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山中の天幕にて

(全部が思い通りに行くわけは無いか)


 軍団内の報告に一通り目を通した後、エスピラは鼻から息を吐いた。


 軍資金、食糧。そう言ったものは発言権を持たない状態で従軍しているティミド・セルクラウスのおかげで問題は無い。マールバラもあの後コルドーニの軍団が居る南方には軍団を向けずに山を越えてアグリコーラへと向かう道を選択した。


 補給のままならない山道に補給の滞っている軍が通る。


 兵で五万、兵の補助を加えれば六万など優に超えるのだ。略奪して得た牛馬も武器を運ぶために使用しているために数が多い。しかも本国からの援助は無い。


 そんな軍団には影を見せながら後ろから付け回すだけで敵兵に恐怖を与え、統率を乱せるのだ。山道で大軍を展開できないため、徴発部隊を叩くのも上手くいく。必ず成功するわけでは無いし全てを成功するわけでは無いが、到底ハフモニ軍が潤うほどの補給は出来ていないのだ。


 それを証明するかの如く削られた木の皮や根っこが食べられた植物は良く見かける。それだけハフモニ軍が飢えていると言うことだろう。


 と、此処までが良い所。


 サジェッツァの思惑通りに全部が動けば、後はアグリコーラ近辺の地形を利用してハフモニ軍を閉じ込めるだけで良かった。それだけで飢えて霧散するはずだった。


「先行する許可を貰いに行った方が良いのではないでしょうか?」


 血の匂いを漂わせたまま、シニストラがエスピラに聞いてきた。


 戦いの直後だからか、いつもより雰囲気が鋭い。


「エスピラ様はカルド島での実績があります。サジェッツァ様も無視はできないと思いますが、駄目な理由は何があるのでしょうか」


 責めている口調では無い。むしろ、高みを見上げるような信用がある。今回も、自分が思いつくことはエスピラも想定済みだと言う意思が透けて見えた。


「遮蔽物も多く道も悪い山での戦いは、きちんとした訓練を積み、カルド島でも似たような地形で行軍を続けた私たちが最も適している。その先の準備ができていないとはいえ、此処で補給をされたら元も子もないからな。だから、先行することはできない」


 訓練を積む時間も無く即時の出陣になった弊害である。


「しかし、これはグエッラ様やフィガロット様の怠慢では無いですか? コルドーニ様は最後尾のため仕方が無く、サジェッツァ様は全軍を纏めるために仕方が無い。

 でも、グエッラ様は副官として支えるどころか和を乱すのみ。フィガロット様もアグリコーラに拠点があると言うのに対して働いておりません」


「これだけの人数が集まっているのに盗難も無く食事が滞ることも無いのはグエッラ様の力も大きい。ハフモニに対する敵意と言う意味では士気も下がってはいない。間違いなく、上官としての能力は持っていると言えるだろうさ」


「例えそれが分裂を煽り内部に敵を作った結果だとしてもですか?」


 鋭くなったな、とエスピラは思った。


 グエッラがどうやってまとめているかを自分なりに考えての言葉だろう。自分で考えると言ってもエスピラが最後まで言わないから考え始める、と言うのがカルド島までならば良く見られたが、そうでは無くなった。


「どのような形であれ、だ。ただ、副官としては失格と言わざるを得ないな。何のために副官は選挙で選ばないのかを全く理解していない。所詮は自分と意見を同じくする主の下で輝く器だったと言うことだろう」

「フィガロット様に意思は無く、コルドーニ様はサジェッツァ様に従っております。すぐに混乱は収まるかと」


 シニストラが剣の柄に手を掛けた。


「グエッラ様とて引き際は弁えている。グエッラ様に従う一万と少しの軍勢を無理矢理突撃されれば、否応なしに会戦になるだろう。その機会も実際にあった。だが、グエッラ様はしなかった。大人しく引いた。敵前で渡河はしない人だ」


