山中の天幕にて
エスピラの天幕に入ってきたグエッラが、眉を寄せてシニストラの方を見た。
何故居るのか、ではなく恐らく睨んでいるであろうシニストラに対しての抗議だろう。睨み返さないのは上位者としての余裕か。同じ高さには立たないと言う意思の表れか。
「どうかなさいましたか」
エスピラは人当たりの良い声を出してグエッラを天幕に招き入れた。
奴隷に指示を出して、椅子を二つ用意してもらうことも忘れずに。一つはグエッラで、一つはシニストラのためである。
グエッラが人払いか何かを頼む前にシニストラが椅子にどっかりと腰かけた。ただし、剣を抜けばエスピラとグエッラの間に入る位置で、それもグエッラ寄りに振り下ろせる位置に。
まるで警戒心丸出しの獣である。
「申し訳ありません。グエッラ様と私はあまり仲がよろしくないと皆に思われているようでして」
エスピラは、慇懃な調子でグエッラへの口上を続けた。
「ですが、シニストラは私が最も信用する者の一人。カルド島での武の活躍はもちろんのこと、その前のマフソレイオ及びマルハイマナへの使節ではアレッシアのためならばどのような仕事も厭わない覚悟を示しました。カルド島でも物資の管理や兵の鍛錬など決して剣を揮うだけの男ではないと言う証明をしております。何より、詩が上手い。
世間の評判よりもずっとずっと文武併せ持つ人物ですよ」
穏やかな外行の声のまま、エスピラはしゃべり切った。
「重々承知しておりますとも。才のない人物が、栄光あるアレッシアの高官に就けるはずがありませんから」
グエッラがどこか白々しい笑みで返してくる。
それにしては落ち着きが無い。やっていることがおかしい。高官として相応しくない。
言っていないし行動で示してもいないのに、そう伝わってくるようだ。
「なら良いのです。情けない限りなことにこの軍団では思い違いが多発しているようでして。副官と軍団長補佐筆頭の話ならば軍団長補佐が居てもおかしくは無いのですが、それの確認も取らねばと思い、分かり切っていることを繰り返してしまいました」
「お気になさらずに。この軍団は、生まれも育ちも違う者が大勢寄り集まっているのです。しつこいくらいの意思の疎通を試みた方が良いのは自明の理。ああ、『アレッシアのために』という一点のみについては一切確認を取らずとも分かっておりますがね」
にこやかに述べたエスピラがグエッラ本人への攻撃ならば、爽やかに述べたグエッラはサジェッツァへの批判と言ったところだろうか。
(用件はサジェッツァの作戦方針についての質問か?)
ただの世間話や山中での戦いについてならばエスピラのところへ来る必要が無い。
「百人隊長たちに伝えている作戦方針についてはあくまでも私の予測を伝えているだけに過ぎませんよ。特段、グエッラ様以上の情報を持ち合わせているわけではありません」
聞かれたら話すつもりではあるけれど。
仮にも副官ならば推測ができて当たり前だろうと。
「サジェッツァ様の御友人でありカルド島の英雄であるエスピラ様だからこその視点もあると思います。それに、分かり切っていることでも繰り返す方が重要かと思いますが?」
と言っても説明の放棄はこれまでの全てを捨てること。
しないと言う選択は通らないぞとグエッラが返してくる。
エスピラは喉を鳴らすようにリンゴジュースを飲んだ。
どうするべきか。否。どこまで話すべきか。
グエッラが裏切るような男では無いのは分かっている。彼は愚直なまでにアレッシアの栄光を信じている男だ。栄光あるアレッシア軍団がその最高戦術である正面突撃を行えば勝てると踏んでいる男なのだ。
ハフモニ軍と雖も半分は文化に劣る北方部族。ちゃんとした軍の数では上回っている。だから四個軍団四万のアレッシア軍がいつも通りに戦えば勝てる。
兵にも分かりやすく、アレッシア人の気風にあった浸透しやすい主張だ。
「この軍団は正面切っては戦いませんよ」
「見れば分かる。臆病風に吹かれたわけでもないことは分かる」
