様を高くかっておりますから。ルカンダニエ様の才を戦場でこそ活かして欲しいのです」


 言い終わるのを待つようにしてから、ルカンダニエがマシディリが離れた分の距離を埋める。埋め終わっても、二歩だけ近づいてきた。流れるように膝を折り、地面に左膝を着けている。


「ありがたいお言葉ですが、『様』は不要。ルカンダニエ、と。そうお呼びください」


 頭も垂れた。

 一秒開けて、マシディリは机から腰を上げる。


 静かに、されど衣擦れの音はしっかりと立ててルカンダニエの肩に手を置く距離まで歩いた。その時間は、数秒。しかし、分間にも感じる空気が確かにあった。


「共に、アレッシアのために邁進いたしましょう、ルカンダニエ」


 言葉と共に、ルカンダニエの肩に手を置く。

 しっかりと掴み、責任と寛容性たるぬくもりを伝えて。


「は」


 ルカンダニエの声は短くも力強いモノ。

 それで十分。


「アレッシアに、栄光を」

「祖国に、永遠の繁栄を」


 静かな掛け声。

 決して、軍団で使う大きさでは無い。


 マシディリは、もう一度ルカンダニエの肩を叩くと、今度は手を取り、起き上がらせたのだった。

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