山中の会談、相容れず
「グエッラ様も聞いている通りですよ」
エスピラは地図を手に持ち、広げた。
被庇護者に作ってもらったものだが、大分正確らしいのは軍団に居るアグリコーラ近辺出身者に聞いて確かめてある。
「渡河地点、外壁のある街、小高い丘、抜けるための街道。これらのポイントに軍団を分けて配備し、マールバラの動きを封じる。略奪される前に収穫を終わらせ、敵に食糧を与えず敵の軍団を枯らす。それ以上でも以下でもありませんよ」
グエッラが身を乗り出してきた。
「それは相手に越冬させることが前提となっている。此処に四万もの兵が居るのに、だ。獅子のいる部屋で見張っているから寝ろだなんて言われて、寝られる人が居るとお思いか?」
「闘技場に獅子を出す時は、ある程度はこちらでコントロールができているモノです。
獅子と戦う者を勝たせたいなら極度の空腹状態に持っていけば良い。獅子を十全に働かせたいなら程よい空腹にすれば良い。満腹ならば戦いは起こらない。
今のハフモニ軍はどれだとお思いですか?」
「その危険な状態で街中に居るのだ。闘技場の中に居るのでは無い」
「そこを闘技場の中に居ると錯覚させるのも副官の仕事なのでは無いでしょうか」
ふむ、とグエッラが怒気を微塵も見せずに頷いた。
グエッラを睨むようにしていたシニストラの瞼が僅かに大きく開く。
「確かに、それは副官の仕事だろう。だが、何事にも限度がある。誰も率いたことが無い四個軍団四万の軍勢。声を上げるだけならさらに万は増える。近くの集落に行けば戦わないことへの罵声はもっと増える。サジェッツァ様は、それを考慮しておいでか?」
「サーカスの主催者が良く吼えるモノだ」
シニストラが鼻で笑いながら吐き捨てた。
グエッラの目がシニストラに向かいかけたが、瞳に映さずに止まる。
(認める、のは不味いか)
友人が忙しいのはエスピラとて知っている。だが、確かに兵への声掛けが足りないのではないかと思わなくもない。もう少し直接言葉を下し、自ら説明すれば変わるのではと思うこともある。
だが、それをエスピラが認めれば言質になろう。それはよろしくない。
「だからこその独裁官なのです。執政官では結局のところ最後の最後で強権は発動できない。ですが、独裁官ならばサジェッツァが一言告げるだけで処刑が決まる。長期的な視点を持てない者を強制的に我慢させるための強力な権限なのです」
「寝返ったらどうする?」
「地図からその街を消しますよ。サジェッツァなら、ですが」
「消せるとお思いか?」
「先触れは早めに収穫させるためだけに向かっているわけではありませんから」
僅かな静寂が訪れる。
グエッラが口を開かず、エスピラも続けはしない。シニストラも不動の姿勢でグエッラを見張っているのみ。
天幕の外からは規則正しい兵たちの足音が聞こえ、見回りなどが入れ替わったようである。
「敵は、誰だ?」
グエッラが重々しく言葉を落とした。
「アレッシアに仇為すもの全てです」
涼やかにエスピラは返す。
「貴族に、の間違いでは無いのか?」
「ウェラテヌスへの侮辱は剣でお返しいたしますが」
シニストラの雰囲気が変わった。グエッラの目がシニストラに向く。手は剣の近くへ。ただ、握りはしない。重心がシニストラから離れただけだ。エスピラからも僅かには離れている。
「グエッラ様にも家族が居るはずだ」
グエッラの瞳に二つの色が交ざる。
一つは困惑。一つは侮蔑。
エスピラも、わざとそうなる言葉を選んで切り出したのである。
「私も大事な家族がおりましてね。妻はたまに手に負えないが愛おしいことに変わりはありません。息子たちもたまらなく可愛い。彼らがアレッシアのために命を散らすことは覚悟していても胸の痛みが体を焦がすのは変わらないでしょう。
それは兵も同じこと。兵の家族も同じこと。
被害を少なく抑えたいのは敵も味方も同じはず。ただ、マールバラは会戦しなければ勝つことは出来ない。こちらはかわし続けるだけで首を絞めることができる。焦り、悪手を打ちやすくなるのは敵の方。
もちろん、こちらの陣営が先に砕けなければ、の話ですがね」
「ドーリスは戦わずに逃げた者を臆病者として奴隷以下の扱いを与える」
グエッラのひときわ低い声が空気を揺らした。
「我らはアレッシア人です。エリポスに敬意を示してもエリポスの文化に染まるとは笑止千万。愚弄するのもいい加減にしていただきたい」