グエッラの言葉にシニストラが何か言いたそうにしたが、何も言うことは無く剣の柄に両手を乗せた体勢で動きを止めた。
グエッラもシニストラを一瞥しただけで何も言いはしない。
「グエッラ様は、マールバラの力量をどう感じておりますか?」
エスピラは一切の敵意を捨てて聞いた。
「名将ではあるが所詮は一度の敗北で崩れる軍団だ。これだけの大軍を率いておきながら手をこまねく必要は無い」
エスピラもカルド島の時点ではそう考えていた。
だから、強い言葉で否定したりはしない。
「北方諸部族の特性を考えればご尤もな意見かと思います。マールバラに焦りがあるのも事実でしょう。ですが、おそらく既に結束は成っていると考えるべきかと」
「エスピラ様も北方諸部族とは戦った経験がおありのはずだ。歴史を知っているはずだ。彼奴等がまとまり切ればアレッシアが押し切られていた可能性があることを理解しているはずだ。だが、そうはなっていない。これまでも、これからも、だ」
所詮は『諸』部族。一つに纏まるのではなく、優勢になれば部族間の抗争も出てくる。アレッシアからの扱いの差によって思うところも違ってくる。
「そうあって欲しいと願うばかりですが、そこまで分断しやすい軍団であれば先に挑んだ方々が勝ってもおかしくは無かったでしょう。ですが現実は負けている。勝っていると思って負けたこともあります。マールバラは軍団内に於いて敗北を撒き餌の一つだと認識させることに長けている可能性を考えるべきでしょう。こちらの勝利は、あちらにとって局所戦の一敗でしか無いのかも知れません」
「根拠は?」
「現時点でもハフモニ側から寝返りや脱走が起こっていないことが、まさに」
グエッラが口元に手を当て、顔をやや下に向けた。
事実ではある。
サジェッツァの作戦の下、主に徴発部隊とそれを襲撃する軍と言う形ではあるがアレッシアが勝つことの方が多いのだ。食糧の調達も上手く行っていないだろうし、だからこそサジェッツァの思惑通りアグリコーラ方面へとハフモニ軍は進路を取っている。
ただ、それでも。
ハフモニ軍から寝返りも脱走も起きてはいない。
これは異常だ。相当高い指導力のもとで軍団が結束している可能性がある。どのような手法を使っているのかはエスピラには分からないが、北方諸部族が簡単に離れることは無いと考えるべきである。
「それこそ小さな勝利だからこそいけないのではありませんか? 彼奴等にとってはここでの小さな負けよりも半島の奥深くで土地を荒らしていると言う高揚感こそが優先されている。アグリコーラ近辺と言う肥沃な土地を狙えるからこそ脱走もしない。違いますか?」
「可能性の一つとしては正しいかと」
エスピラは即答した。
否定されるものとばかり思っていたのか、グエッラの目が僅かに丸くなる。それを見てか、シニストラの口角が上がったのがエスピラの視界の端に入った。
「ですが、大軍で仕掛けるのであればより慎重にならざるを得ないと思います。タイリー様は戦上手だった。ペッレグリーノ様も戦上手。特にペッレグリーノ様は腕がなまっていないことをピオリオーネ奪還とプラントゥムからの増援を防ぐ役目を本国から援助の無い一個軍団で行っていることからも明らかなはず。
それでも負けたのです。
しかもマールバラは土地を理解している戦い方をしていた。半島内で戦っているのにも関わらず、こちらの利点が奪われているのです。そんな状態で全力で戦えますか?
四万もの大軍で不覚を取るようなことがあれば一大事。最早敵は止まらない可能性があると言うのに」
グエッラの眉間に皺が寄った。
「随分と消極的ではありませんか?」
「消極的にもなります。賭けになりかねない大規模な戦いを行わなくても勝てる可能性があるのですから」
グエッラの腹が息を吸いこんだように膨らんだ。
だが、口は開かず。言葉を呑み込んだらしい。
ゆっくりと空気を吐き出すような動きをしてから、改めてグエッラの口が開く。
「で、その作戦とは?」