「渡河はしなくても橋を造りかねないと思います」

「私とグエッラ様が同数同質の兵を率いれば、勝つのはグエッラ様だと思うぞ」

「そうでしょうか」


 エスピラの言葉に納得してくれた様子は全く無かったが、とりあえず柄から手を下げてはくれた。


「無知で愚かな者を上に据えるほど余裕があるとは誰も思っていないさ」

「無恥で愚かな者ならばおりますが」

「シニストラ」


 エスピラは優しく、されど我が子に対するよりは厳しめに窘める声を出した。

 ただし、エスピラは乳母に苦言を呈されるほどに我が子に甘いことを考えればさして厳しくないことは良く分かるだろう。


「ベロルスのことです。ソルプレーサから聞きましたが、郎党を四、五人ばかり集めてこちらに向かおうとしているとか。良いのですか?」


 もちろん、エスピラとてグライオ・ベロルスとシニストラの仲があまり良くないのは知っている。そして、それがシニストラからの一方的な嫌悪だと言うのも、そう言った悪感情を向けられるのは仕方ないとグライオが割り切っているのも知っている。


「裁判では仲良くティミドを告発していただろ?」

「共通の敵が居ればこそです」


「居るでは無いか。目の前に」

 ハフモニが。


「失礼ながらエスピラ様は甘いと思います。私も何度か見ることがありましたがメルア様は大層美しいお方。失礼ながらそれまではあまり魅力的ではありませんでしたが、子供をたくさん産めるとなるとその魅力は段を飛ばして駆け上がっていきます。ベロルスは卑しくもメルア様に欲情していた血筋、欲情していた者がまだ生きている一門です。エスピラ様がわざわざ武装を解いて接する相手ではないと愚考致しますが」


 私もメルアに欲情している、と言いかけたが、エスピラは揶揄うのはやめた。


 真剣なのだ。


 シニストラの目は、本気でエスピラとメルアを心配している。排除しろとまでは言わないが、近くに置くなと言いたいのであろう。


 おそらく、これはアルグレヒト本家の意向もあるに違いない。メルアの母はアルグレヒトの者なのだから。


「ならばどこに置いて欲しい?」


 シニストラの瞳が一瞬喜びに沸いたが、すぐに「それは」と言葉に詰まる。


 急かすわけでもなく、考える時間をあげて。


 エスピラはゆったりと姿勢を崩した。


「私と入れ替わりでどうでしょうか。私がエスピラ様の傍に居れば、タイリー様が心配されていたことも防ぐことができます」


 グライオの実力を認めてはいると言うことか、とエスピラは胸をなでおろした。

 同時に、シニストラの評価も上方修正を加える必要があるだろう。


「シニストラを軍団長補佐に抜擢したのは私の推薦では無い。サジェッツァの意思だ。私の一存で変えることは出来ないよ」


 では何故サジェッツァが選んだかと言えばカルド島の軍団にエスピラが推薦し、エスピラが活躍の場を与え書類仕事の腕を鍛えたからである。


 しかし、そのことをシニストラが突くことは無かった。代わりに、口を堅く結んだだけである。


「しかし、油断している所にグライオに襲われでもすれば、流石にエスピラ様と雖もご無事では済まないかと思います」

「グライオは私を襲わないよ。そう、処女神の神殿で誓っている」


 誓ってはいない。

 近い言葉を口にはしているが、誓ってはいないのだ。


「それに、私としては共通の敵が居れば警戒する相手であり気が合わない相手とも協調することができるシニストラはグエッラ様より優秀だと思っているよ。後は、軍団をまとめ上げ、指揮する力があればグエッラ様よりも高い地位に就けるとも、ね」


 それは執政官のことであり、あるいは臨時の役職であり最高の権限を持つ独裁官しかあり得ない。


「お戯れを」


 溜息交じりに返してきたシニストラだったが、急に態度を変えた。

 目を真っ直ぐに、背筋もどこかピンと伸びて。


「勘違いだと申し訳ないのですが、それは、つまりエスプラ様はグエッラ様もティミド様と同じく分不相応な地位に居ると思っている、と言うことでしょうか」


「どうだろうな」


 ぼかして伝えつつ、エスピラは牛の膀胱でできた水筒を取り出した。

 カップに中身を注ぐ。


「『闇夜に耳あり、風に口あり、天幕の裏に敵兵あり』と言うからな」


 小声で言って、エスピラはカップの中身を飲みほした。


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