前半の涼やかな口調から一転。エスピラも頭が高いと言わんばかりの声でグエッラに返した。
そのまま首元にナイフを突きつけるように続ける。
「どこぞの国ではこうだからと入れて行けば、それは栄光あるアレッシアが侵略されているのと同じこと。文化的な侵略への門を開いているのと同じこと。状況を整理し、アレッシアに適しているか、アレッシアの歴史を損ねないかを考えてから口を開いていただきたい」
グエッラが瞳の光を落とさずにエスピラを見返してきた。
「アレッシアもまた好戦的な国家。負け続きの相手に背を向け殻にこもるのでは実るモノも実らなくなると思いますが?」
「『二年は戦うな』。タイリー様が私に残した遺言です。あたかも私に協力したようなことをおっしゃっているグエッラ様なら既に知っているかと思いますが、当然のことながら背を向け殻に籠るような真似をしても実るモノは実るのです」
もちろん、知っているとは思っていない。
真意を伝える気も無い。
ただの牽制だ。恩を売っているつもりなら意味が無いぞ、と。先の裁判、確かにグエッラの影響も大きかったが、それを押し出すのは今回の作戦を肯定するのと同じだぞとエスピラは警告交じりにグエッラに伝えたのだ。
グエッラも、一歩引かずにむしろ身を乗り出してくる。
「収穫まで生っておりますかね? マールバラの動きはこちらの信頼関係を破壊するモノ。村を襲い、作物を奪い、生活を壊す。その様子を見ながら何もしないアレッシアにこれまで通り同盟諸都市が協力するとは思えませんが、エスピラ様はどう思われますか?」
危険な賭けだとはエスピラも分かっている。
大軍を維持するには大量の物資を必要とし、本国とも連絡が取れず協力国も居ないマールバラはそれを略奪に頼るしかない。だが、その略奪も封じている。
此処だけ見ればアレッシアは上手く敵軍を飢えさせることに成功したと言えるだろう。
ただ、ハフモニ軍に報復はしていない。
苦しんでいる味方を見て、未然に防ぐべく軍を動かしてはいるが、いざ略奪された時にちゃんと味方のために攻撃しているようには見えないのだ。
その批判の声はエスピラの耳にも聞こえているし、グエッラへの返答までの時間の長さもグエッラに対する肯定を示している。
「作戦の有用性を認め、かみ砕いて説明し、損害を被る者へは素早く周知して損害を減らす。それこそが私たちのような意思の決定に近い所に居る者の役割だと思います」
「意思の決定を行うのは一部の特権階級では無い」
「選挙で選ばれた元老院と元老院に選ばれた独裁官が各民会の承諾を得て編成した軍団です。神の御意思も民のためアレッシアのためと言う心も持ち合わせているかと」
グエッラの即答には、エスピラも即答で返した。
グエッラが立ち上がる。
「この作戦を続ければ早晩軍は瓦解するぞ」
「褒美の提供、便宜を図る、保証を約束する、神の御意思を聞く。他にも長期的な策を分かりやすく伝える。そうして不満を少なくし、理想上の最高の成果に近づけるのが私たちの仕事。特にサジェッツァを支える副官の仕事かと思いますが、違いますか?」
「軍団は何でできている」
グエッラが中指をやや突き出して地面に突き刺すように、言葉に合わせて数度手を上下させた。
「意思の決定はスムーズに行われるべきです。兵の気持ちに寄り添い意見に耳を傾けることは重要だとは思いますが、それで一貫性が失われればお終いですよ。
今は、確実にサジェッツァに協力するべきだと思います。グエッラ様が、サジェッツァの足を引っ張りアレッシアを崩壊させるためでは無く、『サジェッツァに協力してアレッシアを救うため』に選ばれたのなら、ですがね」
「当たり前のことを聞くな」
グエッラが目に力を籠めて返してきた後、息を吐いた。ひどく熱そうな息である。
そして、「また来る」と言い残し、来た時と同じように唐突に去って行った。
天幕が止まり、足音が聞こえなくなると同時にシニストラが立ち上がる。そのまま汚物を見下ろすようにグエッラが座っていた椅子を睨み、顎を動かして奴隷に持ち去るようにと無言で命令した。
(余程合わないのか)
そうならば仕方が無いとは思いつつ。
「大筋だけ聞いて知った気になるとは。私にはグエッラ様が作戦を理解する気があるとは思えません」
「そう言ってやるな。グエッラ様の言い分も、間違ってはいないからな」
エスピラが返すと、シニストラが困ったように眉を下げた。




